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唄う山【ショートショート】

『山国』と他から称されるペクルト王国にはこんな風習がある。

王国の世継は十歳を迎えるまでに、
国の山岳地帯の名称を全て覚えなければならない。

ペクルトの内情をよく知らない人間は、

「まぁまるで小学校のテストみたいね」

と笑う事もあるようだが、
『山国』の山岳名称はその数、締めて二十七。
ペクルトを四方八方囲う山の頂自体は七つだが、
それを細かく二十七個の地帯に割り振ったのは戦国時代と呼ばれる昔。

周りを血の気の多い国ばかりに囲まれていた戦国時代のペクルト。
敵国がどこから攻め込んで来るかを逸早く正確に察知する為、
国をぐるりと囲う山岳と平野部全てを細かく名称付けし、
敵の動きを把握して全ての侵攻戦を凌いだという。

その二十七個の山岳の名前が、
今、一人の王子を苦しめる。

「王子」
「なに」
「王子!」
「だからもう、覚えられないんだって。
 平和な世の中なのに何で山の名前なんか憶えるのさ」
「なんてことを!この二十七の名前が国を守ったのですぞ!」
「実際に戦ったのは兵士だよ」
「屁理屈を!
 当時の偉大なヨーマイン三世が講じた優秀な戦法です!
 侵攻予定の地域の名称を聞いた途端に命令を飛ばせる程、
 かのヨーマイン王は地形を把握していたのですぞ!
 それを可能にしたのも地域を細かく分けたからであって」
「ただヨーマイン王の頭が良かっただけでしょ……。
 それに今の世の中でこんなに名前を分けとく必要あるの?
 もう山ごとに統合して七つにしようよ」
「まー、口だけは達者で!」

戦国の世も今は昔。
争いは貿易に取って代わられ、
槍は鍬(くわ)、剣はペンへとそれぞれ持ち替えられた。
最後に戦場で流れた血を大地が飲み、百年単位の時間が過ぎる。

「王子。歴代の王達はですね、八歳で全てを覚えた方達ばかりで」
「じゃあその歴史も僕で終わりだ」
「王子!」
「来月には僕も九歳だ。
 もう諦めなよ、八歳で山の名前を覚えたからって何になるの。」
「――まぁ、しいて言えば能力の誇示ですね。」
「なにそれ」
「僕は山の名前くらい覚えられるんだぞ、っていう国の王子としての……」
「だから、山の名前なんか」
「では、山の名前でなければ覚えても良いと?」
「……まぁ、面白いものの名前なら、興味も沸くんじゃない?」

そう言って生意気そうに足を組んだ王子の前で、
二日前から教え始めた教師はゆっくりと両手を握った。

「……今でこそあまり知られていませんが、
 山に名付けられた二十七個の名前はもともと、
 それぞれそこに住む精霊の名前なのです。」
「……うそだぁ」
「王子、山に入った時に歌ってはならない、
 という話を聞いた事は御座いますか。」
「そりゃあ当たり前だよ。
 このペクルトは山に囲まれてるからね、
 山で歌うと声があちこち跳ね返ってなかなか山彦がやまない。
 だから人様の迷惑になるから山で歌う事はしちゃいけないんだよ。」
「……と、教えられているのが今の世の中ですな。」

王子の口が閉じ、
教師の口も閉じ、
二人の間に流れた沈黙は話の間合いを測り合っているようだった。

「……山で歌ってはならない。
 そう言われるようになるまで色んな事がありました。
 もう、随分と昔の事で御座います。」

ヨーマイン三世と言えば趣味は計算、盤上遊戯というのが有名ですが、
実は山での鹿狩りも御好きだったのはあまり知られていません。
当時戦が盛んがゆえに国境の山へ向かう事は禁じられていたようですが、
家臣達の目を盗んでは山に赴いていたと書物には残っております。

その山狩りの際、ヨーマイン王はある精霊と出会います。
それがコルカテオという、そうそう、この部分の山の名前ですな。
まさにここでヨーマイン王は精霊と出会ったのです。

過去に『精霊使い』と呼ばれた人物は、
皆一様に顔立ちが良かったと言われていますが、
かのヨーマイン三世も随分の美男子であったと言われています。

初めて精霊と出会ったヨーマイン王は親交を持ちました。
その直後、コルカテオ周辺の国が侵攻準備をし始めた事がありました。
それを逸早く勘付いた精霊コルカテオは夜中に山を下り、
城に飛んできてヨーマイン王に知らせて侵攻を妨げたと言います。

これに助けられたヨーマイン王は精霊コルカテオに頼み込み、
国を囲む山々に住む精霊全てと契約を結んだのであります。
その精霊の数こそ、二十七。
二十七の精霊達は山々の各部分を受け持ち、
ペクルトに侵攻してきた敵を見つけてはヨーマイン王に知らせたのです。

