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元本科生の作品

4月。本科生たちも、それぞれ新しい場所を得て、嬉しい一歩を踏み出している。
1年間、全然音沙汰なかった元本科生からも、4月からは東京です!とか、京都です〜とかの知らせが届く。

連絡をくれた一人が、「くだらない独り言だけど、誰にも言う機会がないので聞いてほしい」と文章をつけて送ってくれた。
書き出しから、彼の本気度がわかった。他の人にはわからないかもしれないが、小2の頃から彼の文章を読んでいる私にはわかった。背景にはこのところのウクライナとロシアのこととか、その他の胸塞がれるいくつもの事件などに対する思いがあるに違いない。彼は彼なりに、今の状況に「これでいいのか」という思いを抱いている。

彼のような決意を持つ人が一人でも増えるといいと思う。増えるための場を作っていたいと思う。
彼のような人との時間を持てるから、私は作文指導に携わっていたいと思うのだ。文章指導は人の内面を育てる。強制されて変わるのではない、自ら選んで自らを育てる場となるのが、文章を書く場所だ。
彼の門出を祝ったつもりなのに、ものすごく大きな贈り物をもらった気分だ。最後の一文は、私の中にずっと置いておきたいと思う。

「無題」T・T

人間という種が他の動物たちと違う点はやはり言葉を用いるところにあると思います。コミュニティを形成したり情報を共有する動物は多数いますが、音や文字を扱ってきた種は少ないと感じます。また面白いことに技術が発達した現在では、むしろ言葉自体が単なる情報交換ツールとしてではなく、それ自体に価値のあるものとして扱われています。
ただ人間も他の獣たちと変わらず、暴力による支配から逃れうることは無いとも感じます。今の社会が暴力と思想や言論などによる攻防の上にあり、まさに今その競争の渦中にあると言えるのではないでしょうか。
しかし人間が知性的な生物として社会の中で生きていく中では、思想や、思想と社会の架け橋となる言葉がなにより尊重されるべきです。僕たちが社会の中で人間を騙る獣ではなく、言葉を語る人間であるために。

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