書きたいことでしか、生きていけない(けど、それで生きていけるかは別)
週末の朝、たまたま見掛けた青年失業家 田中泰延 @hironobutnk さんのツイートに、福岡行きの航空券の端が写っていたので、何となく調べてみたら、FCC(福岡コピーライターズクラブ)の60周年記念イベントにゲストで来るそうだったので、ふらりとお邪魔してみた。
FCC祭2019:福岡コピーライターズクラブ60周年特別開催
http://blog.fcc1959.com/article/186670405.html
まだ読んでいないものの、著書の『読みたいことを、書けばいい』も好調とのこと。長居はできなかったが、参加していた人たちの多くは当然、コピーライターや、広告関係者っぽい雰囲気だった。なかなか、自分が書きたいようには、書くことができない(と、表面的には思われる)立場の人たちというのも、興味深かった。
しかし、危なかったぞ。私ももう少しで、ボーダー着たり、ハンチング被っていくところだった。世の中、意外と身近なところに危険が潜んでいた。
田中やすのぶさんでしたっけ?にはちと申し訳ないものの、その著書を読む前に、北大路翼『生き抜くための俳句塾』をもう一度読み返している。というのも、恐らくこの2冊は、同じことを違う角度で書いているのだ。『書けないと言っている人たちは、自分宛に書いていない、読み方がわからない』のは、『お前らは感動の仕方がわからないんだ』まんまじゃないか。
私自身、職業ライティングはしてきているものの、所謂「コピーライター」的なポジションに自分が置かれることには、ずっと違和感を感じてきた。若いコピーライターさんが、目を輝かせて『賞を取るのが目標です!』と話す様子も、モヤりながら聞いてきた。今までずっと、制約の中で、事象を心象で切り取ることをやってきたし、それなしでは生きていけないのだ。
しかし、現代ほど、書くことの機会が増え、相対的な価値がインフレしている時代もないのかもしれない。プラットフォームやメディアが変わっても、テキストは、プログラムや写真、音楽と違って、クライアントでも簡単に書けるし、編集できるからだ(少なくとも、そうできると信じられているし、大きな誤解をされ続けている)。その結果、まるでキリンの体にゾクの首が付いたような、未知の文章ができ上がることになる。
今、ニュースサイトのある種のテキストは、AIが自動生成している。経済レポートや天気概況などは、フォーマットがあってファクトベースの記事なら、スピードと正確性の点で、AIが人力を上回っている。ニュースリリースなども、業種やサービスごとにパターン化されれば、そう遠くない将来、大半が自動化されるだろう。また、AIに小説を書かせるプロジェクトも注目を集めている。さらに、最先端のAIは、そのあまりの高精度な成果から、フェイクニュースの生成に悪用される危険性が指摘され、公開範囲を制限されているほどだ。
きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ
https://www.fun.ac.jp/~kimagure_ai/index.html
報道機関向けニュース素材収集のSpectee、ディープラーニングを使った自動記事作成に関する特許を申請 - THE BRIDGE(ザ・ブリッジ)
https://thebridge.jp/2017/05/spectee-files-patent-for-news-writing-bot
「危険すぎる」と言われたAIの自動文章作成ツール「GPT-2」のモデルが新たに公開へ - GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20190821-openai-releases-gpt-2-language-model/
こういう現実を踏まえると、実は「書きたいことを、書けばいい」というより、その人が書きたくて書いたことにしか、意味がなくなっていくのだ。ただし、それを多くの人に読んでもらえるとか、社会的または金銭的な評価につなげられるかは、当然、まったく別の問題だけどね。
それでも、職業ライティングをやっている大半の人が、自分が書きたいことそのものは書けない厳しいレギュレーションの中で、何とかギリギリの自分なりの表現を追い求め続けているに違いない。3流エロ映画の監督のように、深夜番組のテレビディレクターのように。
トークの後半は途中にいろいろ、キラーフレーズが散りばめられていた。意識を内ではなく外に向け、リサーチで事実を積み重ねるのは、プロならではの持続力。確かに。それでも、正論や本質に繋がるところはサラリと流し、途中途中でどうしても混ぜっ返さずにはいられず、適度なボケやツッコミどころを混ぜておくのは、流石大阪人ならではの漫談モード。実は、こっそり空気中に怪しい魅惑の粉物も混ざってたのかもしれぬ。もちろん、本も読んでみます。
しかし、一番貴重だった知見は、グダグダな無駄(に思わせる)トークは、全体の1/3を超えてなお主催者を不安にさせても、その後で回収できればOK!ってことだったかも。
いや、アレを下手に真似すると死ぬよ。全力のスローカーブなんて、誰にでも投げられるもんじゃないからね。言葉と同じで。
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