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努力値【ショートショート】

世間に『努力値』が施行されて十五年が経つ。

鬱が病と認定されて長い年月の後、
その具体的な解決案として作られたのが努力値。

精神的な負荷を数値化し、
それを専用の機器で測定する。
異常値ならば休養が必要と決められており、
会社や学校は対象の人間を休ませなければならない。
これは施行三年目に国から条例が出て徹底された事である。
そのお陰か近年、鬱で重症化する患者は激減した。

この『努力値』という呼び方は方便にも近い。

人間がストレスを感じた時様々な信号を出すが、
努力値はそれを読み取るシステムとなる。
だから揶揄して「ストレス値」とか「鬱値」、
口性の無い奴は「ヘタレ値」とか言っていた。

しかしネガティブな言葉ばかり並べても始まらない。
君が頑張って募らせた数値なんだよそれは。
何も恥じる事は無い、それは『努力値』なんだから。

こういう呼びかけを大々的に広告した国策は正しかった。
結果徐々に『努力値』という呼び名は世間に浸透し、
最初は色々と悶着がありもしたが今は馴染んでいる。

時刻は夕方、少し早い頃合い。
小学校が子供達を送り返す合図のチャイムが聞こえる。

我が家の子供もそろそろ帰って来るかな。
そう思いながら洗濯物を取り込む母親が一人。
いつもより長めに干された洗濯物は不満げだった。
ごめんごめん、ちょっとの昼寝が長くなって。
宥めるように優しい手際で取り込んでいると、
ベランダから帰ってくる娘の姿が見えた。

おっ、帰って来たな。
元気な「ただいま」がそろそろ聞こえる筈だ。

と、思ったのだが、
あれ、おかしい。
娘の声がこれっぽっちも聞こえない。

「ゆうこ?ゆうこー、帰ってきたのー?」

取り込んだ洗濯物を畳んでいたのだが、
いつもただいまの言葉を欠かさない娘が何も言わない。
畳んでいた手が止まり、
母親は型崩れした洗濯物達を置き去りにした。

玄関に靴はある。
という事は家には帰っている。
しかし、ドアの開く音も閉まる音もしなかった。

リビングにランドセルは置きっぱなし。
いつもなら部屋に持って行きなさいと声を上げるが、
今日は普段と違う雰囲気を感じ取り、声が出ない。

「ゆうこ、ゆうこ?どこ?ゆうこー」

トイレも居ない、風呂場も居ない。
それなら、と思って階段を上がり、
子供部屋を開けてみると、
そこにあったのは子供の体一つ分こんもりと膨らんだ布団。

「なぁんだ、どうしたの。
 ただいまも言わないで。ほぅら   えっ!」

めくった布団の中には娘ではなく、熊のぬいぐるみ。

「えっ、えっ!?」

これは、変わり身の術!?
凄い、初めて見た!
おじいちゃんちで読んだナルトでしか見た事無いのに!

なんて事は微塵も思わず、母はただ焦った。

どこ、ゆうこはどこ?

布団のふくらみが見せた安堵は幻、
中の熊が一気に焦燥感を駆り立てる。

「ゆうこ、ゆうこ!?」

布団の中に居ないとなれば、
机の下、ベランダから何かをして下に落ちたとか、
しかしそう思ったベランダにも娘の姿は見えない。
探し回る場所が空ぶる度に焦りが増す。
ゆうこ、ゆうこ何処なの。

そして手がかかった押し入れの扉、
勢いよく開くと中にうずくまっていた娘としっかり目が合った。

「  ゆうこ。こんなところ、ええ?
 どうしたの、おかえりなさいは?」
「……おかえりなさいはママの言う事でしょ」
「え?ああ、ただいまね、ただいま。
 ただいまも言わずにどうしたのよ」

気が動転して出て言葉も混乱したようだ。
まぁまぁ、娘も居た事なんだし、奥さん落ち着いて。
そう言うように手に触れている押入れの扉の冷たさが伝わる。

「まぁ、とにかく夕方の分、努力値測りましょ。」
「やだ!」
「え?」
「やだぁ!」

ゆうこ、いつそんなに運動神経が発達したの。
娘は母の脇をするりと華麗にすり抜け、
ベッドの上の身代わり熊を跳ねのけたかと思うと、
まんじゅうの如く布団を頭からかぶった。

「ゆうこぉ」
「やだ!」
「ゆうちゃーん」
「や!」
「  こーちょこちょこちょ」

と布団の中に手を入れられ、
脇をくすぐられたので小さいくノ一も分が悪い。
つい暴れて布団を蹴った所を測定用手袋で測られてしまった。

「さーてどれどれ今日のゆうこちゃんは ん!?」

2270!?

2270って、え!?

手袋に表示された四桁の数字に母親が強張る、
なんなのこの数値は、いつもは300とか400なのに、
運動会の後だって1500だった、
それが、2000!?

