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汝、エモくなるには早過ぎるなり

ついつい感傷に浸ってしまう陰気な性格のせいで、いつも些細な季節の変化に傷心したり、昔に思いを馳せて、遠い目をしたりしてしまう。
キモいな〜と自分でも分かっているけど辞められない。エモいエモいと喚くのは、厨二病患者が「ウッ…あの日の古傷が疼く…☦⚜️️」と言って第三の眼を押さえてるのと仕草的には同じ事なので、一刻も早く「エモ」に想いを馳せるのは辞めた方がいい。

私達は昔を思い出して「あの頃は良かった」なんて言うにはまだ早過ぎる。確かに若くないとは思うが、子供でもなければババアでもジジイでもない。グラデーションの真ん中をもう少し作れ、バカの描いた虹みたいな色相は辞めろ。白でも200色あるっつてんのに、なんで「若い」と「ババア」しか選択肢がないんだよ、もっといろいろあるだろーが、まだ白内障になってねぇ自分の眼でよく見てからしゃべれよクソが。(※全て自分に向かって言っています。)

20代後半や30代をババアとか自傷してると、多分ガチのババアになった時、一周回って「まだバブだし、おギャリ足りない」などと言い出しかねない。大切なのは、年相応を心掛けることだと最近の私は思っている。

幾つになったって好きな服を着ていいし、好きなメイクして好きなテイストの自分であるように心がけていいけど、なんというか、もっと精神性においても、「自分らしさ」を磨いていかなければならない気がする。
その方が、きちんと年相応に大人になれるし、ガチもんのババア、老婆になった時、素直で優しい、人として良いところを濃縮した存在になれる気がする。

まぁ別にそれがゴールじゃないから、「俺は死ぬまでロックで行くぜ、社会なんてクソ喰らえだ」という人がいてももちろんいいと思う。
ただ純粋に、自分が老婆になった時、あまりにも偏屈で扱いにくいクソババアになるよりは、人の弱さや優しさを慮ることが出来るタイプのクソババアになりたいだけの話だ。
出来ることなら内田裕也よりは樹木希林になりたい。どっちもなかなかだけど、強いて言えば、どちらかというと、個人的には樹木希林さんの方が「なりたい」度が高い。ヤバさはどっこいどっこいだと思うけれど。


老人(おいんちゅ)は、見た目はしわしわでも、心は優しく、素直さと感謝、あと遊び心を忘れないユニークさが大切な気がする。
遊びは大切だ。遊び心がないやつは、脆くて弱い。固くてキツイ。干からびていて、窮屈だ。

遊び心を忘れたやつから先に「老害」になる。
何かを作る時、少しだけ幅を大きくとることを「あそび」と表現した人は非常にセンスがいいと思う。あそび、とは、まさにそう言うことなのではないだろうか。

清く正しい老人(おいんちゅ)に必要なもの。
ゆとり、あそび、あとは…小銭?

人生を豊かにするのは、タワマンでもなく、親ガチャの大勝利でもなく、そういう類のものだと信じたい。

なんか強い言葉で綴ってしまったけれど、
心根はいつだって愛に満ちてる。
嘘でしょ?みたいなことが今の日本ではたくさん起きていて、政治家はみんな腐り果てている。坂本龍馬の死霊がいるなら、即刻国会に現れて物申してほしいけど、生きてる我々がどうにかしなければならないんだと、根本的にはわかっている。

話が支離滅裂になってしまったが、
本日の言いたいことは

•エモい話ってついついしてしまうけど、キモいから辞めたい

•素直な可愛いババアになりたいから、今のうちに素直になる練習をしておかなければならない。

•そのためには、遊び心を持ちつつ、冗談みたいな悪政の令和をちゃんと受け止め、然るべき対応がなんなのか、自分のすべきことや出来ることがなんなのか、ちゃんと自分の頭で考えて生きていきましょうね。

以上、三本立てでお送りしました。


「あの頃は良かったな」なんて思いたくないんだよ本当は。いつだって、死ぬまでずっと、今の私が1番最高で、今が1番楽しくって幸せで平和だよって、思い続けて死んでいきたい。
今日から、私の人生に「エモい」なんか要らない。エモいは永久放棄。日本海溝の奥底に鍵して沈める。パイレーツオブカリビアン〜致死量のエモ〜が全米で公開されるまで、もうエモいは不要。廃棄。バイバイ。もうこないからねー。

このお金で一緒に焼肉行こ〜