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「国民の総意」というのは「伝統に基づいた常識」と読み替えて考えると理解しやすい

少し前に観たYouTubeの「西部邁ゼミナール」というチャンネルで、西部邁先生が「国民」という言葉についてこんな見解をご説明されていた。
聞いた言葉をメモしたのですが、(^-^;


「国民」というのは、生きている私たちだけではなくて、死んだ人も含めて「国民」という。
長い歴史から生まれてきた伝統を元にしている、と考えると腑に落ちて理解しやすい。


憲法の「国民の総意」という言葉は、「伝統に基づいた」と言い換えるとわかりやすいんだよ、というような会話がなされていて、なるほど納得!と思いました。


ある時の国会で「総理!それでは国民が納得しませんよ!」と金切り声を上げて首相に食って掛かっていた人がいましたが、その人の使う「国民」という言葉がとても空虚でうすら寒く、どうしてそう感じるのか不思議だったのですが、その理由はこれだったのですね。


かの人の思想には日本の歴史も伝統も背後にない。だからなのですね。


言い換えてみると、

自分だけ、点、です。


紡がれていた縦糸の織り成す複雑で確固たる倫理観に基づいた思想がないのからなのです。


かの人の心の中では、日本はいわゆる第二次世界大戦後に建国されたもので、それ以前の国の姿はない、、、と思っているように感じるんですよね。

だから、かの人のいう「国民」は、私なんかが使っている「国民」とは全く異なるものなのではないかな、と。

同じ日本語のように思うけれど、全く異なる言語。
上手く言えないけど、そんなことを最近考えます。

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