「人のできるだけ奥深く入って、一番隠してるものを知りたい」志良堂正史インタビュー(ゲームクリエイター/使用済み手帳コレクター)

ゲームクリエイターの志良堂正史さんがnote上でインタビュー相手を探していたとき、私はインタビューされたこともしたこともなかったので、どちらもしてみたいと思って手を挙げた。ゲームを創作しながら他人の使用済み手帳を収集したりインタビュー相手を募集してはインタビューを行っている志良堂さんと友達になり会話を重ねて思ったことは、とにかく人に興味がある方だということ。ゲーム、手帳、インタビュー、そして人生。すべてを貫いて、人に興味があり、人とやりとりして生きていこうとしている。

インタビューを行った2014年8月17日の約2か月後、志良堂さんは自身初の使用済み手帳コレクション展を開き、100冊を超える他人の手帳を見るために、会場には述べ75人が訪れた。一人の人の一つの興味が他人の興味を引き付けていく、その根底にあるもの。その一端でも垣間見ていただければ、幸いです。 


【独立するっていうのは、最初のゲーム会社に入った時点で、導かれてる】

伊達 まず、今ある自分がどうしてこうなったかわかる感じで、どういう子供時代でどういうふうに仕事を選んだかというふうに、自分で自分の人生の説明をしてください。

志良堂 小学校のときの大きな出来事はゲームと出会ったことです。下手をすると寝食忘れてやってて、親がびっくりして。快楽をむさぼるようにゲームをやろうとして、それを制限したい親との闘いでしたね。

高校生の時に競走馬を育てるゲームをやってかなり面白くて、それが縁でそっちの方向に進みたいなって思って、高校卒業と同時に北海道の牧場に見習いみたいな感じで入りました。手紙を書いてただでもいいから働かしてくれみたいなことを言ったら、いいよって一件返ってきて。

体験の時にそれまで運動ができなかったのが効いてくるんですけど(たとえば20リットルの水桶を片手で運ばないと馬鹿にされる)、そこでダメでしたっていうのも嫌だなっていう意地もあって、行ってどうにかなるだろうと思って行って。馬がデビューする前の、人が乗ることを慣らしたりとか、言うとおりにスピードを上げたり下げたりとか、人に手入れをさせるだとか。そういうのを教える仕事や日常的な世話をしてました。

伊達 何歳までいたんですか?
志良堂 20とかだったかな。自分がずっと一番新人だったから、一番最初に馬に乗る役とかさせられてたんですよ。馬に鞍を載せるだけでも暴れるのに、人が乗ったら全力で落そうとするんだけど、そこにしがみついて、馬があきらめるのを待つみたいな。それを10頭とか20頭とか毎年やる。正直怖かったですね。落ちて踏まれたらやばいなとかもあったし。

 
伊達 その辺から違うことを考え始めたんですか?
志良堂 それが日常になってたのもどうかなと思ったりして。5時くらいに起きて夜8時くらいに寝るんですけど、その繰り返しもどうなのかなみたいな。他のことをする余裕がなくて。

ちょっと戻るんですけど、高校卒業の時みんな将来のこと考えると思うんですけど、そのときに馬の仕事とゲームを作る仕事と、環境を保全する仕事のどれかがいいなあと思ってて、この仕事はもういいかなと思って、ゲーム作る方もやってみたいなと思って。それで京都コンピュータ学院に行って学んで、競馬のゲームを作る会社に就職しました。


伊達 そのゲーム会社が今も働いている会社ですか?
志良堂 今は違う会社ですね。もともとやっぱりこういうゲームが作りたいっていう好みもあったので。最初はゲームを作れるってことだけで十分にありがたいなって思ってて、プライベートがなくても平気なくらいだったんですけど、欲が出てくるんですかね。こういうのが作りたいよなとか。そろそろ一人でもできるかなあという気持ちも出てきたり。

そのとき横浜に来て、新しい友達もできてくると、ゲームの外も見えてきて。そういう時間をもっとほしいなと思って。会社にも週3週4にしたいって相談したんだけど無理で、30ぴったりくらいだし、そろそろって。気持ちが途切れるとやっぱり駄目なんですかね。こういうのがしたいんだっていうのがよそにあるともう、その状態を長く続けるのはきついというか。

