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すきと細胞

”その言葉の意味がどういうことなのか知りたいんだけど”

わたしの部屋、洗面所で今まさに歯磨きをしようと歯ブラシを濡らしている彼の背中に思わず零れた”すき”の言葉に鏡を見たまま反応した彼。

彼が黒いスウェット姿で歯ブラシを持ち、そこにいることに心がギュッとなってついわたしが零した”すき”は行き先をなくして空を舞った。

ん?あれ?”すき”ってなんだっけ?

もっと疑問を持って突き詰めて考えて、というのが彼の口癖で。今まで深く考えたこともない、分析する世界を教えてくれたのは彼だった。
仕事に忙しい彼は今夜のように時間が出来るとふらりとわたしの部屋にやってくる。その理由はいまだ尋ねたことがない。

わたしはこの彼の見ている、自分が感じるより深く考える世界を「一緒に見たい」「同じ感覚になりたい」と思った日のことをよく覚えている。

有名な大きな交差点のある街、新しく出来た高層ビルの前。

規則正しく綺麗に並ぶガラス窓が美しく、人の邪魔になることも考えられず気付いたら夢中で写真を撮っていた。

あのガラスとガラスの間には何が?構造はどうなってる?あの薄い映像ディスプレイの裏側は?

そんな届かない規則正しい美しい世界に想いを馳せて。
どれくらいそうしていたのかずっと見上げた首が疲れたなと思い首を回しながらようやく我に返った時、視界に入った真っ黒なルーズファッションの人。
全体的に長い黒髪の前髪は目立つほど長く、その人相も全くと言っていいほど見えない。隙間から覗いているのはほぼ片目と白い肌。た、たぶん男の人だよ、、ね?

うわ…やば。

それがこのひとの第一印象だった。

(さてどうしようかな)と人の邪魔にならない、でもまだそのビル近くにいたいし…と隅っこに寄りさっきまで撮っていたカメラロールを眺めながらふんふん鼻歌を歌っていたら”その美しい正しさはどうやって作られているんでしょうね”と頭上から声が降ってきた。

ん?と見上げると、げげ…さっきのやばい奴がいつの間にかそばにいてわたしに話しかけているではないか。

”さあ…?”と曖昧に笑うわたしに、やばい奴は顔色一つ変えずこう言った。

”あの規則正しい美しい並びに誰も何とも思わないなんて。突き詰めて考えようともしない”

え。この人はもしかしてわたしと同じ美しさを感じて更にそこからを考えてた?うそうそやだ。わたしもやばい奴に近いの…?

と百面相していながら考えていたら最近の寝不足が祟ったのかずっと同じ姿勢で上を見上げた後急に下を向いたからか、視界がぐにゃりとなってあまり大きくないそのやばい奴の身体の方へ…

倒れる、と思った時にがしっと支えられ、あ、やっぱり男の人だったんだ…と回らない頭の中でぼんやり思ったまま記憶を飛ばした。

ふと目覚めた時には真っ白な壁。少し顔を横に向けたらたくさんの機材やガムテープにカメラ、雑然とした風景が視界に入った。身体が痛いなと思ったら、大きなデスクの上に寝かされていてびっくりする。扱い方…!
後から知ることになるのだけれど、そこは彼の仕事場だった。

”あの、ありがとうございます”と身体を起こし声をかけると”顔色がまだ良くない。送ってく”と返事になっているんだかなっていないんだかよくわからない返事が返ってきた。

やばい奴に自宅を知られる、という警戒心もそりゃちょっとはあったけどマンションだし良いかな…と思えたのは「二重のオートロック」と「防犯カメラ」という文明の利器がよぎったのもきっとある。

さっき視界に入っていた少し大き目なカメラをつかみ取ると”どうぞお先に”と出口に促され、道路脇でタクシーを待つ間もあれこれ写真を撮っているやばい奴の姿を見ていた。

”あの自然もこの自然も作り出せると思わない?”カメラを覗いたままポツリと問いかけられ”そう、かもしれないですね。もっとネットとか技術とか発達すれば?”と思ったままを答えると、驚いたように構えていたカメラから顔をはずし、こちらを見て嬉しそうに笑った。

初めて見る満面の笑顔に(わ…笑うんだ)と語彙力をなくす言葉しか浮かばないほど驚いた。人間(のはずだから)そりゃ笑うでしょうよ、なんて心の中で言い訳している自分がおかしかった。

手を挙げたらキキっとブレーキ音を鳴らして停まってくれたタクシーには”先に乗ります”と奥へやばい奴が。
続いてわたしが乗り込んで、行き先はやばい奴から手のひらを上にし”どうぞ”の合図をされたので、わたしが伝えてから滑り出すように走り出した。

タクシーの中でも車内にあるメーターや座席?を、信号待ちでは窓からの風景や街行く人を撮っているその姿を視界に入れつつ、この人は何者?カメラマン??と興味がわいていた。

”あの、お名前と連絡先を伺っても?”とわたしが言葉を発した途端、バックミラー越しに運転手さんとチラリ目が合って慌てて”お礼がしたいので!”と付け加えた。

”野村…圭”とぼそりと聞こえてきた返事に”連絡先は聞かない方が良いです?”と尋ねると”さっきのとこに基本的にはいるから”とそれ以上は教えてくれなかった。

”あ、そのあたりで”と、タクシーがわたしの住むマンション前に着きお金を出そうとすると”いいから”と断られどうしようか迷ったけれどタクシーの運転手にじろりと見られたので、”あ、ありがとうございました”を告げタクシーを見送るのだった。

