落ちたウグイス【ショートショート】
その朝、
光勝の目覚めは良かった。
赤峰帝国は初代帝王、二代目帝王のもと基礎を固め、
三代目・光勝(みつまさ)が統治する今、栄華を極めた。
光勝は権力の象徴として、
自らの城に様々な達人や要人達を囲っている。
その一人に軍師、道生一益(みちおかずます)が居た。
この一益、将棋がめっぽう強い。
一益を召し抱えた初代との縁も将棋で、
後に初代のもとで軍師として才覚を発揮し、
数々の戦を勝利に導いた帝国完成の立役者でもある。
初代は生前、
「一益に一度も将棋で勝てなかった事だけが心残り」
と言い残しており、
一益自身、将棋においては人生不敗と豪語する。
即ち初代も二代目も将棋で一益に勝てていない。
ならば自分が勝てば先代達より賢人である証拠にもなろう。
そう考えて光勝は幾度も一益と将棋を指すが、
いつも勝利を逃してしまっていた。
しかし今朝の光勝、起き抜けが良い。すこぶる良い。
頭の澄み渡りはまるで晴れ渡った青空の如し。
勝てる、今日の調子ならきっと一益に勝てる。
この調子が崩れてしまう前に一益と将棋を指そう。
そう意気込んだ光勝は服を整えると水だけを飲み、
朝餉(あさげ)を勧める家臣の横を足早に過ぎ去って、
一益の住む城内の一角へと押しかけた。
まだ早朝、すこぶる早い。
だが一益は早朝に鳥の声を愛でる事を習慣としている。
きっともう起きているだろうと光勝が訪ねてみると、
当の一益は縁側に座って庭の竹林の方を向いていた。
遠目から見ても見事な老体の一益は、
初代に仕え始めた頃には既に初老だったと言われている。
それが帝国完成に立ち会って後、二代、三代と仕え続け、
未だ天が命を取らないので周囲は敬意も込めて、
「ついに仙人となられたのでは」
と噂をする程であった。
縁側で椅子に座る老体は、
生きているのか不安になる程の異様な静けさを放っている。
その一益に光勝が近寄り将棋を指すぞと声をかけてみると、
振り向いた一益はさめざめと泣いているではないか。
流石に驚いた光勝が一体どうした、何があったと尋ねると、
両目の涙を拭いながら一益が弱い声色でこう答えはじめた。
「私は毎朝ここで竹林のウグイス達の声を愛でています。
その中でも青桐(あおぎり)の声に聞き惚れていました。
青桐と言うのは私が勝手に名付けた一羽のウグイスです。
名前を付けれる程に青桐の声はとりわけ美しく、
高い鳴き声を耳にすると、ああ青桐だと判るほどでした。
他のウグイス達もその声の美しさが判るのでしょう、
青桐の周りにはいつも多くの雌が集まっていました。
しかし今朝、ある一羽の雄が青桐をつついたのです。
すると他の雄も一緒になり青桐をつつき始め、
遂には青桐が私の目の前で枝から落ちてしまいました。
そのまま青桐は枝の上に戻る事も無く……。
恐らく死んだのでしょう。」
そこまで聞いた光勝は一益に言った。
「雌を独り占めにされた腹いせに、
寄ってたかってその青桐とやらをつつき殺したと言うのか。」
目に赤みが残る一益は首を縦に振る事はしなかったが、
「鳥の心は覗けませぬが、
察する限り、恐らくそうでございましょう」
と言うと、
「今、鳴いているウグイスの声が聞こえますか。
あれは青桐の落ちた後、更に雄同士で争い、
最後に残ったウグイスの声です。」
と耳を澄ました。
そこまで聞いた光勝は怒りをあらわにした。
「今直ぐに人を集めてあの竹林でウグイス狩りをさせよう。
お主の愛したウグイスを殺した鳥を皆殺しにするのだ。」
今度は一益が驚いた。
光勝の言葉を聞くと目を丸くし暫く口を開け惚けたが、
すぐに光勝の前に立ち上がった。
「おやめください、そのような事をしてはなりません」
「なぜだ、けしからん事ではないか。
一益、お前もそのウグイスの死を悼んで涙したではないか」
「ええ?」
「その青桐がつつき殺されたのを哀れに思ったのであろう」