そのころから、勤めながら作ってたものがあって、でも自分がわからないものを作るというテーマで作ってたからやっぱりわからなくなっちゃって。売れるゲーム作ろうって友達とやって、半年くらいでとん挫したり、そのショックもあって半年くらいぼおっとしてたり。会社を辞めて3年ぐらいの間に一つできればいいなあと思ってやったんですけど、一つ自分の好きなタイプのゲーム作れたんですけど、2年くらいは冷静に思うと無駄にしちゃったのかなあとも思うけど、そういう期間だったのかなあ。


伊達 無駄っていうのは、どういうふうに無駄だったんですか?
志良堂 自分が好きなものに素直に行かなかったなというのが強くあって。すぐ作れるものだとか、売れるかもしれないものだとか。そういう観点で作ったものがあって。今思えばなんで素直に行かなかったのかなって。自分が好きなものはなんなのかを見ずに流された感があって。それで好きなものを探して、見つからなくて2年だったらまだよかったのかもしれないけど。プログラムってできるようになっちゃうと、何かやってると安心しちゃうところがあって。伊達 やってしまう?
志良堂 そう。ソフトウェア一個作ると1か月くらいはやれちゃうから、そういうところに逃げちゃったなって。もっと苦しめばよかったなって。

伊達 今は?
志良堂 苦しめてますね(笑)ああでもない、こうでもないって。
伊達 その転換は何があって?
志良堂 いろんな人と話したりとか、本を読んだりとか、自分の外から気づかせてもらったことが多いのかな。もちろん自分の中で何かがおかしいという問いかけはあったと思うんだけど。年々素直になろうというか、エゴイスティックになろうってノートやブログに書いたりもしてました。


伊達 ここまで人生を聞いてきましたが、分岐点を挙げるとしたら、どこですか?
志良堂 ぱっと浮かんだのは二つで、一個は牧場に行ったことと、もう一個は最初のゲーム会社に入ったときかな
伊達 面白い。独立したときじゃないんですね。
志良堂 そう!今思ったんですよ、それ。独立するっていうのは、最初のゲーム会社に入った時点で、けっこうもう導かれてるなって。

伊達 なるほど!牧場に入ったのが大きいのはなんでですか?
志良堂 最初が牧場なのと最初がゲーム会社なのってたぶん逆転現象が起きるなって思ってて、最初がゲーム会社だったら、今牧場にいる可能性もあるのかなって。その順番で来たんだなっていう感じがありますね。


伊達 人生でやり遂げたいことってなにかありますか?
志良堂 二つあって、せっかく人間に生まれたので、家族を作って、子供を育ててみたいなあと。あんまり好きではないんだけど、やってみたいなあって。セーブデータが二つあったらっていつも言うんですけど、一つがそっちで、もう一つが、なにかしら作ってる、トライしてる状態。

伊達 今、やりたいけどやりたくないみたいな感じがあったんですけど、なにか嫌なんですか?
志良堂 端的に言うと、時間をだいぶ持っていかれるなって(笑)でも別に、家事とか嫌いじゃないですね。趣味も多くないし、人間関係もそんなに多くないし。わりと、閉じてますね。

伊達 開いてるように見えますけどね。
志良堂 それは意識してるとこありますね。新しく入っていけるのが自分の良さかなあと思ってる。そしたらかなり大事な人が亡くなっても人生続けていけるかなあって思います。何人か周りに人がいるだけで生きていけるかなあって。いろんなところを行ったり来たりしているから、新しいところでも楽しくやれたらいいなあと思ってて、やっぱりそれって会話とかがベースになるのかなあと。そこさえできれば多少のいやなことはあっても何とかなるのかなあって。


【一番好きなのが、新しい街に行って、街の人と話すときなんですよ】 

伊達 志良堂さんを形成した、本か絵か映画かゲームでも舞台でもいいんですけど、この作品ていうのを聞いてみたいです。 

志良堂 3つあって、一つ目が、『ドラゴンクエスト』っていう、最初に遊んだゲームです。かなりはまってて、完全に自分の人生に影響を及ぼしてるなって。
伊達 そのゲームの何がよかったんですか?
志良堂 初めてだったっていうのもあるかもしれないけど、世界を旅したりとか、機械の中だけど人と自由に話したり。プログラムされてる中だけど自由にできるっていうのが楽しかったのかな、やっぱり。


