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クジラより自由に、恐竜も羨むほどに楽しく踊る


バツイチ独身、34歳の夏が来た。

この自己紹介があまりに自虐的にも思えるし、マジでただの記号だとも思う。
どちらも率直な感想だ。

嬉しくても悲しくても、34歳の夏は一度きり。だったら楽しい方がいいに決まっている。
「バツイチ独身34」というのは、ただ情報なので、そういうの気にする人はそうなんだー、と思って参考にでもしたら良い。
どうでもいいと思ってる人は「そういう柄のアクセサリー付けてるんだ〜」くらいにでも思って聞き流したら良い。
「情報」の解釈は、受け取る側に任せるのが良い。スピッツのボーカルも言ってた。「歌詞の解釈は受け取る側に任せてる」って。
なんか素敵だなと思ったから、同じスタイルで行くことにした。


34の夏は、意外と普通に楽しい。
自分に子供がいたらやってみたかったことも勝手に1人でやっているが、やらないよりはやったほうがいい。吹っ切れる。普通にシャボン玉も凧揚げもめちゃくちゃ楽しい。楽しいことを目の前にして、人の目など気にしている時間はないのだ。

18歳の「あの夏」が一度きりだったのと同じ原理で、今年の夏も一度きりしかないワケなので、行きたかったところに行ってみることにした。

そう、「東海大学海洋科学博物館」である。

たまたま見かけたツイートでこの場所を知った。静岡には縁もゆかりもなくて、御殿場のアウトレットくらいしか行ったことがない。多分。

「畏怖」
感じてみテェ……!!(ドンッ!!)


ということで、晴れた土曜の朝、たまたま8時くらいに目が覚めたので、これは今日しかねぇ!という本物のイキオイだけで新幹線に飛び乗ったのだった。




大きいものが好きだ。
小学校の修学旅行で、初めてみなとみらいのランドマークタワーを見た時、田舎出身の私は、人間が人間の手でこの建物を作ったという事実に感動したし、
生まれて初めてイルカを見た時も、自分より大きな身体の生き物が、この深い海の中で生きているという事実に震えた。もっと大きなクジラも見てみたいと思うようになった。
野生のクジラを見ると言う夢はまだ叶えられていないのだが、
今日、ここに行けば、シロナガスクジラの完全な骨格標本を見ることができる。

しかも隣には恐竜博物館もあり、さらに大きな生き物の化石を見ることが出来る。

絶対…楽しいじゃんよこんなの……!!


新幹線の中で行き方を調べてたら、なんと水上バスで博物館まで行けることが判明したので、水上バスに乗りたいがためにルートを変更した。一人旅は良い、こういう時、全て自己責任だから気が楽である。


ウキウキルンルンしながら1人で水上バスに乗った。よく晴れた日の、太陽のこのジリジリ感が好きだ。日焼け止めを塗った私は無敵。海風と、時々飛んでくる水しぶきが気持ちいい。

きっと24歳の私だったら、1人で水上バスに乗るなんて行為、きっと出来なかったように思う。どう見られてるんだろう、かわいそうとか思われたくない、などと言ってクネクネして前髪を直していたかもしれない。

34歳になると、そんなことはどうでもよくなる。それが嬉しい。
世間は、色んな意味で私に興味がないのだ。
私もあまり「世間」に興味がない。だからバランスが取れてきたような感覚がある。過剰に色々言われないというのは、心から自由だと感じる。
あと単純に、晴れた日の水上バスは楽しい。気分が良くなる。多分80になっても私は水上バスのことが好きだと思う。

15分くらい船に揺られて、そこから10分くらい歩いたところに博物館があった。

1人で水族館に来たのは初めてかもしれない。
普通に楽しい。
入って早々大きな水槽があるし、なんならサメいるし。



サメはカッコいい。強そうだし、悪そうな顔もいい。

私は、心が小6男児みたいな所があるから、サメを見たら心の中のさかなクンが暴れ出してしまう。ギョギョ!!!カッコいい歯並びですね!!!もっと近くで見てみたいですねェ〜!!!と、許されるなら声に出して言いたい。
サメは魚類なので心の中のさかなクンが暴れても許される。クジラとイルカは哺乳類なので、多分見ても心の中のさかなクンは現れない。クジラとイルカを見る時は、私の中に、小6の私が出てくるだけだ。人格の形成が難しい。身体は34歳の女性なのに、心の中にはいろんな年齢のいろんな人格がいる。
寂しくなくてちょうどいい。