「いいえ帝、それは思い違いをされておられます」
「何が違うと言うのだ」
「確かに私は先程泣いておりました。
しかしそれは青桐が死んで悲しんでいたのではありません。
初代帝王の事を思い出していたのです。」
「御爺様をか。なぜだ」
「帝国が完成するより以前、
権勢を誇っていた武田一族は我が物顔で御座いました。
それに一番最初に牙を剥いたのが初代様でしたが、
初めの頃はなかなか苦戦を強いられたものでした」
「しかし一益、
お前の采配により戦で負ける事は無かったと聞いている」
「左様で御座いますが、
戦自体は毎回こちらが不利を喰わされました。
武田側が毎度こちらを上回る兵数を送り込むので、
いつも頭がはちきれる程に戦況図を睨んだものです。
それから徐々に辺境の勢力も立ち上がり始め、
武田一族を没落させるところまで漕ぎ着けまして――」
「それからは共闘した勢力同士の争いが始まり、
全てを捻じ伏せて御爺様が帝国を完成させた。
というのがその後の結末だな」
「……武田一族も、
初めこそは良い統治をしたと聞き及んでおります。
しかし代が嵩み、驕りが出始め、民の不満が溜まり。
それを良しとせず、立ち上がった初代様の……。
いやぁ、今でも思い出します、
大殿が、初代様が私をお召し抱えになった日、
将棋の盤上を挟んで負けを潔くお認めになられ、
それはそれは物凄い形相で私を睨みつけられたのです。
私はその時、怒りで無礼打ちにされるかと思いましたが、
言われたのが、おい、俺の部下になってくれ、と――。
青桐も雌を独占しなければ今も竹林で鳴いていたでしょうが、
まぁウグイスの世間で御座いますれば、
その点の融通を利かす事は無理でありましょうな。
しかし青桐の優位を崩そうとつついた勇猛なウグイスを見て、
ふと、大殿の事を……」
そこまで話すと、一益は黙ったまま竹林の方を見つめた。
思い出が言葉を詰まらせたのか、暫く話す事は無かった。
光勝はと言うと、すっかり頭の冴えは引いてはいたが、
将棋盤を自ら広げ、一益に一戦を挑んだ。
勝負は常にどこに転ぶか判らないものだが、
その日の朝も、一益に軍配が上がる結末となった。
いつもは悔しさを顔一面ににじませる光勝だったが、
今朝は落ち着いた様子で投了を宣言すると、
同じく落ち着いた様子の一益にこう教えを請うた。
「俺が青桐の様にならない為にはどうすれば良いか」
「ウグイスの様に、でございますか?」
「いや、言葉が悪かった。
俺が武田一族のようにならない為には、
何に気を付ければよい。」
「そうで御座いますなぁ……」
一旦言葉を切った一益は目を竹林の方へやった。
両者話さないので竹林から響く鳥の声が静かに響いてくる。
これまでのウグイスの鳴き声には勝らないまでも、
落ち着いた、貫禄のある鳴き声だった。
「――弱さを認められませ。
強い者は強いままでいたいものです。
それゆえ、自分の弱さを誤魔化したり、
見て見ぬふりをしたりするので御座います。
しかし三代目、己の弱さを認められませ。
人は誰でも弱い部分を持っています。
私もそう、初代大殿もそうで御座いました。
誰もその事から逃れられる事は出来ませぬ。
弱さを認めると言う事は、
驕る心を抑える自制を持つという事。
武田一族は最後の代、自分を神だとのたまっておりました。
神でもないのに自分が神だとぬかす阿呆がどうなるか、
それは時代が証明するばかりで御座います。
三代目、弱さを認められませ、
人のままでおられませ。」
そして人は飯を喰わねば生きていけませぬ。
さぁ、遅いですが朝餉を食べましょう。
先程から遠目で従者がこちらを見てますぞ。
そう促された光勝は至って静かな物腰で一益と部屋を後にした。
誰も居なくなった部屋の中には、
ウグイスの声が届いてくる。
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