結局ヨーマイン三世の頃に戦乱は終わらず、
その息子、ヨートリ二世の時勢に全ては終結しますが、
ヨートリ王もまた、父王の契約を引き継ぎ精霊と国を守り切ったのです。

ところで契約と言うのは何かと?
はぁ、これは申し上げるのが遅れましたな。

ヨートリ王もまた美男子であったと言われていますが、
ヨーマイン王もヨートリ王も、
どちらも歌がとてもお上手だったのです。

鹿狩りに山に入っていたヨーマイン王が狩りの終わりに歌を歌っていると、
その美声に引き寄せられてきたのがコルカテオで御座いました。
そこで他の精霊と契約する為、コルカテオがこんな提案をしたのです。

『月に一度、私達の為に山で歌を唄え。』

まぁ、精霊達が契約をするのです。
ヨーマイン王にそもそも人徳があったと考えるのが自然ではありますが、
そのような伝説が残っているのを考えると余程の名手だったのでしょう。

そして『運が良い』事に息子のヨートリ王もまた、歌の名手だったのです。
かくしてこのペクルトは精霊と王達の手腕によって生き残った訳ですが、
いえね、まだここで話は終わりではないのですよ。
ちょっとだけ、水を失敬。

はー、どこまで話しましたかな。

そう、それで戦乱の世が幕を閉じ、
戦後にヨートリ王も天寿を全うしてその生涯を終えたのですが、
二十七の精霊達がヨートリ王とヨーマイン王達との親交を懐かしみ、
山である事を始めたのです。
それが歌う事でした。

精霊達はお互いの声が干渉しない程度に囁かな声で歌い始めました。
御存知の通りの地形ですからな、大きい声では反響してしまいます。
しかし、それはそれは美しい声で御座いました。
このペクルトを囲む山々のどれに足を踏み入れても、
透き通る美しい精霊の歌声が聞こえてくるのです。

程なくして多くの者達が美しい歌を聞きに山に入る様になりました。
戦後間もなくの事で御座います。
それまで山は国境周辺と言うこともあり、
普通には入る事を禁止されていたので、

え?でもヨーマイン王はコッソリ入っていただろって?
そうなのですよ……あまり見習ってはいけない所で御座いますな。

それで、長らく禁止されていた入山が戦後解禁されたという事もあり、
人々は山に押しかけたのであります。

美しい樹々、
そこに響き渡る精霊の歌声。
聞きほれる人間達に気を良くしてか、
それともヨーマイン王達が守った民に親しみを覚えてか、
精霊達も毎日山で歌を唄い続けました。

しかし、まぁ人とは欲深いものでございますれば。

ある男が山の一角で商売を始めました。
茶屋で御座いました。
まぁ、上手いものです。
山登りは疲れますからな、
革袋に水を入れていてもつい飲み干すなんて、よくある事でしょう。
山で喉が渇いた人間が詰めかけてその茶屋は繁盛したのですが、
それを見た他の人間も真似をして茶屋を山に構え始めたのです。
それが悪い事に、一つの山に集中して。

どの山の精霊も歌が巧かったのですが、
当時の流行りに合っていたのはカインクセスという精霊だったようです。
一際人気だったカインクセスの山に人が押し寄せるので、
最初の茶屋も、その後に建った茶屋も全てカインクセスでした。

そうしたらですね、
茶屋を商う者達はより稼ごうと、客を呼び込む事に必死になり始めました。
そして物を運び込みやすくするために山の木々も切り倒し、道を整備し、
山の動物達もその住処を徐々に追われていったのです。

それまで静かで動物と戯れる事の出来た山だったのに、
商売をしようと入った人間によって随分様変わりしてしまいました。

そしてある日の事、急に歌声が聞こえなくなったのです。
カインクセスのどこに行ってみても、精霊の歌声が聞こえません。

嫌になったのでしょうな。

自分の歌を聞いていた『だけ』の人間達なら親しみももてたものを、
よもや目先の欲しか気にしない人間など、呆れてしまったのでしょう。
カインクセスはただ黙る事にしたか、それとも他の山へ移ったか……。

それからどうなったと思いますか。
精霊達ではありません、人間が、です。

人間達は他のまだ『歌っている山』に向かい同じように商いを始めました。
そこにはまだ人間が集まるから、と。
まぁ確かに、人が集まらなければ商いは出来ません。
しかしその後、同じような事が起こりました。
強欲な人が増え、騒ぎ、山は歌わなくなり、
遂にはどの山に入っても美しい歌は聞こえなくなってしまいました。
全ての精霊達が、もう人間に愛想を尽かしたのです。

ここでやめておけばいいものを、
人間とは本当に欲深いもので。

ある茶屋の店主の男がこんな事を思いつきました。
山の精霊が歌わないなら、自分が歌を唄おう、と。

どういう意図があったのかは判りません。
自分が歌うことでまた精霊に歌って貰おうと思ったのか、
それとも自分の歌を売りに人を集めようと思ったのか……。
どちらにせよ、その店主は大声で歌いました。
それはそれは大きな声だったのであちらこちらで山彦が返り、
どの山に居ても男の歌声が響き渡りました。
そしてその男の歌は、下手だったのです。

