嫁塚【ショートショート】
(とある記者の手記より)
その昔、
怒り狂った天の男神が無数の雷を降り注がせ、
大地が荒れ果てて人々は窮地に陥った。
どうか怒りを鎮めるようにと人々が男神に申し上げると、
男神は怒りを鎮める代わりに八年に一人、女を貢げ、と言った。
それも唯の女ではない。誰かの妻になった女に限る。
それから八年に一度、くじによって決められた妻は生贄になり、
決められた墓へ葬られるようになった。
それ故にこの土地を『嫁塚(よめづか)』と呼ぶ。
この話を聞いたのは私がまだ三十路を少し過ぎての事だった。
時代は昭和の残り香が漂う90年代。
群馬の山奥の田舎で聞いた話である。
各地の土着神話を調べる事を生業にしていた私が訪れたかったのは別の地だったが、
道中で道に迷い、挙句車の調子も悪くなるという合わせ技で立ち往生。
二進も三進もいかない中で助けを求めたのが群馬の山奥。
そこで口癖のように、
「何か、面白い昔話はありませんか」
と伺った所、聞く事が出来たのが件の話だった。
悪い意味で遠慮を知らない私は喰い気味に話のルーツを聞こうとすると、
「ヨネさんに聞くと良いよ」
と一人の老人を紹介された。
もう時間も夜の深みに入り、
また後日、と流石に断りを入れようとしたのだが、
ご老人の方から「良いからいいから」と滞在を許されてしまった。
「何年前まで、生贄の習慣があったのですかね」
私が有り合わせの紙切れと鉛筆片手にそう尋ね、
ヨネ老人はくちゃっと鳴らした舌を口にひっこめ、
ゆっくりと話を言い出した。
「ワシが子供の頃はまだ嫁に行くもんがおった」
「生贄になるって事ですか」
「んだ。
みんな、神様の嫁になりに行く」
「酷い神様ですよね、人の嫁を生贄に出せなんて」
「神様を怒らせたら、もっと多くの人が死ぬからな。
だで、みんな泣く泣く嫁に行った」
「でも旦那さんもいるでしょうに。
何も言わなかったんですか?」
「おきてだで。
寺で女だけ集まってクジ引いて、
紐の先が赤かったら、嫁にいく。
それが知れたら、男は泣いて泣いて、もう気の毒なもんじゃった。
あるクジを引く年なぞ、
同じ年に嫁いだサナっちゅう娘が『嫁』を引いてしまってな。
まだ歳も二十歳にならん娘御で、そりゃあ、旦那も、両親も泣いた。
どうしようもないで旦那は残った時間でサナの事を可愛がったのう。
サナが嫁に行くまで、夜は毎晩夫婦の声が家から聞こえて、
そりゃもう、聞き耳を立てんでも耳に入るくらいじゃった。
それからサナが嫁に取られ、
打って変わってしーんとした夜を聞くのも、
また可哀そうな事じゃった」
私が薄暗い明かりの中、
一言も喋らずにじっと老人の話を聞いていてると、
ふと、ある話を切り出した。
「こんな話がある。
とある夫婦に、娘が一人生まれた。たった一人の子供。
しかし夫婦は随分と歳がいっていて、
やっと授かった娘がいつか『嫁』を引いてしまうかと思うと不憫で、
こっそりと男として育てる事にしたのじゃ。
神様がそれに怒ったのか、
その年のクジで、妻の方がアタリを引いてしもうた。
妻は嫁塚に埋められてもうて、
旦那はいよいよ娘の事が惜しくなり、
更に男として育てるよう、励むようになった。
しかし、村には男が大人になる祭りがある。
十五になると、年上の女がマグワイの世話をする。
これは昔にも女子を惜しんで男として育てた事があるで、
それを見破る為にする祭りじゃ。
娘も、いよいよ十五になった。
祭りで男にならねばいかん。
しかし、女じゃ。
娘のお父は、こいつは風邪を引いただのなんだの理由をつけ、
