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聞こえる友達との交流が少なくなるはずで、それは痛くないか?

皆さん、こんにちは!
岩尾です。

難聴学級を選択する上で避けて通れない懸念事項として、
「聞こえる友達との交流が少なくなるはずだ」
ということがあると思います。

これは、その通りです。

文科省の指針では、最低でも半分の時間は特別支援級で過ごしなさいとなっています。
これは、難聴に限らず特別支援学級では、そのようになっています。

この、時間で決めるというやり方はナンセンス極まりないとは思いますが、現状、そのような指針があります。

うちの娘はどうかというと、確かに半々ぐらいですね。

つまり、半分しか交流クラス(一般のクラス)に来ないので、それだけ聞こえる友達との交流については、物理的な時間が少なくなります。

また、難聴学級に友達がいて、仲良しであれば、休み時間も一緒に過ごすことが多くなって、聞こえる友達と、なかなか仲が深まらない場合もあります。

地域の学校を選ぶ目的の中には、聞こえる友達とのコミュニケーションもしっかり取れるようになってほしいということがあると思いますが、この部分が、難聴学級を作るとコミュニケーション機会が減ってしまうというデメリットが出てきます。

うちの娘の例でいきますと、
実はうちの娘、登下校で一緒になる、他のクラスの子と仲良くなりました。
同じクラスの子はよく話す子もいるみたいですが、帰ってから一緒に遊ぶ仲までは、今のところなっていません。

一度、誘ったことはあるみたいですが、習い事があったみたいで、遊べなく、そのままになってしまった感じです。

で、今のクラスの子とはそこまで深くコミュニケーションを取れてないかなとは感じますが、これは、今の頃名禍のおかげで、マスクだらけになっていることも関係しているような気はします。
マスクだと本当に言葉がわからないんですよね。

ただ、改めて思ったのは、友達は、子どもが自然に作るものだということです。
聞こえる子ともコミュニケーションを取ってほしいなとは思いますけど、だからといって、無理矢理友達を作ってほしいわけでは決してありません。
難聴学級しか所属してなければ(そんなことはありませんが)、確かに友達との接点はなくなってしまいますが、半分でもあるわけなので、そこは子どもが自らどうするかです。

うちの感覚でいくと、確かにもうちょっと同じクラスの子とコミュニケーション取ってもいいんじゃないかな・・・と思うことはありますけど、娘なりにコミュニケーションを取っているところでもあります。

友達関係に関しては、どんな状況であれ、子ども自身が自然に作っていくものではありますね。
当たり前と言えば当たり前のことですが(笑)

あと、親が難聴学級がいいなと思っても、子どもが、
「嫌だ。みんなと一緒がいい!」
と言うことがあります。
男子には多いかもしれません。

これは難しいところですよね・・・

子どもは、友達と一緒にいたいという視点。
親としては、勉強環境を整えたいという視点。

そもそも、仲のいい友達と同じクラスになるかどうかもわからないし、難聴学級でも、交流クラスには行くので、友達と遊べないわけではありません。

休み時間は自由に遊べますし、国語と算数を勉強しやすくするために必要なことなんだとわかってもらうことは大切かなと思います。

勉強を取るか、友達を取るか
という二者択一ではありません。
勉強を取れば、友達は作りにくいかもしれないけど、普通にできる可能性もある。
友達を取れば、勉強はやりにくいかもしれないけど、普通にできる可能性もないわけではない。

ちょっと言い方を変えてしまいましたが(笑)
勉強に関しては、わからなくなってしまうと、学校自体が面白くなくなってしまいます。
そうなると、友達どころではなくなってしまうことも考えられます。

友達ができない場合も、学校が面白くなくなってしまいますが、友達は、どんな状況であれ、自分でつくっていけると僕は信じています。
(いろんな出来事で友達なんかいらないとか、総スカンを喰らってしまうとかになる可能性はありますが)

勉強は、わからなくなってしまうと、立て直すのが非常に難しいようです。
特に難聴児に関しては難しいことが多いと聞きます。

だとすると、聞こえる友達とのコミュニケーション機会が減るというデメリットを取る方が、挽回はしやすいのかなと僕は思っています。

人によっては、デメリットにもならない場合もあるはずですし、少し離れる時間があるからこそ、仲がいい状態が続きやすいかもしれません。

勉強を塾でカバーすれば大丈夫かもしれませんが、塾の勉強は、もっと速く解けるようにとか、もっと難しい問題が解けるようにとかなはずで、難聴児がつまずく場合、聞こえないがために理解できていない概念などがあったりするわけです。
問題になるのは、勉強の解き方ではなく、言葉の理解がまずは重要になってきます。
難聴特化の放課後等デイサービスだったら、そこはカバーできるはずです。
もちろん、通える場所にあればになってしまうので、この選択をできる人は限られてしまいますね。

聞こえる友達とのコミュニケーションについては、難聴学級という安心安全な場を作ったうえで進めていくのも、人によってはかえっていいかもしれません。

と、最後は難聴学級寄りの意見になってしまいましたが(笑)
聞こえる友達と交流する物理的な時間は確実に減ります。
僕も、難聴学級の新設申請をするときには、これを結構気にしていました。
でも、今はこの懸念はほぼありません。

「友達関係というのは、どんな状況にしろ、全く読めないものですし、子ども自身が何とかしていくものです。」

ということを今は改めて思っています。
もうちょっと仲良くなればいいのになあとは思いながらですけどね(笑)

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