もう一つが『サンサーラ・ナーガ』っていう、『ドラゴンクエスト』とシステムは似てるんだけど、中の人のセリフがすごく好きで、それに尽きる。RPGっていう、基本的には勇者みたいな主人公がいて、それが敵のボスを倒してという、竜退治みたいなジャンルです。一番好きなのが、新しい街に行って、街の人と話すときなんですよ。一般的にはそこに強い武器が売ってあるとか、何かイベントが発生するとかいうのが街の機能なんだけど、自分はそこでぶらぶら街の人にお前どうよみたいな感じで勝手に親しみをもって機械に対して話しかけていくっていうのが、好きですね。そういうものを自分では作りたい。 


3つ目が本で、『思考の手帖』っていう東宏治さんの本がありまして、手帳を書くきっかけになった本なんですよ。その人が日々思ったことを書きつけている手帳で、哲学の断章みたいなのをそのまま書いてあったり、好きなものだったりとか、思ったときに書かないと消えちゃって二度と取り出せないみたいなものがあるって書いてあって、それを思いついた瞬間に絶対書いてやるぞみたいな感じで書いてある手帳で、ひたすら今日何を思ったって書いてある。

それを読むのがすごく好きで、500ページくらい書いてあって、1ページにこういくつか書いてあるとしてもけっこうあるじゃないですか。今だとツイッターみたいな、細かく出していく方法あるけれど、当時(10年前)はあまりそういうの読んだことなかったので、それがすごく新鮮で。自分もやりたいなって思って、すぐやり始めて。そこから今の自分になってるやっぱり時間とかについて自分なりに考えたし、自分のスタイルみたいなのを考えるきっかけになったり。 


【人のできるだけ奥深く入って、一番隠してるものを知りたい】

伊達 ミステリーが好きということですが、どうしてですか? 
志良堂 他人の手帳が好きなのと似てるのかな。人のできるだけ奥深く入って、一番隠してるものを知りたいとか(笑) 
伊達 (笑)この話になると話し方が変わるんですよ。後ろめたさがややあるみたいな。 
志良堂 でも食欲とか性欲とかよりそっちの方が自分の欲が出てるなって。最近自覚できたのかな、素直な欲望の一つの形として。けっこう自分の作るものの軸にしてもいいという感触も最近はある。それをゲームのフォーマットに落とすのがまだまだかなって感じがしてるけど。今までにない快感って言葉をゲームデザイナーの方が使ってて好きなんですけど、それがあればけっこうそのゲームのコンセプトになりうるっていうか。一つ見つけたって感じがしてますね、今は。 


伊達 志良堂さん自身は暴かれたくないものってありますか?
志良堂 あんまないんじゃないかなあ…
伊達 自分の手帳は見せられる?
志良堂 見せられます。でも、反対にもっとこう見られたくないものを作るべきかなって。オープンにできすぎちゃってるから。オープンにできるくらいならたいしたことないのかなって。恥ずかしい部分があった方がいいなと思うんだけど。まだ、見つけられない。昔はあったんですけど、解消されちゃって。

伊達 聞かれたくないこともないんですか?
志良堂 ある意味つらいのは、今作りたいものをわかるように説明しろやっていうのが一番つらいね。うまく言えねえから悩んでんだよ、出る前に聞くなよみたいな(笑)伊達さんあるんですか?参考に。
伊達 ありますよ。でも本当に聞かれたくないので何も言いません。
志良堂 ああいいな、そういうのがあるんだ(嬉しそう)
伊達 出た(笑)志良堂さんのそのこっちの一番奥見たいみたいな。
志良堂 いや今のはもう一個意味があって、そういうのがあることについて、そういうのがある状態がうらやましいなと思って。 


【今までにない人を知る喜びがありますね、手帳には】 

伊達 他人の使用済み手帳を収集する理由をあらためて教えてください。 
志良堂 まだインプットがほしいなと思ってたんだと思うんですよ。飢えみたいなのもあって。いろんな人と話していく中で、その人が知られることをいやがるとか、聞きたいけど聞けないとか…でもまあ欲望から言うと知りてえなみたいなことがあるわけですよ(笑)そういうのは常々思ってて、水面下で、満たしたいと思ってたんだと思います。で、そのための方法が浮かべばいいなと思っていて、それがたぶんインタビューとか手帳とかっていうところに。 

