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幸せになっても、ならなくても良いと思っている話。

私は幸せになりたければなったらいいし、
なりたくなければならなくていいと思う。

一般的には、幸せになることが良いこととされている。
でも、私は幸せがそこまで良いものと思わないし、
万能でもないと思う。

もし、幸せが、私の大切な人たちが、
元気で長生きしてくれることだったら、
私は幸せが欲しい。

そしてもし、幸せが、自分の楽しいことや嬉しいことが、
一時的な感情ではなく、1年2年と長期にわたって続くことなら、
私はあまり幸せが欲しいとは思わない。
なぜなら、例え良いことでも長く続けば飽きてしまうからだ。

楽しいや嬉しいのようなポジティブな感情は良いものだが、
それと同じくらい、悲しいや苦しいのようなネガティブな感情も、
私は大切にしていたい。

楽しいも、嬉しいも、悲しいも、苦しいも、
どれが欠けても私じゃなくなってしまうと感じるからだ。
できることなら、いつも笑っていたいし、
それでも、泣きたいときは泣きたい。

結局、私はただの私でいたいだけなのだと思う。

私は自分が幸せになるために生まれてきたと思わない。
それと同じくらい、
私は他人や自分を呪うために生まれてきたとも思わない。

積極的に人に嫌われたいとは思わないし、
嫌われたら今でも傷つきはするが、
歳を重ねるごとに感覚が鈍麻し、馴れてしまった。
だから、人から嫌われてもしょうがないな、と思っている。

ただ、嫌ってくれて構わないから、
私が私でいることは赦して欲しいと思う。
多分私は、幸せになるより、
私が私であることを赦されたいのだと思う。

そして可能なら、他人でも神様でもなく、自分自身に赦されたい。
でも、自分の事すら、思うままにはならない。
自己否定のループの出口を、私はまだ、知らない。

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