「愛している」は言葉にすると、急に安っぽくなるから困る。
自分の彼氏に対して「あ−−−もうダメ!好きすぎる!!」と思う時ってありませんか?
この気持ち自体は、恋愛をした事のある人ならきっとわかると思うんですが、この気持ちの紆余曲折を関係の無い人が延々聞かされたりするのは、なかなかキツいものがありますよね。
聞き手も辛いし、話してる本人も痛々しい。少なくとも私はそんな気がしてしまい、周りの人間にのろける事はないよう、心がけています。
この「いかに彼を愛しているか」という暑苦しい熱量を、いったいどうしたらいいものか。
恋愛下手でオタクでこじらせだった私は、ひとまずこの気持ちを落ち着かせるために、携帯に気持ちを吐き出したり、彼本人にこの有り余る愛情を伝えるべく孔雀の様に翼を広げたり、野生動物の求愛ダンスのように全身で表現してみたりと、精一杯の工夫と、面白さへシフトチェンジして重くならないようにする努力を織り交ぜ日々を過ごしているのですが、これは果たして伝わっているのでしょうか。
そんな疑問が頭をよぎる時が、多々あるのです。
愛しているって、なんだったら証明出来るわけ!?
例えば、私が金持ちのジジイで「これは君を愛している証明さ!」と現金を積み上げて彼女に貢いだり出来れば、相手は納得するでしょう。
仮に私が野球選手で、「今日の試合で、君だけの為にホームランを打つよ!」と、東京ドームの壁を突き抜けんばかりのホームランを打ってウインクでも可憐に飛ばしたりできるのなら、相手はやっぱり納得するでしょう。
ところがどっこい、私にはそれらのスゴ技を繰り出すほどの経済力も無ければ、スペックもない。
肩書きもないし、特別素敵な魔法も使えない。顔はまあまあブスだし、ぽっちゃりしてるし、森三中と、おかずクラブの2人にはすごい親近感を感じているレベル。
でも証明したい、あなたが好きだ!と理解してほしい。
だから料理を頑張ってみたり、掃除洗濯してみたり、でもそれって一緒に住んでたら女がやって当たり前みたいな所が日本人にはあるから、それを上回る何かをしなくちゃならない。
何をしたら、彼は喜んでくれるだろう、笑ってくれるだろう、私でよかったと思えるだろう。
そんな事を考えているとキリがない。
しかも自分が相手だったら、1日中そんな事考えてる女はめちゃくちゃに重い!!と自分でも思うので、そんなに取り憑かれて考えている訳じゃない事だけはわかって頂きたい。
でもいつも考えてはいる。だって、愛は行動で示したい。
だって「愛している」は言葉にすると、すごく安っぽいんです。
嬉しい言葉なのは間違いない。でも、言葉に変換した途端になにかが変わってしまう。ラピュタ石が空気に触れると一瞬で輝きをなくしてしまう、そんな感じです。
さっきまで手のひらでキラキラしてた光が、パーンと大きく光って、ゆっくり光を失ってしまう。私が「愛している」の言葉にした途端、その気持ちがなんだか嘘くさいような、ドラマで見た何か真似事のような気がしてならない。だから、私は行動で表したい。
愛しているから、彼が疲れて帰って来た来た時は肩や足をもんでみたり、シャンプーしてあげたり、体洗ってあげたり、もうそれは日課みたいなものだけど、そうやって行動で表した方が、嬉しいじゃないですか。やってて私も楽しいじゃないですか。いくら口で好きだの愛してるだの並べるより、愛されてるなーって、感じるはずじゃないですか。
愛してる、の中に含まれる意味合いを並べてみた。
他者からすると気持ち悪い事間違いなしなのですが、気持ち悪いと言われるのを承知で言ってしまえば、私は、自分の恋人の鼻毛の一本まで愛おしい。
この事実に気が付いた時、私は自分自身でも驚いたのと同時に、なぜかすごく嬉しくなった。
耳毛に白髪があるのを見つけた時は『わしが第一発見者じゃ~~!!』と心底喜んだし、私の作ったご飯を食べ続けた結果、少しぽっちゃりとしてきたお腹も背中も、狂おしく愛おしい。大好きなので毎日触りたいと思う。くるくるの巻き毛も、いたずらな八重歯も、健康そうな足の爪も可愛いし、時々織りなすセンスある言葉のパレードも彼の大きな魅力の一つだと思う。
いつも陽気で、明るくて、実はすごくしっかりしていて、超人的な行動力を持っていて、でも管理能力は皆無だから水道が時々止められるし、書類の束が地層を描いたり雪崩を起こしたりする。そんな所も含めて大好きだ!と思う。
『酒よこせよお~~』とワイングラスを強引に押し付けてくる、とろんとした瞳も大好きだし、『殿、お酒でござります~~』と膝まづき、献上プレイをするのも、毎度の事ながら飽きることなく楽しい。
もしも私が先に死ぬようであれば、彼の手を繋いで彼の温もり感じながら死にたいし、暗くて狭いお墓には入りたくないから宇宙葬にして!!と話した際には、彼は笑って、GPS付けてあげるね!と言ってくれた。
でも出来る事なら、一緒に宇宙葬にして2人でスペースデブリになりたい。文字通り星になって、二人で永遠に宇宙を旅したい、お盆の頃になったら地球にいる家族や生きてる友人達に、『あー、あいつら今日はこのへん通るかなー?』と、星空見上げて思い出してもらうのもロマンチックだ。
非常に夢がある。
さて、これがざっくりとした「愛している」の中に含まれる意味合いである。
どうですか、、、やっぱり言葉にすると気持ち悪くないですか?これ、自分で書いていてもウッ!重い!読んでる人かわいそう!ってなりました。。。
愛してるって、やっぱり気軽に言葉にするもんじゃないです。大切な時に、言葉にして確かめたい時にだけ、口にすべき日本語なんだと思います。善光寺の御開帳みたいな感じで、数年に1度くらいでいいんです。そうじゃないと胸焼けしてしまいそうです。。
適当に発する甘い言葉より、思いやってする行動にこそ、愛があるはず。
愛してるという素敵な感情が、安っぽくて陳腐な物にならない為に、これからもっと行動で、気持ちを表せたらいいなと、思うのでありました。
このお金で一緒に焼肉行こ〜