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天性の能力を引き出すのが教育の役割:伊藤仁斎

江戸時代前期に活躍した儒学者に、伊藤仁斎(1627-1705)がいます。

伊藤仁斎は、『論語』を
「最上至極宇宙第一の書」と言い、たいそう評価していました。

論語には、人として生きる道、いわゆる人間学が説かれていて、
ハッと気づかされることが多いですよね。

この『論語』の中に、孔子と弟子の子路との問答「南山の竹」というものがあり、
伊藤仁斎も『童子問』という書で、この話に絡めた訓話をしています。

「論語」の原文はこんな感じ


【君子不可不學】『論語』

【君子不可不學】
子路見孔子,
子曰:「汝何好樂?」對曰:「好長劍。」
孔子曰:「吾非此之問也,徒謂以子之所能,而加之以學問,豈可及乎?」
子路曰:「學豈益哉也?」
孔子曰:「夫人君而無諫臣則失正,士而無教友則失聽。御狂馬者不釋策,操弓不反檠,木受繩則直,人受諫則?,受學重問,孰不順哉?毀仁惡仕,必近於刑,君子不可不學。」
子路曰:「南山有竹,不柔自直,斬而用之,達於犀革,以此言之,何學之有?」
孔子曰:「?而羽之,鏃而礪之,其入之不亦深乎?」子路再拜曰:「敬而受教。」


概約しますと、

子路:
南山の竹は真っ直ぐなので、
切ってこれを用いれば犀革(さいかく/鎧)の厚さをも通すと聞いています。
そうであるならば、
天性優れたる者であれば、どうして学ぶ必要がありましょう。
学問など必要ないのではありませんか?

孔子:
その南山の竹で作った矢柄に羽根をつけ鏃(やじり)を付けて研いだなら、
ただ単に犀革を貫き通すにとどまらないであろう。

と。

伊藤仁斎は『童子問』の中で、この南山の竹の話を例に喩えて、教育の大切さを説いています。

「生まれつき持っている善の心を拡充する者が教育である。
性(生まれつき持っている善の心)と教は、車の両輪みたいなもの。
生まれつきの性というものは皆同じようなものだから、
それを拡充する教育の働きが重要になるのだ。
南山に生えている竹が人の手を加えなくても真っ直ぐなのは、本来の性が善であるようなもの。
この竹を矢柄にして羽根をつけ、鏃(やじり)を点けて研げば、射たときに深く刺さる。
これは教育の効果のようなものだ。」



天賦の才能がある人でも学問を積めば、更に強力な武器になります。
竹に鏃(やじり)を付けることは、天賦の才に学問をすることにより磨きをかけ強くなる、ということですね。


学問を積む

大切なことです。

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