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人生100年時代、”これが自分の人生だ”と毎日ワクワクしながら生ききるために49歳から何を始めますか?

人生100年時代と言われて久しいですね。
その折り返し地点が50歳。

男性でしたら50歳を目前に役職定年や
自分の会社内でのポジションが見えてくる時期。
将来の働き方に不安を覚えたり、
経営者であればまだまだバリバリ働きたい、
でも健康の不安が生じてきた。
生き方を見直したいと思始める時期かもしれません。

女性でしたら子育てに目途がつく一方
更年期特有の悩み、
親の介護、そして自分の老後
夫と二人の生活に何とはなしに
モヤモヤしたものを感じる時期かもしれません。

私自身はというと
これが自分の人生だといえる人生をワクワクしながら生きていきたいと頭で思い描きながら、何がしたいかわからず焦っていました。
何かしたいと情熱はあったものの、自信がなかった。
具体的な夢や願望はありませんでした。

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49歳当時の私は
母親として、
経営者として、
頑張ってはいたものの、
思うような成果を出せず
そのうえなんだか身体がついていかない。
そんな頭と体がバラバラで動けない中途半端な自分にいら立っていました。

それは30歳の時にしたある決意があったからです。

30歳、私は無職で0歳児と2歳児を連れて離婚しました。
きっかけは元夫の浮気。

私が下の子を生んだちょうどそのころ、
元夫は同僚に夢中でした。
その人と新しい生活を夢見る元夫は
生まれたばかりの娘を見ることすらせず、
さらに「お前と子供たちはいらない」と
はっきり言い放ちました。

今思い返しても
かなりのダメンズですね(笑)

だから私はこどもたちが成人する50歳までは、
子供たちのために父親として母親として二人分の役割を生きていこうと
決めたのです。

だから50歳目前の49歳、
ようやく自分の人生を楽しめるという長年の期待とはうらはらの思うようにいかない毎日に私はこれからどう自分らしい人生を作っていけばいいのか
皆目見当がつかずもがいていました。

そんな時、イギリスに住む高校の部活仲間Mちゃんから一通のメールが届きました。スキル性の胃がんのため残り1年の余命宣告をされたと。

彼女は余命宣告されてから周りがついていくのに必死なくらい、精力的に動きだしました。
友人たちにお別れの挨拶をし、家族と世界旅行を楽しみました。


そして余命宣告から8か月後、
彼女は親せきと青森で温泉を楽しんでいる最中倒れ、危篤状態になりました。
表面上元気にみえても、ガンが進行している身体に温泉はきつかったのでしょう。

高熱にうなされる彼女。
苦しみながらも子供たちが待つイギリスにもどりたいと望む彼女の帰国はなかなか許可が下りず、ひとまず新幹線で東京に来ることになりました。

私はこれがほんとに最後になると覚悟し、友人と東京駅に向かいました。
東京駅の中を緊急搬送されるMちゃんのそばについていると
Mちゃんは急に明るい声で

「わあ、東京駅の天井ってこんなにきれいなんだ。知ってた?」

その時、彼女は40度近い熱でした。身体は相当つらかったと思います。
でもそんな時でも好奇心旺盛で楽しんでいた。
その姿は今でもわすれられません。彼女は最後まで楽しみを見つけるのが上手でした。

私はこのことをきっかけに本気で自分の人生に向き合い
自分の人生を変えると再び決意しました。
新しい自分の人生を創る。

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ただ、自分の感情に長年蓋をしてきた私は
心から何がしたいかわかりませんでした。

そこでまず始めたのが
自分の気持ちを大事にする。
たとえば、食べたいものを食べるなど
ささいなことから変えてみました。

それまでは子供たちが食べたいものを作り、食べる毎日。
だから少しずつ、自分のやりたいことは何?と
自分に問いかけできることからはじめてみる。
そんな小さなことを繰り返しました。

そして今新しい自分の人生を
心からワクワクする人生を歩み始めています。
それは本当に小さいことでも自分に問いかけて一つ一つ丁寧に決めてきた6年があるからです。


もし今あなたが新しいことを始めたいとします。
それは趣味でも仕事でも構いません。

人生が100年なら49歳からはじめても
10年後には専門家になれます。
どんな未来をどんな感情で過ごしたいですか?

そのために49歳から何を始めたいですか?

最期までお読みいただきありがとうございます。


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