伊達 なるほど…インタビューは聞かれて答えたくないことは言わないけど、手帳はね(笑)
志良堂 そうだね、そういう意味で人に深くわけいっていくときに、いろんな方法があるなあっていくつも方法があるなら全部使ってみたいなと。新たなルートを発見した感じですね、手帳に関しては。なので、今までにない快感(笑)、今までにない人を知る喜びがありますね、手帳には。


伊達 人と接するときに、気を付けていることってありますか?
志良堂 できればリラックスして、普段通りの志良堂でコミュニケーションとれたらなあとかかな。楽しく話せる可能性もあるのに話せないのは残念でもあるので、そういうのをできるだけ解消したいなあとか。お互いがコミュニケーションできることは全部出し切りたいとか。できるだけ発見したい、分け入りたい。
伊達 分け入るの好きですね(笑)
志良堂 よく言うと長所をみつけたい、悪く言うと、ずけずけと入っていって、この人を全部知りたいみたいな感じですかね。 


 【人が何かを大事にしていると聞いたらそれを見てみたいというのはあるかな】

伊達 好きな人や物、出来事の共通点を聞いてみたいです。 
志良堂 本が好きな人は好きなことが多いかなあ。おおざっぱだけど。何か、自分と違うものを取り入れようとしているところがあるのかなあ、そういう人って。本が必須ではないけど。あとはやっぱり、俺高校卒業してどこも行ってないけど、いい大学行ってる人はいい人が多いなあみたいなのはあるなあ。全然それも必須じゃないけど。何か自分で興味をもって行ってるのかなあみたいな。反対に、学ぶ師匠がいないのに極めてる人も大好きだけどね。よくきたなここまでみたいな。ここまで自力で来れるんだって人もこれまでいて、ああこいつとなんかやりたいなとか。そういう人もかなり好物。 
伊達 好物(笑) 
志良堂 なんで一人でこんなにできるのみたいな。そういう意味では、冒険してない人はあんまり好きじゃないかも。 


伊達 好きな物や出来事だとどうですか?結局人につながるのかな?
志良堂 そうだね、そういう意味では物とか出来事とかはあんまり…そこから入ることはないのかな、ぱっと思いつかないとこを見ると。伊達さんが何かやってて、伊達さんの何か、みたいな感じかな、感じ方が。伊達さんが詩をやっているから詩っていいな、とか。紐づいてること多いですね。
伊達 じゃあ物に対するすごいこだわりってないんですか?
志良堂 そうですね…書棚とかのぞくのは大好きですよ、手帳とか…人が何かを大事にしていると聞いたらそれを見てみたいというのはあるかな。


伊達 苦手な人っています?
志良堂 いるとは思うんだけど、苦手な人をほぐしていくのも好きだからな。相性が悪い人はいますね。自分がいつも笑顔だから、笑顔がダメな人とか。リラックスしてしゃべってるとなんでそういうこと言うんですかひどいですって言われるときもあって。一緒に住みだすとけっこういると思いますよ。たとえば相手がこちらを低く見てるときは難しいなと思いますね。人当りいいから、なめてくる人はけっこうなめてくるから。でも、それを見たい自分もいるから、悩ましいとこなんだけど(笑) 


【疑似的にでも自分で何か選べて反応があって次の反応を決めるみたいな繰り返しが好きなのかな】 

伊達 物語ゲーム(物語性を重視したゲーム)が好きなのはなぜですか? 
志良堂 わかってたらたぶん作り出せてるなっていうのはあります。今までゲームやってきて人と話して生きてきて、まだ遊び足りてないのいうのがあるんですよ。たとえばミステリー小説だと世の中にすごくたくさんあって、図書館と自分がいればもう十分な量があって困ることないなとかあるんですけど、ゲームの一部分は、足りてないんですよ、遊びたいけど、欲しいものがない、じゃあまあ作りたいな、みたいな感じです。 


