メガネについて

書くことがない。いや、書くことがないというよりも書くことを意識して生活をしていないので、1日を振り返った時にどこに焦点を当てて書いていいのかがわからない。
なのでテーマが見つからず、ただ一日の行動を羅列しただけの文章を書くことになってしまう。
特に気になることもなければ、発見や課題になることも見つけてはいない。
自分への興味も著しく欠如している
そんな書く資質を疑われる中、現時点で特に気になる事がある。それは、メガネが頻繁に滑り落ちて、気づけば老眼鏡をかけているようになることだ。
メガネは4年ほど前に買ったのだが、メガネをかけた時に、鼻に鼻当てを当てるポジションがいまいち掴めずその煩わしさで鼻当ての位置を無理矢理広げたて過ごすことにした。その結果、鼻当てが鼻の付け根にフィットするのではなく小鼻にフィットするようになってしまったのである。
そしてその状態で使い続け、4年で鼻当てのグリップ力が無くなり下を向くとずり落ちるようになった。
これにはストレスが溜まる。本を読んでいる時もレンズとレンズの繋ぎの部分を中指でひょいと鼻の根元あたりまで突き上げ、ストレスが溜まらない位置まで戻す。
するとすぐにツーッとまた鼻頭まで滑り落ちてきてまた、中指で居心地の良い位置まで戻す。
本来、中指でメガネをひょいと上げる仕草は、何かを詳しく解説した後や皆が解けない問題を解けた後などに、周りの人間に自分の知力をアピールをする仕草だ。中指でレンズとレンズの真ん中を押すという、ほんのわずかな動きから、自分はメガネをかけるほど本をよく読み常に高い吸収力を持った知的好奇心がある人間だということをいかにも周りに振り撒いていることがわかる。
この仕草は高校の英語教師がよくしていた。
教師が教科書の英文を発音良く読み終えると、メガネを中指でひょいと上げ「君たちには今の話の意味がわかるかな」と、今から教わろうという姿勢の生徒に向かって自分の方が知性が高いというアピールをしていた。
たしかに、知性は高いかもしれないが、生徒という教わる立場の人間に、その知性を競おうとした教師の品性は疑われるべきものだ。
しかし、自分の通う高校は学力はそこまで高くなかったので、その教師からすると「お前らみたいな馬鹿になんで、この俺が教えないといけないんだ」と、教師としてのプライドが汚されたことからこのような知的アピールをよくしていたのかもしれない。
そう考えると、この学校に配属された悔しくさ憎たらしさを考えると教師としてのプライドが授業の邪魔をするのは致し方ないのかもしれない。
そんな教師に知的アピールをされながらも続いた、その年度最後の英語の授業は、いつも通りの英語の授業ではなく、ウルトラセブンを見るという授業だった。
以前から授業中の余談として、ウルトラセブンの話をよくしていたので、いつもの授業より違和感はあったが、何も不思議なことではなかった。
その授業で改めてウルトラセブンを見ると、他のウルトラマンとは違って体が小さくなったり大きくなったり、ただ怪獣がやってきて闘い倒すだけではなく闘うまでにドラマがあり、これまでのウルトラマンシリーズとは一線引いた物であることがわかった。
そのなかでも驚きなのは人間から変身する事だ。主人公が赤い縁の太いメガネを目元に持ってくると、瞬く間にウルトラセブンに変身する。メガネがこの作品の重要なアイテムだ。
本来、メガネは視力の補助をする物であり、どちらかといえばクラスを力で牛耳っている人間よりも脇のほうでコソコソしている人間の方がメガネをかけている確率は高かったりする。
当時の子どもの見る作品としてはメガネで主役になれるのは希望が持てる作品だったんだろうなと感じた。
そんなウルトラセブンが星人と闘っている時にモニターの横にいた教師をこっそりと見た。
すると、教師はゆっくりとこちらを見てメガネをひょいと持ち上げニヤリと片方の口角を上げ笑った。 
あの時、確かに教師はウルトラセブンに変身した。

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