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でも、今の自分も嫌いじゃないと思えたらいい。

いつも元気だね、
いつも楽しそうだね、


ありがたいことによく言っていただける言葉たち。

けれど、当たり前に色々、はあるわけで。

「別れてからの方が楽しそうだし、生き生きしているように見えるよ。別れてよかったよね。」

と言われるのは、どう答えたら正解なのかはわからない。何回言われても。

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わたしには、大好きな人と結婚して、その人との子供と、わたしと、旦那さんと、両方の両親とで、旅行に行く。という「夢」がある。

ずっとまえからの夢。

これは、おそらくわたしの両親がおじいちゃんおばあちゃん、と従兄弟とで旅行に連れて行ってくれていた幼少期からきている。

普段は、お誕生日とか、クリスマスとか、お正月とか、そういうイベント事でしか顔を合わせない親族と、2、3日でも一緒にご飯を食べて、お風呂に入り、お出かけをして、ソフトクリームを食べて、笑って、一緒の部屋で眠って、朝ごはんを食べる。それも、浴衣なんて着て。

あの頃はそれがたまらなく楽しくて、いつの間にか、それがわたしのイメージする家族の姿だった。

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25歳も終わりにかかった冬、

それはもうすぐ、それこそ、曲がり角を曲がったら、あるはずだった。


彼とは、わたしが19歳のときに出逢った。
とても、大切だった人だし、大切にしてくれた人。
7年の間にたくさんのことを共有した。いいことも、悪いことも。
お互いに唯一無二の存在だと思った。
だから、結婚した。

よく、離婚するくらいならとか、するなんてとか聞くけれど、
色んなパターンがあるにしても、少なくともその時は、多くの人がこの人が唯一無二の存在だと思うのだと思う。
色々あるのさ。

はやい話が、わたしも彼もそう思っていたけれど、でも、お別れした。
まさか自分がと思ったし、まさか彼とって思った。
でも、そうなった。


すぐに、吹っ切ったよって、かっこよく言いたいけれど、
たぶん、完全に、あぁ、わたし乗り越えたなって感じたのは、
アメリカのセドナで一人ハイキングしていた時だから、割と最近。
それまでは、すっかり過去になっているし、なんなら彼氏もいたけれど、それでも思い出すと心がキュッとする。そんな感じ。

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わたしには今、やりたいことも、逢いたい人も、行きたいところも、見たいものも、たくさんある。
毎日とても楽しい。

それでも、ふと、あのとき、こうだったら、ああだったら、、、となることもある。

周りの同世代の友人たちは、子供が2人いたり、育休中だったり、結婚したり、している。

あのまま上手くいっていたら、わたしにも子供がいて、夢だった家族旅行も何回もして、みんなで笑いながら、お夕飯を一緒に食べている、そんな毎日だったのかな。
なんて考えることも、ごく稀にある。とても稀だけれど。

それはとても素敵な光景。だってわたしの夢の姿だ。

けれど、

わたしは今の自分が割と好きだ。

旅も、コーヒーも、英語も、カナダも、写真も、今周りにいる人たちも、すべて。
それは、彼とさよならしてからわたしが得たものたち。

もっと言うと、

わたしが選んで、得たものたち。
それに囲まれて、次なる目標がある、今のわたしを、わたしは割と好きだ。

なんだかうまく言えないけれど、それでいい気がする。

もしかしたら、これから先も苦しくて、悲しかったりして、過去を想ったり、誰かを羨ましがることがあるのかもしれないけれど、
誰かが言っていた、「人生は選択の連続からなる」から、その都度悩んで、した選択は、その時に真摯に向き合った結果だから、どれが正解だったかとかはなく、むしろそれが正解で。

結局は、その後に、
自分が、昔もいいと思うけど、あの人もいいと思うけど、でも、
今の自分のことも好きなんだよねって思えたら、いい。

たとえ、そのときはそう思えなくても、これからは、今の自分がつくる。


もちろん過去が間違いだった訳でもない。
彼がいなかったら、離婚していなかったら、「今のわたし」はいないし、今わたしが好きだと思ってる人、ものも無いかもしれない。

そう思うと、今辛いことも、愛おしく思うし、
今大切なことは、もっと愛そうって思う。

もっと丁寧に、向き合っていく。

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