【生活は患い】表現者っぽいとは

 今日もお仕事お疲れ様でした。学校からの仕事先までの移動中、少し小噺を書いていたのだけど、それより先にこちらをあげたくなってしまったの。許してください。
 ここのところお天気も大きなシーソーのように揺れ動いてますね。いや、ジェットコースターの落差かしら。
 新しいお薬は慣れてきて、眠剤も効果あるようで、しっかり眠気が来るようになりました。情緒が安定してくれたらなおのこと嬉しいのだけど……。天気のせいだ。きっと。
 バイトだけれど、お仕事と呼んでいるのは訳があって、人を相手にするから。それだけ全力で取り組みたいから。バイトの立場でもプライド持ちたいから。
 そんなこんなでさっきの出来事。仕事先で出会った方に、「失望した。期待しすぎたかな。もっと表現者?っぽいと思ってたのに」って言われた。DMで、文面で。
 失望されるのは嫌だ。本当に嫌だ。僕の存在を価値をまた薄くされた気がした。その後に続けられた表現者っぽいと思ってたって言葉も。
 文字で見ると言葉って痛いね。苦しいね。
 書いているその瞬間だけで僕はこの肉体が僕であることの認知と意識が一体となるのに。表現者に見えないと言われたも同然だ。
 今日は離人感が強かった。電車の狭い箱が余計に狭く感じてそこに詰められた自分もどこか知らない顔をしていて、世界がぐるぐると知らないスピードで時を超えていくから、足元から崩れそうになる不安と戦ってた。
 戦っていたのに。一番この世界と繋ぐ手段で人種である表現者を第三者から認めてもらえなかった。
 悔しさより前に、これほど虚しく悲しい思いが漣のように胸の中心に一定間隔で近づいてくる。
 表現者ってなんですか?勝手に期待されてるものだから、関係なく堂々と胸を張れば良いのだろうけれど、ちょっとそれが出来ない。
 今まで世界と自分を繋いできた方法が間違っていたのか。

女々しい文章だ。おめ汚し失礼した。

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