腐ったご飯と腐りかけたタマネギと
凄いタイトルだな(笑)
これは、小学生だったころの大正元年生まれの祖母の後ろ姿についての回顧録です。
働き盛りの母を助けるという母心だと思いますが、大分県から祖母が時折泊りにきていました。昭和生まれの父方の祖母と違い、キヨババ(と呼んでいました)は、とにかく奥ゆかしいお婆ちゃん。
小学校低学年の私が帰宅する時間になるとおやつを作ってくれるのですが、【へこ焼き】と呼ばれる、今でいうクレープのような、ガレットのような、薄力粉を水でただ溶いただけのものを薄焼きにして、黒砂糖を巻くというシンプルなおやつ。当時の私にとっては、アイスクリーム、ケーキやチョコレートのクリームたっぷり系を沢山食べさせてもらえるだろうという期待は、キヨババの下では淡い夢と化していました。
大国柱が帰らぬうちはと、まだ帰宅しない父のご飯茶碗に最初の炊き立てのご飯を盛りつける、父が帰宅して風呂に入らない限り、お婆ちゃんなのに決して先にお風呂に入ることは無い、無口で、いつもベランダのすぐそばのスペースに存在を消しているかのように小さく座っていました。
ある日、母からの電話が。
『ばあちゃんに見つからないように、炊飯器の中に残ったご飯を捨てるように!ちゃんと、ビニールに入れて捨てるように!』と緊急指令を受けました。
幼い私には、何を意味するのか全く理解できず、ただ、三角コーナーに残ったご飯をザザッと捨てて、任務完了!
今度は私から母への緊急連絡!
『ママ、大変!キヨババが腐ったご飯を炊きなおして食べると洗い始めたよ。ばあちゃん、死なんかいな?』
物がない時代に育ったキヨババ、大正生まれ、食べ物なんて粗末には出来ません。祖母は、私が廃棄したご飯を、炊きなおし始めました。
幼少の頃のこのショッキングな記憶は、今では私の中では『ちょっとやそっと腐った物を食べたくらいじゃ人間は死にはしない』『腐ってるか、腐ってないかは身体に聞け』『腐ること自体新鮮な証拠』的な妙だけど大切な教えになって生き続けています。
当時の母は、精いっぱい仕事をしていたので、うっかりご飯が腐りそうになることもあったのでしょう。出前を取って店の奥でご飯を食べることや、ご近所の商店街のカウンターで夜勤明けのタクシーのおじちゃんの横で夕飯を食べる事もありました。
そんな母は、今では私の顔を見るたびに、『娘にはちゃんと手作りのものを食べさせなさい!』『規則正しく、しっかり食べさせなさい』『食事は栄養を考えて作りなさい』 『買った食材は、ちゃんと使ってしまいなさい』と、溢れる滝のように話してきます。
先日、ちょっと先の方が腐りかけているタマネギを、傷んだところだけ切り取って料理に忍ばせたことがありました。
『何かこれ、土の味がする』
ドキッ!娘からの一言に、ちょっとドキドキしました。食べたくなかったら残していいよ、というのが精いっぱい(苦笑)我が娘の味覚の鋭さに、思わず母に電話をして、この出来事を話しました。
すると、母から『あら、あんたも?』どうやら、祖母も以前娘を預かっていた時に、少し痛みかけた里芋を料理に混入していたらしく、同じようなコメントが娘から飛んできた模様でした。本当は、そう、買ったものは腐りかける前に、美味しいうちに使い切り、食べきりたいんだけど・・・
こうして、二人で『あいつは騙せんな!』と笑い合う一コマ。娘の舌の肥え具合に関心もしましたし、代々受け継がれる、身体で覚える味覚的なものも、どこからともなく教わっているような気がしました。