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自分の気持ちに気づいてあげること

Merry Christmas(写真は2018年のトロントのサンタパレード)

いつもの帰り道、行き交う人がどことなく、うきうき、そわそわしているように見えて、そうか、クリスマスだなぁとやっと感じた。

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考えを整理したいとき、気持ちに向き合いたいとき、わたしは決まって、自分の思考ノートを開く。

ただ単に、心にある感情、頭にあるモヤモヤなどを視覚化するためのノート。そして、あるものを書き出したら、自問自答していく。

なぜ、悲しいのか、何がそう思わせたのか、どうなりたいのか、どうしてそう考えるのか、そこに勝手な思い込みはないか、どうして、なぜ…。

完全にひとり会議。

それでも考えが、気持ちが、見えないときは、歩く。ただ、歩く。

あえてどこかに行くわけではなくて、

いつもの帰り道を少し遠回りしてみるとか、通勤途中とか。そうやって自分の心をよく見てみる。あえて1人の時間を作る。


つい先日、SNSを見ていてモヤリというか、胸のあたりにくすぶりがあるというか、なんだかわからない影みたいなものを感じた。

と、同時に、すこし焦った。それは大切なお友達のものだったから。

内容はごくごく普通のもの。それなのにそういった影を感じたわたしは、自分で自分が少しわからなくなった。なんでそう感じたのだろう。

朝、ノートとペンケースをバッグに突っ込み、帰り際に、近所のカフェに行ってそれを開く。

これだ!とストンと原因がわかったのは次の日の朝の通勤時間。


「みんながしていることをしていないこと

それによって、勝手に追い詰められているような錯覚、やらなくちゃいけないかも、というような思い込みが生まれていたこと。


わたしはここ数年、自分の気持ちに素直になることを心がけている。それによって大切なものも明確になったし、とても楽に生きられるようになったと思う。

わたし達がいるコミュニティの個々は小さい。一緒にいることを望んで、選んで、コミュニティはできていると思う。そんな場所ででも、他人の思いと自分の思いとが重ならない瞬間は、少なからず訪れる。

そのときに、勝手に罪悪感とかの類が、顔をだしたんだろう。


自分には、自分の思いがある。それだけだ。


うまく伝えられなかったかもしれないけれど、残しておく。

焦ることはないし、違う思いがあってもいい。


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