仕事が立て込んだりしつつも、早くお礼がしたいと合間にお礼の品を買い揃えていた。
た、たぶん独身…?と思いながらもあまりにも少ない相手の情報量に無難な焼き菓子と一風変わった歯ブラシを添えることにした。

歯ブラシはあの日のことを思い出すときっと”規則正しさに対する美しさへの感覚”から、好みは似ている気がする。ただそれだけ。

数日後。

天気予報が外れ良く晴れた日。お礼の品を携えて彼が”基本的にいる”と言った建物へと記憶を頼りに行くことに。
けれど(え、待って。場所…わからない)あの日はタクシーに乗ったし、わたしは地方出身者でそこまで地理に詳しくない。そしてちょっと方向音痴。

どうしようか迷った挙句、なんとなくそのままあの日の街へ。

いやまさかね、なんて思いながら歩いていると真っ黒なファッションをした怪しげな後ろ姿…(いやまさか-!!)も、もしや?も抱えてそっと近づくとやっぱり野村圭さんだった。

そっと隣に立つわたしの顔をチラリと見て”あぁ”というような顔をした彼に”先日はありがとうございました。先ほど伺おうとしたんですが…とお礼の品を差し出すと同時に”ちょっと付き合って”とそれを受け取りもせず、背中を向けてずんずんと見上げていた高層ビルの中へ。

えっ?と思いながらついていき、エレベーターに乗り上層階へ。
なになになに…と思いながら黙っていると”ここからの風景が好きなんだ”と教えてくれた窓の外を見ると、デコボコしたそれぞれのサイズのビルや工事中のクレーン車、そして眼下のうんと下には最近整備されたという川、遠くに見える山やどこまでも広がる空。

その風景を見ながら”これを目指してる”という言葉に、なぜだかとてもしっくりきて彼に似合う気がした。自分が高所恐怖症なことも忘れ、2人並んで大きな窓からその”目指している”という世界をしばらく眺めていた。

後ろから聞こえるにぎやかな声の方を見てみると展示されていたジオラマ。
それは10年後だというこの街で、所狭しと建物や近未来らしい乗り物、自然や動物たちが。
それらを眺める子供たちの歓声、手を伸ばすベビーカーに乗った赤ちゃん、寄り添いながら未来を語るカップル。

ぽっかり空いているスペースに滑り込んだ彼は”共存する世界がいい”と言いながら”この世界を撮ること創ること”とガラスケースを撫でて”気が狂うほど突き詰めて考える”という話をわたしにし始めたから、近くにいたカップルは気味悪がり、小さな子供は雰囲気に気圧されたのか泣きだし遂には誰も周りにいなくなった。

そんな周りを気にすることなく”もっと疑問を持って突き詰めて考えて”と真っすぐジオラマを見据えながらブツブツ言うその様子がとても面白くて、そしてとても似合っていて。ずっと見ていられるとさえ思った。

この人は目の前のことに一生懸命で、気になることを解決したくて頑張るひとなんだなと”わたしもこの人の考える世界を「一緒に見たい」「同じ感覚になりたい」”と思ったのだった。

その日ようやく連絡先を交換して、わたしのマンションの部屋番号も伝えた。

それからはふらりと彼がわたしの部屋にきて一緒にいる日には”気付いたこと”を話し合う日になり、一緒にいない日はあらゆることに”疑問を持って考え分析する”癖がわたしについていた。

忙しい彼とはあまり一緒にいられなかったけれど、一緒にいられる日が楽しみだったし一緒にいない日も”彼ならどう考える?”と思えばあっという間に日々は過ぎ寂しくなかった。

彼の仕事場へ行けば(ようやく場所も覚えた!)質問することに真摯に答えてくれたし、それでもわからないことは夢中で調べた。
そうして少しずつ彼がより深く考える世界を「一緒に見て」「同じ感覚」をつかめるようになるのが嬉しくて幸せで…

きっとそのうち、それとセットで彼への想いが募っていたのかもしれない。

突然、あの日お礼の品の中に忍ばせていたものと同じ歯ブラシを持つ彼を見ていたら自分から零れ落ちた”すき”という言葉。
これはわたしも考えていなかったし、一体何なのかと本当にびっくりした。

そして、いつものように疑問を持って突き詰めてその意味を考えた結果は…割とあっさり出た。

”あなたの細胞になりたい”

わたしの”すき”はそういうこと。
より深く彼の考える世界を「一緒に見たい」「同じ感覚になりたい」という思いは恋の始まりだったんだ。

歯磨きを終え、ゆったりとソファーに座り腕を組んでその答えを聞いていた彼は”それじゃわからな…あ、でもそれならありだな”と楽しそうにも少し笑っていたから、わたしの零した言葉にこもった想いは今度こそ届いたのだと思った。


■まとめ■
2人にしかわからないような感覚を、他の人にもじんわり伝わる愛の告白をするのなら、をテーマに想像しやすい都会を舞台にしました。
その人と「一緒に見たい」「同じ感覚になりたい」は恋の始まりだと個人的に思っています。
作中の2人のように色々な角度から考えられるよう、想像出来るよう、情報はあまり詰め込まず出来るだけ余白を残した書き方をしてみたかったです。



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