YATTANE(中編)【ショートショート】
人間が様々な事に行き詰まると、
皆同じ目的の行動を起こす。
散歩に出たり買い物に行ったり寝たり。
俗にそれを気分転換と言う。
物書きの場合、
書く場所を変える。
お気に入りの喫茶店、
ファミレス、モールのベンチなどなど、
向かう先も十人十色。
図々しい奴になると友人の家に押しかける。
男は小説家を目指して二年目の当初、
喫茶店でもファミレスでもなく、
山手線に乗り込んだ。
西日暮里での乗り換え、
千代田線からホームを登り向かうは地上の山手線。
そして禁じ手の山手線一周を延々と繰り返す目論見。
ポケットの中には小さなメモ帳を忍ばせ、
つり革に掴まる。
電車はポンプの様に人を入れては出すの繰り返し。
それに抗わず男も出て入ってを繰り返した。
ただし男の場合、
乗っていた車両から出てすぐ、
駅を出る為に改札へと向かうのではなく、
同じ電車の別の車両へと移り乗る。
そしてまた別のつり革に掴まる。
必ずつり革に掴まる。
そう、つり革。
男は山手線に乗るのではなく、
つり革を掴みに来ていた。
人の発した言葉が言霊となり、
どこかで誰かの現実になる様に、
電車の手摺に誰かの特殊な記憶が残って無いか、
ひたすら山手線のつり革に掴まりまくった。
常識で考えればそんな事はあるだろうか。
いや、ありえない。
つり革は倒れないように掴まる為の道具であって、
決して記憶を貯蔵する為の道具では無いし、
そもそもそういう機能も搭載されてない。
だがつり革が特別でなくても良い。
何かの偶然で、触る側の人間が特別で、
物体に記憶を残せる人間がこの世の存在していたら、
この数あるつり革の中に何かの悪戯で記憶を残したり、
そうでなくても恨みや念が残ってないか。
それに巡り合えれば新たな小説にネタになる、と、
男はひたすらに山手線のつり革を握り続けた。
それから一年後、社会に復帰してからというもの、
男は以前の事務仕事とは全く違った業務をしていた。
ドリルを回し、埃にまみれ、
ケーブル先端をニッパーでちょん切る。
パソコンの前でカタカタキーボードを打つだけの前職と違い、
まるで高校時代の文化祭を毎日やっているようだ。
だが慣れない事はミスも起こりやすく、
とある鉄板に穴を開けようとドリルを構えたおりに、
ドリルの先端が暴れて傷つけてはいけない所まで傷が入る。
先輩の鰻には「綺麗に」穴を開けろと言われていた。
男は渋い顔をして鉄板を鰻のもとへと持っていった。
「すいません鰻さん、これ」
「どうした?出来た?出来た?」
「いや、ちょっと……ドリルずれちゃって」
「ん?わぁ!やったね!」
「すいません……」
「あと二枚同じ鉄板あるから、
今度はミスらないようにね」
男の先輩である鰻正敏(うなぎまさとし)には口癖があった。
やったね、である。
鰻の「やったね」には出るタイミングがあった。
御飯が美味しかったり、
定時チョッキリに帰れる時に言うのではなく、
後輩の失敗の際に必ず、
「やったね!」
と言うのだった。
しかも咎めるように言うのではない、
まるで我が子が何かに成功したかのような口調で、
「やったね!」
と言う。
こちらはミスを報告しているのに、
あたかも成功したかのように言われるので、
男は毎度不思議な気持ちになった。
男が再就職した職場は前述の通り東京は江東区。
五階建ての高さの三階建てビル、
本社は関西、関東は支社。
総従業員百五十名程で、
関東にはおよそ五十名弱が在籍している。
関東にはイベントレンタル部門と販売部門があり、
男は販売部門の実作業部隊に配属されていた。
現場でケーブルを繋いだり、
ディスプレイやスピーカーを設置する業務である。
その配属先のチームは何と三人だけ。
新たに入社した男を含めて、三人だけ。
男と、鰻と、佐々木というもう一人の先輩が在籍し、
営業から下ってくる案件を処理する体勢だった。
男がもう一人の先輩、佐々木にコソッと喋る。
「鰻さん、昔からああなんですか?」
「え、なんの事」
「この前ミスを報告しに行ったら、
やったねって言われたんですよ。」
「ああ、それ。昔からだよ。
僕も入社してすぐは何度もやったねって言われた。」
「えぇ……なんか……。
言われて不思議な感じになるんですけど」
「面白いよね、鰻さん」
「いや、確かに面白いんですけど」
「この業界でもかなり稀な仕事人だと思うよ。
誰かが仕事でミスしたら怒りたくならない?
怒らないにしても、なじったりさ。
なんでそんなミスするのって多分言いたくなるでしょ。
でも僕、鰻さんからそんな事言われたの一度も無いからね。
しかもこの業界ってさ、
現場出るからどちらかというとガテン系寄りでしょ。
下請けの職人さんには口より手が先に出る人も結構いるのに、
鰻さんからは絶対毎回、やったねって言われる」
「言われててどうでした?」
「なにもやってねぇよって思ってた」
男は佐々木のその言葉に思わず吹きだした。
佐々木は温厚そうな見た目を裏切らない性格だった。
おっとりに輪をかけて穏やかな性格。
その佐々木が言う「なにもやってねぇよ」はミスマッチで、
何より男も同じ事を思っていたので笑ってしまった。
「でもやったねって言葉、不思議でね」
笑いをこらえる男が喋れないと見て、
佐々木が話を続けた。
「言われるとなにくそって思うんだよね。
もうミスしてたまるかって。
でもミスしたらしたで、
報告するのも抵抗が無くなっちゃう。
普通に、すいません、ミスしましたっていうもんね。
そしたら、やったね!ってまた言われるでしょ?
