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自分は賢いと勘違いしていた話

私は自分が賢いという勘違いを長いことしていました。
自分が賢くないと気づいた時は恥ずかしくて、
やりようのない思いを感じました。

私は学生時代、勉強に苦手意識がない人間でした。
特別できたわけではないですし、数学は苦手でしたが、
生きていく上で問題になる程ではありませんでした。

だから、私はその成績がそのまま自分の賢さだと勘違いをしました。
家族も賢い人が多かったため、自分もそうであると考えていたのです。

やがて私は社会人になり、自分が賢くないとやっと気づきました。
私は椅子に座っておとなしく授業を受け、
テストで及第点をとるという極限られた才能が、
人より少しだけあっただけでした。

私が社会人になって求められた能力を例えるなら、
運動部の部活動で求められるような能力でした。

思い返せば、私は学生時代に緩い部活動に所属し、
放課後の長い自由時間をぬくぬくと過ごしました。
一方で厳しい運動部の部活動に所属していた人は、
遅くまで部活動に勤しみ、残ったわずかな時間を
上手く使って勉強もしていました。

そのような人と私が同じ成績だったら、
パフォーマンスはその人の方が遥かに私より高いのは、
とても当たり前のことなのでした。

『自分が賢くないことを認めた方が楽になった』
ネットか本かで読んだ文章です。
この感想を持てた人を、私は本当に凄いと思います。
なぜなら、私はそうは思えなかったからです。

自分が賢くないこと。
ちゃんと理解しているつもりなのに、
とても悔しいし、苦しいです。
例えるなら、私の中の子供が地団太踏んで、
悔しがっている様な、そんな気持ちです。

自分の得意じゃないことで勝てる程、
世の中は甘くなかったと痛感しました。
今、私は自分の得意がわからないから、
手探りで探しています。

今がそこまで悪い訳ではありませんが、
一生このまま生きていける気がしないのです。
だから、他の可能性も模索しています。
それで何か向いていることが見つかればいいし、
見つからなくても私の経験になるからです。
特に文章力は事務に活かせるので、勉強しがいがあります。
無駄にはならないと思うとやりがいが出ます。

不器用な私が人よりちょっとだけ上手くできることは、
きっとすぐに見つからないけど、探し続けたいです。

心が折れそうな日もあります。
それでも、何かになる萌芽を私は這い蹲って探したいです。
それ位しないときっと、見落としてしまうから。

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ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。それでは、また。

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