2階に上がった少し先に、見てみたかったクジラの標本はあった。

思わず、わぁ…と足が止まった。
大きい。


ピノキオもおじいさんも、丸呑みされてもなんら違和感がない。

なんなら私の住んでる部屋より大きい。東京の1Kトイレ風呂別の私の部屋が3つは入るくらいお腹部分の敷地面積が広い。この生き物が海の中に「生きて」存在していたのだと思うと、自分でも信じられないほどワクワクする。



この優雅で優しい曲線から、どんな鳴き声がしたのか想像してみる。百キロ先まで届くというシロナガスクジラの歌声。

この大きな体から、どんな声を、どんな言葉を、どんな意思を、伝えていたんだろうな。
○○ちゃーん、こっちめちゃくちゃプランクトン多いで〜!!とかかな。ウチ、最近1週間で1mも成長してマジ成長痛ヤバイ、とかもあったのだろうか。

そういうことを考えるとキリがなくて、いつまででも想像していられる。クジラにはクジラの悩みがあったりするのかなとか、思いを馳せる。


どういう状況でこんなに完璧な標本(というか骨一式)を揃えられたんだろう。沖に打ち上げられたりしたのだろうか。
それにしてもこの子は骨が綺麗だと思う。なんかこう、骨から健康さが浮かばれる。多分、私の骨は標本にしたら不健康さが滲み出るように思う。足を組むクセとか、右顎でばかりご飯を食べてしまうクセとか、多分骨には全て反映しているんだろうな。標本には不向きだと思う。


ちなみに飲み込まれたらこんな感じ。



骨から滲み出る黒い脂は、
想像してたよりも怖くなかった。

もっとこう怨念みたいな、生命に宿る特別な恐怖とか、命にしがみつくような念みたいなものを感じるのかと想像してたけど、
実際見てみたら、「単純にこんな大きな生き物が海にいること」の方が底知れぬ怖さとか、畏怖みたいなものを感じた。


多分だけど、死んだらそこで全部終わりなんだと思う。なんとなく、さっぱりとした気持ちでそう思った。
死んだら肉と骨だけがそこにあって、魂とか感情みたいなものは、そこに残ったりしないと思った。
それが正しい在り方なんだと思う。


※突然スピリチュアルに走るなと言われそうだが、素直に感じたことを書いています。これは私の日記なので…



骨から油が滲み出るのもそういう現象なだけであって、死んだ人を土に埋めたらいつか土に還る、みたいなのと一緒。そういうものなんだなという事実だけがなんとなく頭に残った。


命は終わりがあるから、生きてるうちになにをするかが大切だし、
死んだらもう何も残らないから、名を残したい人は残こす努力をしたらいいし、残らなくても生命的には全然問題はない。

「その時代、そこに生きた」という事実だけ。
生き物はみーんな、生まれて、生きて、死んで、その積み重ねが今だから。成し遂げられなくても、偉業を残さなくても、楽しく生きたらいいのだ。

好きなもの食べて、好きなことして、好きな人がいるなら好きな人と生きたらいい。それだけな気がした。

上手く書けないけど、なんかこう、見て嫌なものを感じなかったから。そう思ったのかもしれない。


別に霊感があるとかじゃないけど、昔、沖縄のガマに連れて行かれた時、私はその空気感に圧倒されて一歩も前に進めなかった。
観光で行くような場所ではないと思ったし、すごく怖かった。
そういう「怖さ」みたいなものを、クジラの骨を見ても感じなかった。だからきっと、このクジラはちゃーんと正しく生きて泳いで死んで、魂はどこかに帰っていったんだろうなと思った。
ここにあるのは、その時の骨。生きた証だけ。