本当に、なんかモヤモヤするんだよね。
怒られる筈なのに褒められて、
だからね、思ったよ。
ああ、やったねって言われてるうちはまだダメなんだなって。
まぁ、今でも言われる時は言われるんだけどね。」
やったねといわれてるうちはまだダメ。
その言葉の重さと言ったらなかった。
やったねと言われてヘラヘラする職場じゃないのだ、
モヤモヤしながら次は二度と言われないと自戒する職場なのだ。
男はその事に気が付いた。
だが気付く事と実務は別、
男は慣れない業務にミスを積み重ねたが、
その度に鰻から「やったね!」の洗礼を受ける。
あまりにもやったね!と言われるもので、
男は頭の中がおかしくなり始めた。
怒られるべき筈なのに、褒められている。
一体これはどうした事だ。
それまでの経験則がグチャグチャにされて、
現場帰りのハイエースの中で遂にポカンと放心してしまった。
フロントガラスの向こう側にはオレンジ色の高速道路。
物言わぬライトが何本も御辞儀をしたまま通り過ぎて、
もうあとは会社に帰って荷物を降ろすだけ。
もう業務は終わった様なものだった。
ラジオからはNACK5が微弱に流れていた。
「ねぇ」
とハンドルを握る鰻が男に話しかけた。
「小説ってどうやって書くの」
「はい?」
「小説小説」
男も頭が惚けていたので、
首をガクっと動かして返事をした。
「どうやって思いつくの。話の筋書きとか」
「えー?なんていうか……こう」
男の指は無意識にキーボードに指を乗せた形に手を動かす。
「……パソコンのキーボードに指を乗せたら、
勝手に動き出すというか」
「へぇー、便利なもんやな!
事前には考えへんの?起承転結ってあるんやろ?」
「あー……なんていうか、
書いてたら勝手に出来るもんですから……」
「流石プロは言う事違うな」
「いえプロじゃないですから……ダメになった身なんで」
「書けへん時もあったの?」
「二年目はしょっちゅうでしたね。」
「どうすんの。気分転換でカフェとか行くん?」
「山手線に乗ってました」
「山手線?電車?」
「千代田線乗り換えの西日暮里で、山手線乗るんですよ。」
「どうして山手線?なんかアイデア沸いてくんの?」
「沸くと思ってましたね。
つり革を握るんですよ、こうやって」
男は右腕をL字に上げると、
空を掴むように手で輪を作った。
「誰かの握った後のつり革って温かいじゃないですか。
その人の温度が残ってるんですよ。
ぬるかったり、こんなに熱いのか?って思う程だったり。
その熱を後から触る事で、
直前まで触ってた人の何かが伝わってこないかなって思ったり、
超能力持ってる人が何かの記憶を残してないかと思ったり。」
「それでなんか書けた?」
「ダメでしたね。書けませんでした。
ただつり革握って、ぼーっと窓の外見て、
山手線一周してただけでしたね。」
「それで諦めてウチに来たって訳やな。
ようこそ!地獄の職場へ!」
「ははは……。」
自分で言うのは良いにしても、
他人に言われると頭にくる言葉がある。
男にとっては「諦める」がそれだった。
自分で言うのは抵抗ないが、
他人に言われるとカチンときてしまう。
だが事実、男は戦場から逃げ出した身であった。
こうやって言われるのが当然なのだと、
夜の高速道路の帰路の中、押し黙った。
「でも良かったな。」
「え?」
「それそのまま続けてたら、
多分君、頭おかしなってたで」
ハイエースの中にはNACK5の軽快な音楽。
外側はオレンジと黒の変わり映えの無い景色。
運転をする鰻の眼鏡だけが光っていた。
「聞いて正直頭ヤバいなと思ったもん。
ドキュメタリとかで作家さんの特集見ても、
大体カフェとかファミレス、
あっても公園やろ、気分転換って。
山手線なんて聞いた事ないで。
いや、電車の中も気分転換には良いかもしれんよ。
でも君のそれは気分転換やのうて、
もうほぼ神頼みみたいなモンやろ。
起こらへんような事を求めてやり続けるって正直ヤバイわ。
だから正解やで、やめて。
だって頭おかしなったら、
書きたいモンも書けんくなるやろ。 な。」
「 」
「……ごめん、怒った?」
「いえ、その通りだと思います。
あの、鰻さん」
「ん?」
「現場のB室の4S8、一か所繋ぎ損ねたかも知れません……」
「そーなん?まぁ明日繋ぎ直せばええよ」
「あの、やったねって、言って貰えませんか」
「え? やったね!これでええか?」
「ありがとうございます、なんかすいません」
「幾らでも言ったるよ、やったね、やったね!」
「すいませんもう良いです」
「やったね!」
※NACK5
埼玉のFMラジオ放送局。周波数は79.5MHz。
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