「ゆ、ゆうこ!?」
「ヤダ、ママやめて!見ないで!」
「ちょ、学校で何があったの!?」

いじめられたの!?
それとも先生に怒られたの!?
給食で凄く不味いもの食べたとか、
いやいや落ち着け、給食の例はある訳ないだろ、
いやでも私も給食のトマト食べれなくて泣いた事あるし、

はっ、違うそんなアホな事思い出してる場合じゃない、

「びょ、病院行くわよ!病院!」
「いやー!!」

嫌がる娘を米俵のように担ぎ、
車の後部座席に放り込むと母は人生で一番アクセルを踏み込んだ。

実の所、子供時代の努力値は安定しない。
そもそも努力値は人により日常平均値が異なる。
平均値が200の人もいれば1000の人もいる。
それは過去の数値から割り出されるもので、
兎角子供の頃は上下に変動しやすい。

しかし平均値が1000も上昇するのは滅多にない。

車をかっ飛ばしてやってきた母親に病院も面食らったが、
どうにか宥めると診察室に親子を通した。

「はい、今日はどうしたんですか」
「あの、この子いつもは300位なのに、
 今日測ったら2270もあって」
「おー、それは凄いねぇ。
 じゃあ、ここでもちょっと測ってみようねぇ」

娘が病院の精密機器の上に仰向けになる。
すると出た数値は2300もある。
なんで、今日に限ってこんなに数値が高いの。
一体学校でゆうこに何があったの。
母親の目が思わず熱くなってくる。

「ゆうこちゃん幾つか質問するね。
 答えたくなかったら答えなくて良いからね。
 じゃあ、今日の給食、何食べたの?」
「カレーだった」
「美味しかった?」
「おいしかった。」
「勉強はどうだった?宿題やって来た?」
「うん、全部出したよ。」
「そっかぁ、友達とは、どうかな?」
「昼休みにさっちゃんとマキミちゃんと」

娘の口から出る平和な日常に、母の胸が締まる。
そうよね、何も悪い事なんて起こってないわよね。
でも、じゃあなんで努力値がそんなにあるの。
ゆうこ、なんで教えてくれないの。
ママはあなたのママなのよ。

ゆうこが生まれてくる時、逆子だって聞いて心配だった。
だからか無事に生まれて来てくれた時、
本当に嬉しかった。
逆子だったの頑張ったね、ありがとうねって。
ゆうこは凄い子だって判ったの。

そのゆうこに、何があったの。

「お母さん」
「あ、 はい先生」
「ちょっとお母さんは一旦部屋の外に」
「   え?」
「お母さんいては話し辛い事もありますので、
 ここは一先ず私共に娘さんを任せて下さい。」

いや、でも、私は母親なのよ。
私がお腹を痛めてこの子を産んだの。

でも確かに、私は母親だけど医者ではない。

「ゆうこ、先生の言う事ちゃんと聞いてね」

と言い残して、母親は診察室の外に出た。

時間はどれだけ経っただろうか。
時計を見ると、およそ十分しか経ってないと言うのに、
まるで一四季を過ぎたような感覚が襲ってくる。

努力値はその名前になる前、
精神エネルギー値という名称だったと言う。
新しい事に挑戦する、誰かに怒られる、不味いモノを食べる。
他にも身体的外傷を負ったり、物事が上手くいかなかったり、
その全てが精神エネルギーを消費するという事が研究で証明された。
それを測定しようと持ち上がったのが努力値プランである。

言い換えれば、
努力値の高さは消費した精神エネルギーの多さ。

ゆうこ、何でそんなに使っちゃったの。
どんな酷い事があったの。
ママにも言えない事って、なんなの。

「あの、お母様宜しいですか?」

診察室から出てきた看護師が母親にそう声をかけた時には、
母親の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。

「ゆうこちゃんなんですけど」
「はい……グスッ、すいません、」
「話しても良いですか?」
「はい、……お願いします」
「ゆうこちゃん、今日クラスの男の子に告白したらしくて」
「はい……」
「はい」
「……はい?」
「え?」
「あのもう一回」
「男の子に、好きって言ったんですって」
「………?」
「そのせいですね」
「……いやあの」
「もう私達は大人だから判らないかもしれないですけど、
 あの、お母さん、落ち着いて聞いて下さいね」
「大丈夫です至って落ち着いてます」
「子供にはよくある事なんですよ、
 好きな相手に恋愛感情をぶつけて膨大な努力値が溜まるのって。
 好きって、すばやくスルッと出る言葉じゃないんですよ。
 言おうかな、言わないでおこうかな、
 そういう葛藤でまず相当な努力値を消費して、
 実際口に出すのもかなりの努力値を必要とします」
「……」
「なので、…あの、お母さん?大丈夫ですか?」
「いえ ちょっとびっくりしてて 」
「ゆうこちゃんに聞いても初めての告白だったというので、
 尚更疲れちゃったんでしょうね。
 年頃の女の子なのでお母さんに言うのも恥ずかしかったんでしょう。
 なので、取りあえずここは軽い風邪、という事にして、
 お母さんもゆうこちゃんの事をそっとしておいて下さい。」
「 はい………」

看護師が診察室のドアを開けると、
入れ替わりで娘が出てきた。
口を真一文字に結んで、じっとこちらを見つめてくる。

「じゃあゆうこちゃん、お大事にねー」

という先生の声が診察室の奥から聞こえてきた。
きっと娘にも、「風邪にしとこうね」と言ってくれたんだろう。

「ゆうこ……」
「   」
「風邪、だってね……今日は温かくしとこう……」
「……うん……ごめんねママ」
「良いのよ……あの、えっとその、
 誰くんが好きなの?」
「!
 もー!ママだいっきらい!!!」

すいません、ここ病院なのでもうちょっと静かに。
通りすがりの看護師さんにそう咎められたが、
窓の外は夕焼け、茜色。

微笑ましく笑う看護師さんの赤色の笑顔が、

今の母娘には少し恥ずかしいだけ。

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