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映画を観に行った日記

在宅で働かせてもらっているので、一人暮らしの私はとにかく「会話」をしていない。

毎日業務開始30分前に起きて、豆乳とバナナを食べる。働いて働いて、21時ころに仕事を終えて、リングフィットとかヨガを30分くらいやってお風呂に入って7時間眠る。

それを淡々と繰り返す毎日。

仕事に不満はない。
絵に描いたような規則正しい生活。
それでもストレスはたまる。
土日がつまらなすぎて、生きてる気がしない。


土曜の朝、終わらなかった仕事をやっていたら、「あ、もうマジで無理。」と思った。


ずっと外出を我慢してたけど、マジでもう無理、発狂する。このまま今日仕事してたら多分私、死んじゃう、と思った。
焦燥感に駆られて、私はパソコンを閉じて家を出た。


情緒が不安定な33歳なので、なんか音楽でも聞いていようと思い電車の中でたまたま宇多田ヒカルの曲を聴いていたら、良すぎて泣いてしまった。すすり泣いていたらあっという間に海に着いた。


お台場まで出て、外の空気を吸った。
外は雨で、寒くて暑くて気持ち悪い。
マスクのおかげで潮風も感じない。
思ったより混んでて、決して良い雰囲気ではない。
それなのに10分歩いただけで「なにか」が生き返えってくるのがわかる。

息が吸える。
ちゃんと息を吸える、肺に空気が届いている!と思った。
外を歩いているだけなのに、気持ちいいのだ。
シャバの空気はうめぇな!ガハハ!みたいなテンションになってくる。


家以外の場所を歩くって、こんなに楽しかっただろうか。





その後、ずっと気になってたOLDという映画を観た。

とあるビーチに行くと急速で歳をとってしまうという、M・ナイト・シャマランの映画だ。
最後まで見て鳥肌がたったし、とにかくすごく面白かった。

情緒が不安定な33歳なので、作中で何度も泣いた。
多分普通は誰も泣いたりしない映画だけど。色々思うことあって、すすり泣いた。



私は「妖怪・啜り泣き」なのかもしれない。
事あるごとに感動したり傷ついたり、最近はずっとすすり泣いている。


ワクチンを打った日も、打った後に具合悪くなって倒れそうになったら、看護師さんが助けてくれたんだけど、その時もすすり泣いていた。

「忙しくて大変な時にすみません…」と言ったら、「気圧の低い日は倒れる方多いんですよ、今日は快晴だから倒れたのはあなたが初めでですけどね!アハハ!!」と笑いながらも、
「まだ暑いから、気をつけて帰ってくださいね」と、雑談しながら会場の外までお見送りしてくれた。

こんなに大変でストレスフルな状況下で、看護師さん達の方が大変なのに、どうしてこんなに優しくあれるのか…と思うと胸がギュッとなって、帰り道一人で静かにすすり泣いた。

帰りのコンビニでレジにいた80くらいの腰の曲がったおばあちゃんが「いつもありがとうねぇ」と言って、袋を渡してくれた時も、

「いくら高齢者でワクチン打ったからって、コンビニで笑顔で働いてるなるなんて、ばあちゃん偉すぎるよぉ〜」と思い、勝手にすすり泣いて帰った。

こんな調子で、最近ずっとすすり泣いている。



「こんな時期だから、改めて家族や身近な人達に感謝を」みたいなクソ記事が流れてきて、
「こんな時期じゃなくても身近な存在には感謝しとけよ」と心の中でヤジを飛ばしながら、
周りに人がいない、と感じている私は一体何に感謝しろというのだ?と、なんとなく思っていたけど、

家族じゃなくても、パートナーと暮らしていなくても、感謝すべき対象は無限にあるものだと思った。

心の中に取り憑いている「妖怪・啜り泣き」が顔を出す時、その相手に感謝をすれば良いだけなのだ。

宇多田ヒカルの「play a love song」を聞いてすすり泣いたから、宇多田ヒカルにファンレターを出そうと思ったし、
シャマランの映画ですすり泣いたから、シャマランに手紙も書いてみようと思う。

看護師さんの優しさにすすり泣いたから、看護師さんたちの感謝をどこかに投稿しつつ、今後看護師さん達の給料が少しでも上がるように政治家にリプし続けたいと思っているし、
腰の低いコンビニのおばちゃんには「いつもありがとうございます」ってちゃんと目を見て言うし、レジ横の募金箱に募金すると、いつもはちゃめちゃ褒めてくれるから、今後も小銭を募金し続けるよ。


心の中に、たった一人愛してる相手が居てくれたら、こんな時期でもきっともっと心穏やかだっただろうなと
正直、そういうことを考えて、未だに何度も何度も泣いたりするけど。

世界には、好きな男以外にも人間は沢山いるし、
私を大切にしてくれない男のために泣く価値なんて無くて、

そんなことより、家族じゃなくても、友達じゃなくても、関わってる全ての人に感謝を感じたら「ありがとう」ってちゃんと伝えれば、自分の中にまだちゃーんと「愛情」みたいな優しい気持ちが存在してることに気が付いて、自分の方がまた少し優しい気持ちになれる。

そんな他人からの感謝で何も変わらないよと言われるかもしれないけど、
人に感謝を伝えることで自分が勝手に優しい気持ちになれて、穏やかに暮らせるなら、別に迷惑をかけてるわけじゃないし、それくらい許されるだろう?!と思って過ごしている。


「ありがとう」と「大好きだよ」は
いくらあっても困らない。

腐るものじゃないんだし。

大切な人にはどんどん伝えてこうね、と
心の中の妖怪・啜り泣きに言い聞かせているのであった。

このお金で一緒に焼肉行こ〜