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マイリー•サイラスを超えて行く

フォロワーさんからDMを頂いた。
「マイリー•サイラスの曲を聴いてたら、寿さんのことを思い出しました」という内容だった。

マイリー•サイラスが誰なのか全くわかっていないままリンクを押すと、私でも聴いたことある音楽が流れてきた。

花なんて自分で買える
自分1人の名前を砂浜に書いたり
何時間も1人で話すの、あなたの理解できないような話を

1人でダンスに行ける
自分の手は自分で繋げる
私は、貴方よりも上手く私を愛せる

Miley Ray Cyrus / Flowers



なるほどな、と思った。
自分ってそう見えてるのか、と思った。
それと同時に「この歌に出てくるコイツ、なんか嫌だな」と思った。

前も書いたけど
「男でも女でも、漠然と異性を憎んでいるヤツはカビ臭い」。
人に期待しなくなった人、1人で完璧になった人って、果たして本当に幸せなのかなと疑問に思う。


失恋の直後は「あなたが居なくても私は幸せに暮らせますし!」という強がった心理状態になるのは身を持って体験してるしよーーくわかるんだけど、何年も経ってるのにいつまでも根に持って、相手だけじゃなくて相手の性別の人間を丸ごと憎み始めたら、それは世界の終わりである。

憎い気持ちは確かにわかるが、主語をデカくしたら負けだ。戦争が勃発してしまう。あなたを傷つけた相手が最低だっただけで、別に男の全員が、女の全員がその人ではないのだ。憎しみなんて、極力持ってない方がいい。出来るだけ日光に浴びて、そんなカビ臭いものは手放してしまえと思う。だって、カビって臭いし。

人に期待しないほうがいいとか、人のことなんか信じられないから最初から疑って見るべきだとか、
そういう類のことを言われるたびに心が死ぬ。
もうかれこれ数千回は死んだ。でもまだ生きている。なぜなら「私は人のことを信じたい」と思っているからだ。

性善説を信じ過ぎだと、これまた何度もご指摘を受けてきた。その度にやっぱり心は死ぬ。かれこれ数千回は死んだ。でもまだ私の心は生きている。なぜなら「人間は生まれ持って善」だと、他の誰でもない私が今も信じているからだ。

人に期待をしない人生ってつまらない。誰も信じない人生って、何なんだろうと思う。

「誕生日にリムジンで王子様が迎えに来るかも!」みたいなお花畑な期待なら、それは妄想でしかないし、お馬鹿さんだねと思うけど、
そうじゃなくて、
自分の人生に夢を持って暮らすというか、
明日はもっとよくなるとか、来年はもっと良い一年になるぞとか、そういうざっくりとした期待は持ち続けてないと、人ってダメになっちゃう気がする。未来が明るいと信じてないから、人の優しさを必要以上に疑ったり、試したり、勝手に見限ったりして孤立してしまう。

孤独と孤立は別物だ。孤独には美しさも気高さも楽しさも含まれるが、孤立には悲壮感しか感じない。確実に良くないことの一つなのだ。


「明日はもっといい日になるよね!ハム太郎!」と、ロコちゃんが言ってるみたいに、
私たちは漠然と「明日」に期待をして良いのだ。というか、してた方がいい。それくらいの気持ちで生きてた方が楽しいから。

「どうせ明日もたいしたことない日が繰り返されるだけだね、ハム太郎!」なんて、もはや呪いじゃん。呪詛師のロコちゃんかよ。もしかして黒魔術とかやってる?ハム太郎って黒魔術の道具なの?毎日暗い言葉をかけて育てたハムスターの耳とかを鍋で煮込んで誰かを呪ったりとかするの??ねぇ、そんな陰鬱なロコちゃんはイヤなのだ……

漠然と、未来が明るくていいんだよ、人に期待したっていい。その度懲りずに裏切られて、傷ついても、人に期待しなくなるよりずっと良い。

めちゃくちゃに傷ついても、明日また誰かの「優しさ」を信じられる人は強い。
だってその人は、自分がズッタズタに傷ついても、明日また誰かに優しく出来るってことだもん。
圧倒的に「光」だ。善人だ。
人は自分の出来ることは信じられる。
だって自分が出来てるんだから。で証明される。
自分が善人であろうとする限り、他人の善意も信じられる。他人の幸福も願えるし、他人の優しさを尊重出来る。
多分、こういうのは自己完結させてしまったらダメなんだと思う。人には甘えていいし、助けてもらったっていい。これは案外難しいことだけど、人と関わって生きていくことを諦めちゃいけない。自立しろと世間はいうけど、それはそれとして、1人で何でも出来るようになっちゃいけないんだ。本当の自立は「人と上手く関わって生きて行けること」であって、「1人で何でも出来ること」ではない気がする。


