私はお前と友達になんかなれそうもない。

人の顔って履歴書だって思いますか?それとも領収書だなって思いますか?


私、女の顔は領収書だと思うんです。年を取ってもキレイな人は、時間も手間もお金もかけてる。沢山の人に愛されて生きている人ほど、顔も雰囲気も愛くるしくなる。

これが心底憎たらしい話で、
生まれもって可愛く産まれた女は愛されるのが当然だとばかりに胸を張って生きてやがるんですよね。

そうすると、キラキラしたオーラを振り撒きながら生きてる似たような人種と出会って、そこに更なるキラキラのビッグバンか生まれる。
キラキラの連鎖、星屑のパレード、流れ星の雨嵐。眩しすぎて明日が見えない、なんなんだよお前達は。

笑ってしまうほどに、そのループが心底憎たらしい。

卑屈になって生きてる私の回りには、当然そういうキラキラ女は寄ってこないかと思いきや、『あんた顔もでかいし隣にいれば私が小顔だとSNSで認定される!』と確信してなのか、思いもよらないことで美人は私の回りに寄ってくる。

寄ってきても私から壁を作ってしまうんだけど、私は大人になってしまったので、その壁を見せてはならないことを知っている。
壁は、見えないような内側に作るものであって、常に防御壁として機能させなければならない。壁があると思われたら負けなのだ。

心の中で

『お前とは違うんだ、お前のように楽して生きてないんだ、こっちは泥水啜りながらスラム街で命を繋いできた顔面スキルなんだよ、こちとらヒアルロン酸なんて打ったことねぇんだよ、ブスのマウンティングジャブなら日々連打してるけど、ビタミン剤もヒアルロン酸もボトックスも打たねぇんだよ、私のそばに近寄るんじゃねぇこの箱入りアラサーババアが!』

と、溢れ出す憎しみをブリキの缶詰めに押し込めて、それとなく平気な顔をしてやり過ごす。

そうするとね、彼女達は口を揃えてこう言うんです。

『ホントに優しい!友達になれそう!』

私は昔から「性格良さそうな顔してる」って言われるんです。

自分ではそう見えないし、案の定性格がいいですよ私!と言うほど、安定した嘘をつき通せるほど、人間として出来てるとも思わない。


美人で楽して生きてる女に出会う度、『なんでんな腐れビッチが結婚できんだよこのクソ虫野郎が!』と、心の中で罵らずにはいられない。

なのに美人達はこぞって言うんです。

『性格がいい!優しい!友達になれそう!』ってね。

 


こっちは、全然そう思えねぇよ!!!


誉めるところが顔にないから、そうやって言うんでしょうね。わかります、私も自分の顔面を決して誉める気にはなれないですから、せめて性格は人より優しくおおらかであろうと心掛けていた時期もありました。

社交的モードの自分が、引くほど丁寧かつ取っつきやすい仕様になるよう、27年かけてプログラミングしてきたんですから、誉められて当然です。それは言い過ぎかもしれないけど、美人達が男からとっかえひっかえご飯やらバッグを奢ってもらって笑ってる間、こっちは人の悪口を言わないとか、比べても仕方ない事は比べないとか、もはや修行僧のように悟りの境地を目指して世間の滝に打たれ続けてきたんですから、初めて会う人が私を『いい人そう』と認定する理由が自分でよくわかります。

でもね、違うんです。

私だってキレイになりたいんです。

あんた達みたいに、無邪気に人の心にずかずか入れる術を知りたいし、あんた達みたいにキレイという万能パスポートを手にして、あんた達みたいに楽して人生送りたい。

好きでもない男に花束もらってみたり、好きでもない男にバッグもらったりしてみたい。

その男がどうなろうと知ったこっちゃないけど、『自分は愛されている!』というポイントカードをメチャメチャ貯めてほくそえんでみたい。

それがまったく意味を成さない愚行で、何の得にもならないことを理解した上で、改めて思うけど、美人はホントズルい。


その無邪気さ、根拠なく生まれてくるその自信、私だって同じ化粧水使ってるのに、どうしてお前はそんなに色白でタマゴ肌なのか。旦那の金で苦労しないで買ってるからか?結局、女の顔は領収書なのか?

羨ましい、本当に羨ましい。美人なんて、みんな大嫌いだ。滅びろ、そして友達になれそう!とか言うの辞めろ、なんで上から目線なんだ?頼まれてもならねぇよ、この、薄っぺら美人。汚いジジイに抱かれて死ぬがいい!

『私は、お前と友達になれそうもない!』

このお金で一緒に焼肉行こ〜