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これが「世間の厳しさ」ってもんだよな〜

「会社の方針としてこういうお客様はお断りしています」
そんなFBの投稿を目にしました

  断ってお終いだったんだろうか?

ふと疑問が湧いて来ました

商売とは言え少し話を聞いただけでそのお客様と縁を切る形で終わっていたなら残念な気がして

  これが「世間の厳しさ」
    ってもんだよな〜

ではあるけれども・・・

未熟な人を前にしたとき「見捨てるという教え方」以外に「解決策の提案」や「育てる」ことができる社会になって欲しいなどという気持ちが溢れて来ました


  が、



  いや待てよ?

  ちゃうちゃう


その投稿の内容も、それにツッコむ気持ちも両方が「私」やん!
そもそもFBの投稿をした人に対して私がやってるやん!


私こそ批判的にその投稿を見ていたのです


  そうでした


「私」を整えることが 先でした


今回の問題は
他人を否定的、批判的に見ている私


“現実”とは“自分自身の内面”を映し出しているので、直すのは私の内面

私の前に現れた『方針で関係を切る会社』と『未熟だと関係を切られる客』

それは

私の中の『嫌う私』と『嫌われている私』



  何を嫌ってるの?

「間違い」
「失敗」
「迷い」
「無駄なこと」



それらを嫌い、それらから回避することを目的にしていたようです

通りで、自分にも他人にも否定的で批判的になるのも、それらを引き起こす「未熟な私」を嫌うのも当然



  なんで嫌うの?

「間違い」で馬鹿にされ
「失敗」して排除され
「迷」って置き去りにされ
「無駄なこと」で貴重な時間を失った

そんな経験で傷ついていたからかも知れない


だからその経験を嫌うあまり、そんな他人を見ると回避させよう、回避しようという潜在意識が「批判」として出てきたのでした


しかし「始まりと終わりは同じ」というエネルギーの法則上、回避という「否定感が動機や目的になると破綻で終わる」のです


  本末転倒やん


他人に対して否定感が湧いてきたり、批判的になったら
「傷ついた私」に気づくチャンスです


傷ついた経験は必ず誤解や冤罪が始まりにあります

それらをリーディングして紐解くと、全てが肯定されて「傷ついていた」ことが「幻想」だとわかり、「傷ついた私」は消えてなくなります

すると私の中の「私」と「私」が仲直りして、未熟な人が見捨てられずに救われるところを目にする現実に変わるのです


人生の主役は私


だからこそ、私しか現実を変えられないのです

  オモロ〜

そう思える人生にしたいですね


“リーディング”とは、時間を超えてことの始まりを紐解く“脳の使い方”です

そのリーディングを利用した「心を晴れやかに解きほぐす言霊セラピー」を始めたいと思います。

Instagramで随時お知らせしますのでお楽しみに♪

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