143.鬼よ

『鬼よ/Dios』

抒情的に爪弾くギター、落ち着いたアレンジ、
それでいて、挑戦的で攻撃的な曲です。

曲名、音色、映像が象徴的である一方、
歌詞が意外と具体的です。

自己否定、現実逃避、自暴自棄、諦観。
そんな苦渋に満ちた人間が、醜い自己を受容することで、
新しい世界が開けた。そういった物語のようです。

曲名が巧妙で、日本語だと「鬼よ」ですが、
英語だと「My Inner Demons」です。
この2つを合わせると、
自分の内側の鬼(自己の醜悪な部分)に呼びかけている様が浮かびます。

私はこの曲の歌詞を見ていると、
昔読んだ物語を思い出します。
大分前に読んだのでうろ覚えですが、次のような話です。

『主人公は或る恐ろしい影に追われています。
 そのため、必死にその影から逃れようとします。
 すると、影はますます大きくなり、主人公を襲います。

 しかし、主人公はそのうち、自らその影を追うようになります。
 そうすると影は次第に小さくなり、
 最後は自分の姿になって、自分と合わさり1つになりました。』

私はこの物語の影と、「鬼よ」の鬼が、少し似ていると思いました。

こういった物語は類型をよく見ますが、
私自身が実感をもって体験したことはありません。

私は自分の醜悪な部分を自覚しておいた方が自己抑制しやすい、
ということを知っています。
でも、それは自分の醜悪な部分を檻に入れて監視しているだけです。

この曲やさっきの物語は、そういうことではないのだと思います。
むしろ醜悪な部分を受容することで、
新たな視点や力を得ているように感じます。

例えるなら、周りから塗り固められた善性の自分から、
善性と悪性を共に孕んだ生来の自我が解放されてゆく印象です。

そろそろ何を書いているか分からなくなってきたので、
ここら辺にしておきます。

私の戯言はさておき、楽曲は素晴らしいので、
良かったら是非、聴いてください。
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読んで頂いて、ありがとうございました。それでは、また。

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