男の歌を聞いた精霊達はカンカンに怒りました。
精霊達はヨーマイン王やヨートリ王の美声を知っていたから尚更、
酷い歌声の男に激怒してしまったのです。
もしかすれば、ヨーマイン王達を侮辱したと思ったのかも知れません。

そして精霊達は怒りのままに店主の男を殺し、
山の奥深くでその男の身体を埋めて隠してしまったのでした。

それからというもの、
山で歌った者は精霊の逆鱗に触れて殺されてしまうという噂が流れ、
ペクルトの民は誰一人として山で歌わなくなりました。
それが今ではただ迷惑になるからと解釈がされ、
忘れ去られるように精霊の話も途絶えて行きました。

「……というのが、山に纏わる話でございます。」
「ふーん、面白い。」
「お気に召した様でなにより。では、引き続き」
「でも嘘があるね」
「ほう?」
「最後の、精霊が店主を殺したって部分」
「と、申されますと」
「誰が、店主が殺されるところを見たのさ。
 精霊が山の奥深くで死体を隠したってのも、
 誰かが見て無きゃわかんないじゃん」
「……これはこれは、なるほど、考えましたな」
「精霊なんて嘘だよ。居る訳ない。子供だましの作り話。
 聞く分には面白いけど、信じはしないよぉ。」
「……店主が死んだ事を人間達が知る方法が一つだけあります。」
「なに?」
「精霊が自ら、その事を人間達の中で言って広めたのです。」
「ははっ、そんなの」
「ヨーマイン王と親交を持ったコルカテオは直に城に知らせに来ました。
 自ら山を下り人間の間に噂を広めるくらい、考えられる話です。」
「……その男がよっぽど音痴だったんだ?」
「ははは、だったのでしょうねぇ。」
「……カインクセスは地図でいうとどこ?」
「カインクセスですか?ここですな。」
「――僕が歌を練習して上手くなって、」
「はい?」
「将来ここで歌を唄ったら、カインクセスはつられて歌ってくれるかな」
「さぁ、カインクセスは随分頑固な所がありますから……。」
「もう歌ってくれない?」
「どうでしょう……」
「歌声を聞いてみたかった……」
「……コルカテオなら、応えてくれるかもしれません」
「本当?適当言ってない?」
「コルカテオは一番人間好きなので」
「どこ?コルカテオはどこ?」
「ここですな。」
「……よし、今日はカインクセスとコルカテオ、二か所覚えた。」
「はい、精進なされませ。」

本日覚えた山岳の名称はたった二つだが、
何も覚えないよりは格段に良し。
王子が少しでも山に興味を持った事で、
これからはきっと自ずと学ぶ事でしょう。

そんな笑みを浮かべて教師が授業後に王子の部屋を出ようとすると、
王子が彼を呼び止めた。

「ところで先生。先生の名前は?」
「私の?」
「そう。」
「私のなんか覚えても面白くは無いでしょうに」
「精霊の名前を二十七も覚えるんだ、一つ増えてもそう変わらない」
「おやおや精霊と同じ扱いをして頂けるとは光栄の至り。
 しかし、新たに覚える必要は御座いませんよ」
「ん?」
「もう本日王子に覚えて頂きました。
 名前はコルカテオ、コルカテオです」
「へぇ!精霊と同じだ」
「ふふ。王子、良き王になられませ。
 では、また」

そういって城を去った教師だったが、
それから城に現れる事は二度と無かった。
教師が来る事を待っていた王子は城の従者達に尋ねて回ったが、
誰もそんな教師は知らない、と言うばかり。
驚いた王子は父王の部屋に飛び込んだ。
子供らしく大声で、「精霊が来た、本当だってば!」と、
父王の太腿をしきりに叩いた。

「痛い痛い、叩くのを止めなさい」
「本当だってばパパ!」
「別に信じないとは言ってない。」
「その顔!いつも適当に僕をあしらう時の顔じゃん!」
「なんてことを言うんだ、この顔は生まれつきだぞ」
「じゃあ信じてよ!」
「信じるとも。その証拠に当ててやろうか。
 その精霊の名前はコルカテオじゃなかったかい」
「! そうだよ!なんで判ったの!」
「またちょっかいかけに来たのか。
 他の二十六の精霊は滅多に姿を現さないが、
 コルカテオだけはたまに城にやってくる。
 お父さんだってあった事があるぞ。
 二年前に一緒に酒を飲んで二日酔いになった。」
「いいなぁ!僕も飲む!」
「お前にはまだ早い。それにコルカテオに再び会う為には条件がある。
 ……何をすればいいか、判るな?」

それからおよそ一週間経った時のこと。
王子は父王に連れられて山岳の一角に入っていった。
そして山から降りた時の表情は満面の笑みだったと言う。

ちなみにその後の九歳の誕生パーティにて、
来賓の伯爵から冗談めかしに「山岳は全部言えますかな?」と聞かれた際には、
スラスラとその全てを答えたと記録書に残っている。

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