親になって気付いた自分が親にしてもらった感謝の本当の意味

中学生と小学生のふたりの子をこの週末にボーリングに連れて行きました。子ども達にとっては人生3回目のボーリングです。コロナ渦で週末も娯楽目的の外出は滅多にしません。外食も行かなくなり、時々テイクアウトやデリバリーサービスを利用する程度です。感染対策をしながら久しぶりにささやかな外出をという話になり、最後に行ったボーリングの帰りに子ども達がもっとやりたいと未練が残っていたらしいのを思い出して久しぶりにやってみようかという気持ちになりました。

早速、ボーリング場に問い合わせ、混雑を避けて利用できる時間帯に行けることや施設内の感染対策がしっかりされていることを確認して決定しました。電話でスタッフが話していた通り、スムーズで快適にプレーすることができ大人は満足した一方で、子ども達が大して楽しそうな雰囲気ではなく、帰り道には来る前より暗い顔になっていて、来て良かったとか感謝らしいことも何も言わずに終わってしまったことに寂しい気持ちになってしまいました。

しかし、自分たちが行きたくて行こうという話になったわけでもないし、実際にプレーしても思うようにたくさんピンが倒せず、最後までパッとしないまま終了してしまったのでつまらなかったのは無理もないという分析になりました。

そして、自分が小中学生の頃、親が忙しい中、せめてもの思い出作りにと旅行に何度か連れて行ってくれたことを思い出しました。大人になってそれらを忘れかけていた頃、自分が連れて行ってもらった場所がテレビで紹介されたり、ニュースで読んだりして思い出されるのでした。

しかし、連れて行ってくれた当初は自分で頼んで連れて行ってもらったわけでなかったし、親が組んだ計画に乗っかって行くだけで現地のことをよく知らないし、大して関心も無く、さらに純真な子どもから少し大人になって冷めた考えにもなっていた時期もあって素直に感謝ができませんでした。

大人になってやっと感謝の気持ちを持てるようになりました。親が連れて行ってくれたお陰でこの場所に行く機会に恵まれた、その土地を詳しく知ることができたと。その気持ちが一生続くのかと思っていましたが、今日のボーリングの一件でそういった感謝の内容はもっと別の特別感のあるものへと変わりました。

それは、新しい場所に行けたことがありがたかったのではなくて、むしろ旅行に連れて行ってくれたことによって親の私に対する愛情の大きさを感じ取ることができたことが幸せだったと気付いたからです。忙しい仕事の合間を縫って休暇をとってくれたこと、旅行の計画を立ててもらったこと、宿泊の予約に加え、車の長い道のり運転してくれたことあるいは電車や飛行機に乗せてもらったこと、観光名所に連れて行ってもらったこと、その土地のおいしいものを食べさせてもらったこと、たくさんの出費をして私に楽しい思い出作りをしてくれたことです。親が作ってくれたアルバムをめくって記念写真を見るたびにそれを感じることができるのです。

子ども達も、何年か経って、この週末の事を思い出し、いつか家族を持って自分の子どもを持った時に同じことをしてくれればそれで充分うれしいなと思うのです。

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