伊達 どういう要素が足りてないんですか?
志良堂 探偵になって問いていったり、街の人とかに聞き込みを繰り返しながら問いて行くタイプのゲームとか。そのゲームがなんですたれたかというと、ゲームで先に進めなくなることを詰まるって言うんですけど、たとえばそれが聞き込みタイプのゲームだと、例えば100個の選択肢がある状態で、先に進める答えは1つしかないみたいなケースではよく詰まるんです。結局100個の選択肢をしらみつぶしにプレイせざるをえなくなり、それって遊ぶ側からするとけっこう苦痛で、だからそういうゲームは他のゲームに比べて繁栄できなかったところがあるんですよ。でもけっこう好きで。

そういうのも失われて久しいので、10年前とか20年前のやつとかを遊んではいたんだけど、それがもうなくなっちゃってて、でも遊びたいから、作って、できればそれをやっていいなあと思った人が作ってくれて、自分は別の誰かの新作で遊びたい(笑)あ、なんだこういうゲーム今やっても面白いじゃんって感じになって、俺も作ってみようかなって思ってもらえればそのジャンルの新しい続きが道として再開するといいなあみたいに感じてます。


伊達 では物語ゲームにかぎらず、ゲームの魅力ってなんですか?
志良堂 話すときに機械に登録されたやりとりが出てくるんだけど、そのやりとりが結構好きですね。機械的なんだけど、自分にとってはそれで満足なところがあって。一連のまとまった物語を体験する在り方として、小説みたいに前から順番に読んでいくんじゃなくて、疑似的にでも自分で何か選べてそこに対して反応があってそれにたいして次の反応を決めるみたいな繰り返しが好きなのかな。
伊達 やっぱりそこもやりとりなんですね。
志良堂 そうなんですよ、だからすごい人がいて自分とずっと一緒にいてくれたらもしかしてゲームやりたいっていうのはなくなるのかもしれない(笑)すごい響きで打てば返してくれる人がいたら。


伊達 最後に、今何に時間を使いたいか教えてください。
志良堂 今は東京に来て人に多く会えるから、人と会うことが多くなってるかな。あと、自分の場合能力が足りないとこでもあるんだけど、一日休みがあったときに、休みの日の最後にようやくやる気になったりして、でも次の日仕事だからせっかくやる気になったのに睡眠とかでリセットされちゃうから、今の生活って作るのにあんまり向いてないんです。

だからインタビューや手帳収集は創作の代替行為というか。一日とかである程度きりのいいところまで進められるから。理想は、今の仕事が切れたときに自分のを作り出せるのがいいと思っていて。手を何か月か動かせば作れるという状態にできればなと思ってるんです。いろいろ人と会って話したり、インタビューしたりして、使えるのかわからないけれど自分の好きなことをかき集めてる感じですね、今は


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~* あとがき *~
まだ片手に入るだけしかインタビューをしたことがない中で意識していることがあるとすれば、やりとりを残そうとしていることだと思います。だから、読者の方に情報を伝えるだけなら必要ない聞き手と語り手の会話、ときには聞き手と語り手の逆転があったりする。

インタビューは、語り手が語る内容だけを記号のように伝えるものではないと思っています。たとえば私の最初の質問は、なかなか乱暴です。聞き手である私がいくつもの質問によって迫るのではなく、語り手自身に人生を説明させようとするなんて。でもここで私にも読者にも、語り手が自分の人生を「どう」語るかを知ることができます。

その人自身が自分の人生をどう思っているのか。そんなことを、私は知りたいのかもしれません。

ある人へのインタビューと別のある人へのインタビューで違うのは答える内容だけではなくて、答え方も違います。質問に具体的に答えながら同時に自分で自分を分析していく志良堂さんからは、ゲームクリエイターらしい、全体を見るまなざしを感じました。

そのときそのときとまどいながら欲しいものに素直に、そのための道具に自由に心を開いて生きてきた一人の人の姿。その姿が、誰かの生きるときにふと心をかすめることがあったら、聞き手にもそしてきっと語り手にも嬉しいことだと思います。



※このインタビューは志良堂正史さんとの相互インタビューとして行われました。志良堂さんから伊達文へのインタビューはこちら。
『noteと人インタビュー「幸せの定義は生きていること」伊達文/言葉書きとイベント家』
https://note.mu/shirado/n/naa5b7f7c092e

#インタビュー #ゲーム #手帳


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