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考えたこと・思ったことをまとめたマガジン

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毎日の中で考えたことをまとめたマガジン。「コンテンツ会議系マガジン」に含まれないnoteは、全てこのマガジンで読むことができます。他のマガジンとも被る時があります。
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#思ったこと

他人への想像力とは、知識、能力と態度。

最近、「想像力」という言葉を耳にする。わたしもよく使う。 大きなお城とか壮大な冒険を描く能力とはまた別の、他人を慮る能力という意味だと理解している。 でもけっきょく、他人への想像力ってなんだろう。 「他人への想像力がない」という批判に、もう一歩踏み込んでみる。他人への想像力がない人は、具体的になにが欠けているのだろう。想像力には、何が必要なのだろう。 わたしは、「他人への想像力=知識 × 能力 × 態度」という仮説を立ててみた。 他人の人生、感じ方についてのデータ想

やりたいことがないうちは、目の前のことを全力で

最近、わからないことに対して焦らなくなった。 自分の就くべき仕事がわからないこと、幸せの定義がわからないこと、辛さの原因がわからないこと。 自分についての大事なことがわからないままでも、大丈夫になった。 それは、わからないことがいつかわかるようになる。経験からそう思えるようになったからだと思う。 昭和の産物なのかわからないけれど、目の前の仕事に熱中していて自分にとって本当に大切なもの、夢や家族とか、を忘れてしまった人の物語をたくさんみてきた。 だからこそ、やりたくな

やりがいのある仕事が、いい仕事

数ヶ月ぶん溜まっていたクリエイター用のオンラインセミナーを観ていて、やっぱり共通していることがあるなと思った。 それは、企画を遂行するには、個人の熱量が中心になければいけないということ。 企業の採用面接を思い描いたときに、自分がそれをやっていて楽しいから、自分がやりたいことだからと言ったら、落とされる気がする。 もちろん言い方の問題ではあると思うけど。 でも、大きなことを成し遂げた人に、イヤイヤ仕事をしている人はいなかった気がする。 仕事と自分の楽しみを切り分けると

アイデアも、理想も余白から。

久しぶりに、やることがなくなって。 学校の学期も終わり宿題もないし、ありがたいことにもらえていたコピーの仕事もひと段落した。 そうして久しぶりに、noteに書きたいことが出てきた。 自己啓発ではないけれど、生き方についての本を読みたいという欲や、将来こんな事をしたい、もっと会社をこんな風にしたいというアイデアが出てきた。 わたしが小さい頃読んでいた小説に、働き詰めになって、定年してから家族の大切さに気がついたというような話が多いのも、ふに落ちた。 目の前に、やるべき

互いを信じて生まれる、相乗効果

相手に自分を否定されたとき。 相手はバカだと思うか、相手にも一理あると思うか。 どちらもあっていいと思う。 本当に相手がバカで、自分のことを分かってくれないときもある。 けれど、もし余裕があれば。 否定が初めてで、もしかしたら自分の落ち度もあるかもしれなければ。 どんな一理があるか、探せるつよさはもっていたい。 否定し返すのが守りで、相手の視点に立って自分を見つめ直すのは責めだ。 つらいのなら、守ったほうがいい。無理に自分を傷つける必要はない。 でも責める余

働ける総量はきっと同じ

アメリカの大学にいると、本当に同じスケジュールで日々を過ごす。だいたい同じ時間に起きて、ご飯を食べて、授業を受けて、寝る。 一方で、日本で過ごす長期休みは全く逆。家を出る時間も帰る時間も、どこで何をするかも毎日バラバラだ。 不規則な生活だと、気分や集中力の変化の理由がわかりづらい。なんとなくやる気が出ない程度の不調の原因が、前日動きすぎたのか、精神的なものなのか、私とは何も関係のない気圧なのか、特定できないのだ。 ところで前学期、少し無理をして活動した。普通の人より授業

短距離走に見せかけた、持久力レースで走り続けるには。

半年ほど前、やりたいことが見つかったと言ってnoteの毎日更新を休止した。 まだ半年か、という感覚になるくらいには、いろんなことをしたと思う。 「コピーライターほぼ全史」という、これが歴史の教科書だったら絶対に読み終わらないであろう厚さの本も終盤に差し掛かり、コピーライターというのはなんて終わりのない仕事なのだろうかと思った。 そしておそらく、どんな仕事でも本気でやろうと思ったら、終わりがないのだ。 常に時代は変わり、若い子が意味のわからない言葉を使いだし(高3の妹に

