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coincidence.

こんにちは。はじめましての方ははじめまして。
ことばの焚き火のコンセプター、渡邊勇介です。
 
チェックインします。
 
本のなかでは、読んでくれるひとにとっての体験。

すなわち、書店、直販サイト、それから手渡しのなかで開いた先にある体験が、
ちゃんと一貫して提供できているか?をチェックする仕事をしていました。
 
英語でいうとUXデザイン、とか、あるいは、
顧客体験の設計、とかいいます。
でもそんなのどうでもいいよね。

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偶然とか巡り合わせとか、
ともするとなにか、運命論的な話になりがちなこと。
偶然のことを語っているのに、
いつのまにか必然をぼくたちはどこかで求めようとする。
 
必然っていうのはようするに、
「何か、決められた、約束された物語」
に身を任せるということ。
 
物語があると、人って安心しますよね。
小説や、映画や、果てはアートや宗教、それからブランド。
こういうものをつくるとき、
ぼくたちは作家と同化し、ときには対峙し、
そして、対話をする。
 
どちらがいいとか悪いとかいうわけではなく、
ぼくの仕事は物語をつくることなので、
ふだん仕事をするときはここの設計を、「予定調和的」に、
デザインしています。
 
だけど、「予定調和」「必然」「安心」の裏側にあることって、
実は、
「退屈さ」「管理」「停滞」
だったりする。
 
もちろんそういう作品や映画に触れたいときもあるんですが、
今回の本のお話をうけたときに、
ぼくたちは途中で必然性を放棄しました。
 
「偶然性」。たとえるなら、設計されていない物語。
どこに行くかもわからないし、
この先はずっと不安と隣り合わせ。
 
だけど、その裏側にあるのは、
「自由」「自律」「革新」「進化」。
 
そして、逆説的だけど、「調和」も実は偶然のなかに見つけることができる。
そんな体験の可能性を、いつだって教えてくれる本。
 
まったくの偶然のなかに生きるって、
実はとっても自由だけど、怖いこと。
そして同時に、とても刺激的で、胸が熱くなること。
 
たった一人で偶然のなかに身を任せることってすごく難しい。
だって怖いから。
 
でも、みんなとなら偶然のなかでも、
新しい一歩を踏み出せる。
 
そんなことを教えてくれた本でした。
 
経済も政治も文化も、ずっとここから先は、
偶然のなかで新しい手がかりを見つけていかなくてはいけない。
 
ぼくたちはそんな時代の狭間に生きています。
 
そこには当然に葛藤があり、
迷いがあり、恐れがあり、
不安があり、孤独がある。
 
でも、救いになるのは、ぼくたちは一人じゃない。
みんなで歩いていけば、きっと新しい場所にいける。
その可能性を信じて、まだまだ始まったばかりの、
偶然という名の群像劇を、
みんなで紡いでいきたいと思います。
 
一緒に焚き火をしたいひとは、ぜひこっちに来てね。
暖かいコーヒーをいれて、待ってます。

今日はこれでおしまい。
 
                  チェックアウト 渡邊勇介拝

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