他人を疑うなとか、なんでも鵜呑みにしろと言ってるわけじゃない。
裏切られたらそりゃ傷付くし、凹むし、次もまたそうだったらと思うと、私だって当然ながら怖いんだけど、
だからと言って、
「私は1人でいいんです。」「私って完璧だから1人で全然生きていけるんです。誰の助けもいりません。」とつっぱねだして、全てが自己完結している人ってなんか違和感がある。いびつだ。見てて辛い。そいう時期があるのはわかるけど、永遠にそのままじゃ本人も絶対楽しくない。我慢大会が楽しいわけないし、長続きするわけがない。ツライ人間が周りの人を幸せに出来るわけないから、人も寄りつかない。孤立した無敵の人になるのが強さなのか?幸せなのか?なんか、違くない…?



「私は1人で完璧」なんじゃなくて、
「1人でいても完璧だけど、あなたといたらより最高」くらいの気持ちでありたいのだ。

強い女はかっこいい。でも、しなやかな女の方が私は好きだ。
強くあろう、強くあろうとすると、固い甲羅が完成する。その中に収まっていようとするから、自分が小さくなるしかない。
逆に、しなやかにあろうとすると、自分の器が大きくなる。柔よく剛を制す。強かったはずのティラノサウルスは絶滅したが、ゆるっとふわっと生きてるパンダは今も生きている。なんならぬくぬくと太って人に愛されて暮らしている。本当に強いのはどっちだ。

1人で生きる強さより、本当に強いのは、人と柔らかく接していられる優しさだ。
傷付けられても、同じ刃物で人を傷つけないこと、一体何人が出来るだろう。意外とコレって難しい。
人間の中にある汚さも狡さも卑怯さも知った上で、それでも人に優しくあろうとする心があるなら、それが1番強くて、1番美しい。
少なくとも、今の私はそう思う。

マイリー•サイラスが歌ってるように、
確かに私は花を自分で買えるし、
砂浜に1人で自分の名前も書ける。
人に理解してもらえない話も自分と話せるし、
1人でダンスも出来る。
自分の手も、自分で繋げる。
私は、貴方より上手く自分を愛せるけど、

だからと言って、私は世界に絶望なんかしてない。

明日、もしかしたら新しい誰かに出会って
誰にも話せなかった話ができるかもしれないし

明日、もしかしたら誰かの優しさに触れて
考え方が変わるような出来事があるかもしれない。

いつもコツコツ頑張ってるねと、実は誰かが見ていてくれて、それを伝えてくれるかもしれないし、
私が40になっても50になっても、運命の出会いがあるかもしれない。

嘘をつかない誠実な男性に出会うかもしれないし、それが男かもしれないし女かもしれないし、人間かもしれないし犬かもしれないし、出会えるかもしれないし、出会えないかもしれない。

幸運があるかもしれないし、ないかもしれない。
でも「あるといいな」と思ってる人にしか、幸運は訪れない。


人のこと疑ってばかりいて、人のこと信じられないと思っていたら、多分幸運を見逃してしまう。心を閉ざしてしまったら、新しい素敵なものは永遠に入ってこないから。

知らない場所に行って、知らない人と話そう。柔らかい心のまま生きよう、意地悪して楽しんだり、やられたことをやり返して満足なんかしてないで、純粋に好きなことを好きでいようよ。その方が、楽しいよ。


花なんて自分で買えるけど、
もしかしたら、いつか好きな人に贈ってもらえる日が来るかもしれないし、

確かに自分のことは自分でも愛せるけど、
私よりもっと上手く、私のことを愛せちゃう達人に出会うかもしれない。


そう思うと、なんか笑っちゃうよ。

やっぱり、人に期待してていいと思う。
傷ついてもしなやかに生きて、
たくさん笑って、楽しんで暮らしたい。

これは私の考えだから、誰かに強制するつもりもないし、理解してもらえなくても全然いい。
ちょっと昔の自分に言っても信じてもらえないかもしれないけど、今の私はそう思ってるよということ。この心の変化、丸ごと抱きしめたいね。


明日もいい日になるね、ハム太郎!って、
毎日、楽しい気持ちで眠りにつきたいな。

お金も美貌もあったもんじゃないが、私はマイリー・サイラスを超えて行く。

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