恵まれて、幸せを勝ち取るということ。

成功した人が、口を揃えて人に恵まれていたと答える。 それは、偶然ではない気がする。 たまたま人に恵まれている人だけが成功するというよりも、その人は恵まれるべくして恵まれていたような、そんな感覚。 最近、友達の友達に誘ってもらってコピーライターとしての仕事を始めることができたり、以前通ったライター講座のつながりで記事を書く話をもらったりした。 友達の友達にクリエイティブカンパニーを起業しようと思う人がいたこと、メディアの編集長をしている人が同じライター講座に通ってい

理不尽に傷つけられたあなたに、戦う義理はない。

「私も悪かった。」という社交辞令に、「本当だよね、君も悪い。」と返されたら、基本的に誰でもイラっとするのではないだろうか。 「お前が言うな」をまとめたこのツイートは、とてもしっくりきた。 謙遜と相手を思いやる表面上のやり取りは、両者に相手を敬う心があって初めて成立する。 片方にそれが欠けていれば相手が搾取される形になり、搾取された側はじゃあ私もと相手を蔑む形で応戦するか、そっと離れる。 さっきの例でいえば、「いやいやでも、本当に悪いのはそっちでしょ!」とさらに言い返

幸せは、ありがとうと近いところにあるのかも。

しあわせってなんだろう。 幸せになるにはどうしたらいいんだろう。 そんなことを日頃から考えていたら、最近気がついたことがある。 何かに感謝することと、幸せだと感じることは、ほとんどイコールだということだ。 私は幸せの中でも、お金持ちになるとか、結婚するとか、夢を叶えるとか大きな出来事よりも、毎日の生活の中に隠れる小さな幸せを大切にすることに重きを置いている。 それは、たまに食べるご褒美のコンビニスイーツだったり、やっぱり好きだなあと思う高校時代の友達と語りあかす夜だ

悩んでつらいときは、ペンと紙を取り出そう。

わたしには昔から、書くことで気持ちや思考を整理する習慣がある。 頭の中をぐるぐると同じ悩みが回っていることに気がついたら、ペンを取り、紙に書き出す。思っていること、一見関係ないような思いつきもそのまま書き連ねる。自分と会話をするように。 日記と呼べるほど、毎日決まった時間に書くわけではない。そんなことを思っていたら、アメリカで「ジャーナリング」という言葉に出会った。 Journaling is a personal record of occurrences, expe

選ぶことは、捨てること。

何かを選ぶ。私たちが毎日していることだ。 朝食のメニューくらいなら、簡単に選べる。しかし、それが仕事や恋人のように人生に大きく関わることになると、私たちは迷う。 それはなぜかというと、何か一つを選ぶということは、他の全ての選択肢を捨てるということでもあるからだ。 私は生まれて二十年間、選ぶことから逃げてきた。 言い換えると、選択肢を増やすことを一番に考えていた。 だから面白いと思ったもの、やっておいて方が良いと言われていること、あとで役にたつかもしれないと思ったもの

希望とヒヤヒヤと、学びがあった、初挑戦のあとがき。

先日、こんなnoteを書きました。 仲が良い大学の先輩から、「黒りすっぽくないタイトルだなと思ったよ」という(内容についての感想ももちろん一緒にいただきました)メッセージをもらい、自分でもそう思いますと返しました。 わたしは今まで、「誰かのタイムラインを少し幸せにする」をモットーに呟いたり、noteを書いたりしていました。幸せな言葉や、クスッと笑えるエピソードを発信すれば、どんなに暗い話題で持ちきりになっているタイムラインでも、1ツイート分だけ明るくなりますよね、理論上。

バズって多くの人を感動させたあの広告が、10年後炎上してほしいわけ。

今回わたしは、春日部駅に掲載されたOisixのお母さんを労う広告に違和感を感じ、このnoteを書きました。 柄にもなく大げさなタイトルをつけましたが、ぜひ多くの人、特に広告業界の人に考えてほしい問題なので、真意が伝わるようきちんと説明したいと思います。 自己紹介以前からnoteやTwitterを見てくださっている方はご存知かもしれませんが、私は高校までずっと日本の学校に通い、その後アメリカの田舎の大学に正規留学し、八月から三年生になりました。 コミュニケーション学と哲学