娘を女の寝床にはいかせなんだ。
しかしそれもいつまでも続かん。
いよいよ観念したお父は、娘を寝床に行かせた。
その年に男の相手をしたのはアキという後家じゃった。
旦那を胸の病で無くしてもうての。
この祭りは後家さんが若い男の面倒を見る習慣じゃ。
娘は、面倒を見られる最後の一人じゃった。
(後家:夫に死なれて独身でいる女性の事)
明かりが無くなった部屋の中で、
どうして良いかも判らずに娘が寝ておると、
するりするりとアキの手が服を脱がして、
あっという間に素っ裸になった。
股の間をずっと触られるが、それが暫く続いた。
ふいに明かりが点いたかと思うと、
アキが、娘の股の間を驚いたような顔で見ていた。
それもそのはず、男のモノがないからのう。
手探りでなかなか見つからないもんで、
明かりを点けたのは言わるもがなアキじゃ。
初めての事で、暫くアキもあっけにとられておったのう。
アキから、
お前、女だったかと言われて、
娘はそうだと答えた。
家で待っている娘のお父は気が気でなかった。
もうバレてしまうと思うと、腹がつぶれるほど苦しかった。
夜遅くに娘がアキの寝床から戻ってきたので、
どうだったか、バレたかと尋ねると、
娘はバレたと答える。
もうこれまでか、村の者からどんな目に合うかも判らん。
悲痛な心地から痛いほどに娘を抱きしめて夜をやり過ごした。
翌朝びくびくしながら道をお父が歩いていると、
その向こうでアキが他の村のもんと話しているのが見える。
死にそうな気分でその横を通り過ぎようとすると、
村のもんがお父を呼びとめて、からかうつもりでアキに、
昨日のボウズの調子はどうだったかと尋ねた。
お父はもうこれまでかと思ったがアキは、まぁまぁじゃの、と言った。
「早くにおっかあを亡くしたせいか、
胸にちゅうちゅうと吸い付いてきて可愛いもんじゃった。」
そんな事を言うアキに、お父はポカンとした。
なんの事か判らんかった。
バレた筈ではないのかと口を半開きにアキをずっと見つめていた。
村のもんが笑いながらその場を去ると、
アキが優しくお父に笑った。
『誰にも言わんで、安心してええよ』
そっと耳打ちしてアキは去って行った。
まるで地獄からいきなり極楽に引き上げられたようじゃったので、
お父はその場でへたり込んで男ながらに泣いたと言うの。
その晩に、アキの家に客が来た。
お父と、娘じゃった。
ずっと男として暮らすにも、嫁を取らずには怪しまれる。
どうか、こいつの嫁になってくれんか。
お父はアキに頼み込んだ。
アキもびっくりした。
けれども、歳が離れすぎておる。困惑したアキはそう言った。
昨日の晩に、コイツがアンタに惚れ込んだ事にすればええ、
頼む、ワシもおっかあに死なれて、
忘れ形見のコイツにまで死なれたら、
もう生きてはいけん。
頼む、ワシとコイツ、二人分の命を助けるため、
どうかコイツの嫁になってくれんか。
アキは頼み込むお父に根負けして娘の嫁御になった。
見た目は男と女の夫婦じゃが、その実、女同士の夫婦。
他には誰も秘密を知らなんだ。
お父と、アキだけが娘の秘密を知っておった。
娘は大恩を感じ、アキを大切にした。
アキも、娘を妹のように思い、大層可愛がった。
村人も歳の離れた仲のええ夫婦だと微笑ましく見ておった。
しかしそれから十年ばかし、
また『嫁』を決める事になり、
アキが運悪くクジを引いてしもうたの。
家に帰ったアキが娘にクジを引いてしもうたと言った。
娘は言葉が出なかった。
ちろちろと燃える囲炉裏を二人して囲み、
炎をじっと見つめていた。
アキは、娘の嫁になってから先、他の男に構う事は無かった。
