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自分事として捉えるとはどういうことなのか?

こんにちは!
岩尾です。

昨日、中学1年生向けに、総合的な学習の時間を活用した難聴のワークショップをやってきました。
1コマ、難聴のことを知ってもらう講義をして、
その後、1コマ、ケーススタディを考えて発表してもらう。

この、ケーススタディを考えてもらうことは、非常に学びが深まって良かったです!

5クラスあったので、たまたま回ったときに出会った事例ですが、素晴らしいな!と思った事例は、「自分事」として想像してくれたからこそ出てきた視点だなと感じました。

“自分事として捉える“

特別なニーズを持つ人たちのことを考えるとき、自分事として捉えることが大切だということはよく言われます。

確かにそうだと僕も思いますが、一方で、自分事として捉えることができる人って、ごくわずかだろうとも思うのです。

世の中には、数えきれないほどの特別なニーズを持つ人たちがいます。
その全てを自分事として考えられるか?
正直、僕はそこまで全てを考えられません。

何かご縁のあったことであれば考えられますけど、たまたま人に紹介されただけとか、学校の授業で出てきただけとかであれば、何か心に触れることがなければ、自分事としてまでは考えられないと思います。

でも、それが普通だと思うのです。

もちろん、僕らは難聴の理解を拡げようとしていますので、多くの人に自分事として捉えてもらいたいとは思っていますが、それは、結果論でしかないと思っています。

そして、僕は、「自分事として捉えてください」とは言えないんです。
それは、そんな簡単なことではないという思いがあるからですし、自分事として捉えてくださいと言ったところで本人に何かフックがなければ、捉えられないですし、そんな自分勝手なことは言えないという思いもあるからです。
(“自分事として捉えてください”と言っている人を否定するものではありません。あくまで自分の中の感覚です)

だから、自分事として捉えてもらうことをちょっと前までは完全に避けてましたけど、最近、違う角度から、自分事として捉えてくれることもあるんだということを体験し、ここを押しつけがましくなくやる方法はどんなものがあるか、折に触れて考えていました。

昨日、その一つの要素がようやく言葉になったんですけど、それは、
「体験」です。

それは、仮想でもいいんです。
何らかの体験をして、フックがかかれば、それは自分事として捉えて考えられるんだなということを強く感じました。

例えば、昨日、講義部分で、UDトークを実際に使ってみるセッションを行いました。
この中学は、全員ipadを持っていて、事前にインストールしてもらっていました。
それを講義の中で紹介して、実際にアプリを立ち上げて、喋って、字に変換できるのを確かめるだけの体験でした。
時間の都合上、本当にこれだけしかできなかったんですけど、これが意外に反応がいいんです。

実際にやってみて良かったという生徒さんの声もありましたし、先生で、「これ、すごいですね!」と言っている方もいました。

このアプリ、立ち上げて、ボタン2つ押すぐらいで使えるものです。
でも、使ったことがない人は、いざというときに使えるかというと、おそらくなかなか使えないんです。

経験がないから、今このまさに本番で、未知のアプリを使うか?
おそらく、使おうと考えないケースが多いでしょうし、あるとわかっても、使おうと踏み込める人がどれだけいるか?
「いや、俺はやるよ」という人もいるでしょう。
でも、実際にその「いざ」が来ると、やったことがないことはなかなかやれないんです。
めちゃくちゃ簡単なことでもです。

だからこそ、ここで実際にアプリを立ち上げて使ってみたという経験があれば、いざというときにすんなり使うことにつながります。

そして、実際に使って、「すげー!文字になってる!」という体験があれば、何かあったとき、使った方がいいよねという自分事として捉えられるんです。
ごく自然にですね。

これが、すごく大事なことだなと思うんです。
これが、自分事として捉えることに自然とつながるなと思いました。

そしてもう一つ、ケーススタディです。

これは、強制的に自分事として考えなければいけないシステムではあるんですけど、ワークなので、強制的ではありますが、そう感じる人はまずいないでしょう。

これを考えると、自然と自分事として考えられるんですよね。

ある生徒さんが質問に来ました。
「補聴器って、充電器ってあるんですか?」

素晴らしい気づきですよね。
これは、災害時の避難所で、難聴の人はどんなことが困るか?を考えてもらっているときのことです。

補聴器を知らない子なんです。
自分事として考えなければ出てこない疑問です。

実際には、充電式のものと、電池式のものがあります。
ここを疑問に思ったのは、本当にすごい気づきですよね。

もう一つ、もし自分が聞こえなくなったら?というケーススタディもしました。
そのとき、周りにどんなお願いをする?お願いするとき、壁になりそうなことはある?といったことを考えてもらいましたけど、ここでも素晴らしい気づきが生れていました。

「もし聞こえなくなったら、ショックで何も考えられなくなって、何もお願いとかできないかもしれない」

何をお願いするか?という問いに、「何もお願いできないかもしれない」と答えるのは、まさに、自分事として捉えないと出てこない思いです。

これも、ケーススタディだからこそ、自然に出てきたんだろうなと思いました。

もう一つ印象的だったのは、ディスカッション中、質問をしてきた子がいるんですが、
「聞こえないんですよね。どうすればいいんですか?」

「そこを考えるんよ(笑)!
別に間違いとかないし、いろんな方法があると思うよ。」

「○○とかですか?」

「そう!それもいいよね!わかるやん(笑)!そういうことを考えていくのよ(笑)」

これは面白かったですね(笑)
まさにそこを考えるワークなんですけど、おそらく自分の感覚とかけ離れたことというのは、考えることに躊躇してしまうこともありますね。
「この感覚で合ってるのかな?いいのかな?」
と考えて、踏み込めない。

おそらく、そんな心境だったんだと思います。

正解を出したいと思う人ほど、こう思ってしまうような気がします。
ここは、正解を出すことに偏り過ぎた学校教育の弊害かもしれませんね。

このような状況もあるからこそ、仮想だろうがリアルだろうが、体験をするということは、押しつけがましくなく自分事として考えることにつなげられることだなと思いました。
もちろん100%ではありませんが、このルートは、僕としてはすごくベターなルートだなと思いました。

それでも肚に落ちない人はいるでしょう。
そして、その人が悪いわけでもありません。
肚に落としてもらえなかった講師が悪いわけでもありません。

だからこそ、多くの場面で考えてもらう機会をつくることが大切だなと思います。

啓発って、本当に奥が深いですね。
だって、ニーズがない人に共感してもらうのが啓発ですから。
ものすごい力を要しますよね(笑)

まず、聞いてくれるまで持って行くのさえ難しい。
だから、学校の授業とか、公民館の講座とかがメインになるんですけど、そこから行動に移すのにもエネルギーを要します。

だからこそのキーワードである“自分事”
ここにつながるルートをさらに研究していきたいと思います。

小中高の総合的な学習(探究)で、
・特別なニーズを持つ人たちのことを考えてみたい
・インクルーシブやダイバーシティ、ユニバーサルについて考えてみたい
という学校の方、
難聴についてになりますが、かけはし、いつでも伺います!
交通費のみです。
ぜひ、お声がけください!

ベストは、2コマ×2日ですね。
最低2コマでできます。

どうぞよろしくお願いします!

連絡先↓


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