そんなポエミーな気持ちになったのは、
館内にあったこのポエムが結構響いたからかもしれないね…(好きポエム晒す)








敷地内の隣にある、自然史博物館へ。

ここから先、私の中の小6男児のマインドがうおおおおおおおしか言えなくなり、語彙力を喪失する。

トリケラトプスにタルボサウルス、まぁ名前こそ詳しくないけど「映画で見たことある奴!!!!」という、人気な恐竜がたくさんいた。


見てよ、このポーズ。
パリコレか?ってくらいキマってるよね。

絶対肉食だろお前、ってわかりやすい顔をしている。強そう。めちゃくちゃ凶暴そう。手がちっちゃいのは可愛い。




これは自分の父親に似てる…と思った恐竜。
頭蓋骨のフォルムがパッパを彷彿とさせる。

目が窪んでる感じもパッパを思い出させる…



「見てー!これママの太ももみたーい笑」と子供がでかい声で笑っていた。恐るべし純粋無垢。

やーい、お前の母ちゃんカイギュウ〜〜


ヘラジカとかマンモスとか、とにかく大きくてカッコいい標本がたくさんあるんだけど、やはりグッと胸にきたこのコーナーをぜひ見て欲しい。



進化の袋小路コーナー。

フォルムが…
なんかこうフォルムがさ…
いやフォルム!!!!


ここで進化の枝分かれが終わったんだなと、試行錯誤の末の苦しさみたいなものが伝わってくるようで、ここだけお墓みたいだなって思った。


より強く、より賢く、生き物は進化を重ねて、それぞれ独自の方向へ形を変えて生きてきたワケだけど、もちろん「あー。この道違ったっぽいわー」みたいな進化も当然あるわけで。
恐竜映画でカッコよく描かれない側の恐竜を見たのが今回初めてだったので、なんだかすごく心にくるものがあった。

こういう生き物が地球に存在していたんだと知ることで、こうして骨を見ることで、まるでお墓参りをしているような気持ちになる。
きっと彼らも、こうして誰かに「存在していたこと」を知ってもらうことで、報われるのではないだろうか。
自分がこの子だったら、きっとそう思う。見てくれてありがとね、って、あとはよろしく頼んだぜって、笑うと思う。
そんな風に思った。


そして、このコーナーを見て私は思った。
骨がスマートなヤツしか勝たん!と。


親知らずを抜いてから噛み合わせが合わなくなってきてて、歯並びが悪くなってきてるんだけど、このコーナーを見て「早急に治したい」と思った。

だってね、進化の終わりを迎えるやつは、揃いも揃って骨がなんかスマートじゃないのよ!!!!!(個人的感想です)


シュッとしてないの!!!フォルムが!!
みんな、どこそこ鈍臭そうじゃない??


噛み合わせがしっかり合う=良く噛み、アゴの筋肉が発達=たくさん食べれて栄養を摂取できる=エネルギーを自分に使える=思考の幅が増える=進化の可能性が拓かれる……


みたいな、生命の方程式が脳裏に浮かび、「歯並びを制するものが進化を制す」みたいな、歯科医師の桜木花道みたいな思考になってきて、帰り道は歯列矯正の専門医を探しながら帰ることとなった。

私だって進化したいし、、、
進化の袋小路に迷い込みたくないし、、、泣












「何を見るか」よりも「それを見て何を感じるか」。
それが「感性」であって、
博物館や美術館へ行く目的のように思う。



この博物館は、来年には一般公開をやめてしまう。2023年の3月までしか見ることができないらしい。
ぜひ、見れなくなってしまう前に一度訪れて見てほしい。
気が遠くなるほど大昔の生き物が重ねてきた進化の階段、命の足跡に、きっと各々感じるものがあると思う。


帰りに港でハイボールとサーモン炙り定食を食べた。イヤホンから流れるBGMには、大好きなテニプリの曲が流れている。

心は小学生、身体は34歳。
自分のお金で自分の行きたい所へ自由に行ける。大人だから酒も飲めるし、好きなものだけ食べてても怒られない。

34歳の夏はアツイ。
どこまでも自由で、幸せだなぁと感じる。

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