その事が、娘はとてもうれしかった。
だからな、アキがクジを引いたと聞かされた時、
そりゃあ苦しくて仕方なかった。
ワシが男だと偽っているからだ。
それを神様が見抜いて、アキにクジを引かせたんだ。
娘はそう言った。
しかし、アキと娘が一緒に暮らすようになって、
二回目の『嫁入り』じゃ。
本当に神様が見抜いておるなら、前の時にクジを引かせるはず。
たまたま、たまたまじゃ。お前が悪いのではないよ。
アキが、笑ってそう言った。
最後の晩に娘はアキに心の内を話した。
ワシは女で、男としての役に立たない。
だのに、他の男に構いもしないで、
ずっと傍にいてくれた事がなによりも嬉しかった。
娘の目から涙がポロポロあふれた。
それを聞き、アキも言った。
お前さんこそ若いのに、こんな年増の女の傍にばかりいて、
気の毒な事だ、と。
二人とも笑った、別に何も損な事など無かった。
お互いの気遣いが嬉しくてたまらなかった。
それからアキが、十年ぶりに娘の服に手をかけた。
夫婦のように夜を過ごした。
他の夫婦はな、『嫁』になる妻を惜しんで、
旦那が気が狂うほどに頑張るもんじゃが、
この夫婦は両方とも女じゃ。
アキが、娘の身体を余す所なく唇で舐めた。
頭の上からつま先まで、尻の中まで。
最後に味わいたいものを鱈腹(たらふく)食おうとするかの如く、
アキは娘を可愛がった。良い夜だった。
知らぬ間に娘は寝てしまっていて、
気が付いたら隣で寝ていた筈のアキが居なかった。
よほど気を失っていたのか日はもう随分と高かった。
もう、アキは嫁塚に埋められてしまっていての。
旦那に惨いものを見せないようにと、
村のもんに頼んでの事じゃった。
それから、娘は独り身を貫き通した。
アキのおかげで生涯女だとバレる事も、遂に無かった。」
老人の話の終わりに、
私はため息も出ずに、ゆっくりと瞬きだけをしていた。
途中から鉛筆を走らせる事も忘れ、
喉が渇くのも忘れ。
あれから随分と時間が経ち、
アンゴルモアの大王も、マヤの予言も怠けてくれて、
無事に世界は2010年を更に三年も超えて今に至る。
まだ、宇宙旅行が出来そうにないのは残念な事だ。
私は色んな土地を経由して、
今は群馬の隣、栃木に住んでいる。
何の因果かと思い、ついこの間、
遥か昔に世話になった土地に赴いてみた。
土地の名前は相も変わらず嫁塚。
山の中の田舎の村である。
昔に往生した時に世話になった夫婦もまだご健在で、
記憶のかすれた昔話をたいそうした。
それから、ふとあの老人の事を思い出した。
あの時点で大層な高齢だったので、
もはや昇天してらっしゃるだろうと思ったが尋ねてみた。
「ヨネさんかぁ、もう随分前に逝っちゃったなぁ」
「やはりそうですか」
「ヨネさんな、実は女だったんだよ」
「……おんな?」
「そう、葬儀の支度している時に、初めて判ったんだよ。
驚いたなぁ、ずっと皆男だと思っていたからなあ」
「あの、あの、
ヨネさん、奥さんはいましたか?」
「ああ、昔に居たって話は聞いた事があるなぁ。
名前なんだっけなぁ、ハルさん、いや、ナツさんだっけ」
「違うわよぉ、ホラ、アキさんよ」
「そうだそうだった。」
「アキさん――― 」
ここは群馬の山奥、
土地の名前は相も変わらず嫁塚。
その昔とある女性が男として育てられた女性に嫁いだ伝説のある土地。
この村に、この伝説を知るものは、恐らく他にいない。
この土地の名は嫁塚。
群馬の山奥。
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