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平和な社会で行われる政治はコズミックホラーのように失望と絶望感をもたらすのではないだろうか?

 ”平和な”というのがポイントだから、先進、後進かかわらず、戦争状態でさえなければよかろーの心である。はあ、コズミックホラーと戦争の相性は良くないように思われますから。イエス、目下戦争状態にあるのに、さも人は、これ以上何を恐れればよいのでしょうか。名も知らぬ神話は、恐るるに足るものではないのです。まぁその恐怖を誰も存じ上げません。

 戦争が狂気的なモノだとして、

 非常に興味深いことに、人は、平和な世でも狂います。

戦争は、病です。

平和な時代にも病はあります。戦争は、病の直接的な原因では

ないのです。平和な世で行われる政治

は、無意味であり無価値です。戦争に対しての備えなのです。

つまり、平和が人の本質であるならば、人は、気が狂う狂気的な生き物だということになります

 逆に狂気的な闘争が人の本質であるならば、やはり、きがくるっています。


何かがおかしい( ^ω^)・・・

戦時下ではコズミックホラーの様な恐怖は起こりえない。対して、平和な時こそ真価を発揮するのはどういうことだろう。目立つからだろうか?

狂気が際立つ。

平和な時にこそ。

争っている最中に戦争の映画は見ない。

もし、見るとしたら、落ち着くためだろう。

生き残る為の手がかりをそこに見出そうとする可能性はある。

やはり、作り物だから。

でもこれは今の話に関係ない。

ここまでを綜合すると

創作物のホラーは、恐怖ではなく、むしろ人に安定や安心感を与える可能性がでてきた。

まぁ、でもこれは、特筆することでも、驚くべきことでもないかもしれない。本当に嫌なものならだれも見ないはずで流行るわけがないからだ。

実際、俺の書く記事の方がよっぽど人に不安を与えるのではないか?

私が書いて明らかにしようとするのは、現実のことだからだ。

創作は、人に安定や安心感を与える。

そう考えると、意外な真実が浮かび上がってくる。


政治には、創作が必要なのだ!ある程度。

人に安心感を与えるためにね。

虚構ではなく、創作。

虚構ではあるのだが本質は虚構ではなく、創作という意味だ。

だからクソに見える。悲運に見舞われたように。存在していないかのように。まるで舞台がなっちゃいない!

これは非常に面白い。

気分を伺うってわけだ。

コズミックホラーのように見える理由

創作ばかりだからだよ。人気取りのための創作のせいさ。創作だらけなのさ~。アニメじゃない。本当の事さ。世界が創作で形作られるとき、創造が創作で行われたとき、天地に亀裂が走る。その亀裂に手を入れてなぞったらどうなるかな?直視の魔眼(笑)。どうでもいいけど直死の魔眼にも亀裂って入ってるのかな?創作のないやつには勝てないってことだ。

平和な世の神は、人に促し創作物を作らせた。そして、世界は、創作物だらけになった。

平和な神は、人に新たな日を与えた。そして世界は、火だらけになった。

世界を壊すのは、いつだって創作なのかもしれない。

人に必要なはずの創作が世界を滅ぼす。