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ランラン・ランラン

「ランラン・ランラン」と口ずさみ、笑顔で上機嫌にしているかと思えば、急に「もう帰る。どうなっとるんだ!」と怒り出す。

本当に認知症の方は人それぞれBPSD(周辺症状)に違いがあって、驚かされることが多い。

基本的には上機嫌。デイサービスにいるほとんどの時間は「ランラン・ランラン」とニコニコしながら口ずさんでいる。

フェイスシート(利用者さんの生活歴などが記載してある資料)を見ると、もともと音楽が大好きだったとか、楽器をしていたとかは書いてないんだけど、ずっと「ランラン・ランラン」と口ずさんでいる。

脳内で音楽が流れているのだろうか。

確かにぼくも、中学生の時に聞いていた音楽は今でも覚えている。ミスチルの「星になれたら」は今だに歌えるし。最近ではヒップホップにハマっているからヘビロテしているラップが頭の中で流れている。

漫才をしているとき、音楽ってズルいなぁと思うことがあった。一度に届けられる観客の人数が違いすぎる。それがズルい。
漫才は300人くらいの劇場がちょうどいい。それ以上ハコが大きくなると表情や動作が見えなくなるし、たとえ巨大なスクリーンに移したとしてもマイクの音響が響きすぎて笑い待ちの時間が多くなりテンポが悪くなる。
一方で、音楽のライブは武道館とかドームとか、万人規模のコンサートでも成立する。パブリックビューイングなんてのもある。

友達の付き添いで「GLAY」のコンサートに行ったことあるけど、豆粒ぐらいで「なんやそれ」ってなったし、野球もサッカーも誰が何してるかわからんくて「ああ、雰囲気を楽しむものなんだな」って、ぼくはまあ、映像でいいかなって。
それかライブハウスの規模ぐらいがいい。竹原ピストルがソロになったばかりでまだドサ周りしてた頃、ぼくはライブバーに足を運んでいたのだけど、ぼくのほぼ隣で歌ってたことがあって。
譜面台が見えて大学ノートに歌詞とコード進行が書いてあるのを見ながら歌を聞いてたり。今考えれば贅沢だったなぁ。

というか、ぼくは300人キャパの劇場で漫才したことはないのだけど。

その利用者さんは、脳内でどんな音楽が流れているのだろうか。「ランラン・ランラン」は、メロディーがないから曲名まではわからなかった。

その利用者さんは、排泄の欲求を自覚・認識することができない。だから定期的に声掛けをしてトイレへ誘導する。

デイサービスに来た時に1度、昼食前に1度、昼食後に1度、帰る前に1度、最低でも1日に4回は誘導する。

「〇〇さん、お手洗い行きましょうか」ぼくは利用者さんに声をかけた。

たとえ本人が「行かなくてもいい」と言ったとしても、トイレに行き座る動作をするとだいたい排尿がある。

本人の意思を尊重した介護。ではないのかもしれないが、認知症対応というのは「その上で」という接し方が大事なのではないかと思っている。

「したくないって言ってるからいいですか?」といって誘導しない介護職員がいるが、申し訳ないが、ぼくはその利用者さんの言葉を疑ってかかる。

排泄の失敗をすれば心に負うダメージは深くなるし、排泄の周期もある程度把握しているなら習慣として決まった時間に誘導する方が親切だと思うからだ。誘導するほうが怠慢なのか、誘導しないほうが怠慢なのか、これは介護職員で意見の分かれるところだろう。

想いも必要だが、システマチックに接することも認知症介護には必要なのだ。自分の感情に左右される介護を利用者さんにしていては、生活が担保されない場合がある。

「さっきから何を言ってるんだ!俺は帰る!」ぼくの声かけに対して、利用者さんは怒鳴る。

ぼくは丁寧に声をかけたつもりだったが、利用者さんは急に怒り出してしまった。

びっくりはする。けれどそのことに対して怒ったりはしない。

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