障害のサポートは無料で受けるもの?
みなさん、こんにちは。岩尾です。
さて、いろいろな方とお話しする中で、ずっと不思議に思っていたことの謎が解けたので言葉にしたいと思います。
うちは、難聴の子を持つ家族会を運営しています。
この会の運営は、好きで始めたことだし、時間を作る必要はありますが、運営にお金はほぼかかりません。
かかる場合は、都度もらってやってますが、かかると言っても100円前後。
一度、研修を生業としている方のセミナーをしたときは、1500円だったかな?(破格ですが)を、参加者からもらったぐらいです。
この会は、そもそもお金はほぼほぼ必要なく運営できるものです。
(有難いことに、こういう団体が無料で使える会議室などもありますので)
ただ、この家族会は、家族の勉強会だったり、悩みを聞いたり、同じ課題を持つ人同士で話を共有する会です。
その中で出た課題について、行政に働きかけたこともありましたが、それも、かかる費用は交通費とコピー代ぐらいです。
でも、家族だけで話を共有する、勉強をするだけでは、子どもたちの未来は作れないことに気づきました。
あまりにも環境が整ってないんです。
難聴に関して言うと、難聴の正しい理解がほとんど知られてなく、逆に誤解が浸透している。
この誤解を解いて、正しい理解を浸透させていかなければ、いくら家族が勉強をしても、子どもたちは社会に出てチャレンジができないんです。
だから、難聴の啓発をする法人を立ち上げました。
今度は、お金が必要です。
もちろん、事業としてお金を回していかなければ継続できないので、そこはいろいろ考えてやっていく必要がありますが、一方で、同じ境遇にある家族や、この活動に共感してくれる方たちから、少しずつでもご寄付を頂きながら進めていくという方法もとりました。
当初、同じ境遇にある家族だったら、ほとんどの方が協力してくれるだろうと思っていました。
ところが、もちろん、協力してくれた家族はいらっしゃいますが、ほぼいなかったんです。
いないどころか、そんな活動の事業拡大のために寄付をするのは嫌だという人もいました。
これは、正直ショックでしたし、なぜなのか理解ができませんでした。
だって、同じ難聴の子を持つ子どもの未来のためにやってるんですよ。
今出せるお金はないというのならもちろんわかりますけど、この活動自体を否定されるとは思ってもみなかったんです。
でも、ようやくわかったんです。
障害や福祉といったものに関しては、無料でサポートを受けられるものでしょ。無料でやるべきでしょ。
という考えなんだろうなと気づきました。
もちろん、共感できない人全てがこの理由だと言うつもりはありませんが、大多数がこうなんだろうと感じます。
もちろん、買い物をするだけ、映画を観るだけ、授業を受けるだけという、一般の人が何の費用負担もなくできることを、毎回毎回当事者が自腹を払わないとできないという状態は良くないと思います。
そういったものは、無料で利用できるべきでしょう。
これは行政の管轄によるところは大きいと思います。
でも、行政がやれていないことに関して、何とか突破口を開こうとしている人がいたとしたら?
もちろん、その人がやることにもよりますが、同じ境遇の家族なら、応援したいと思うんじゃないのかなと思うんです。
もちろん、応援はしたい。
でも、お金の応援はしない。それは無料でやるべきことでしょ。
ということなのかなと。
だから、怒る人もいたんだろうなと。
いえ、全ての人が応援するべきなんて思ってないんです。
お金に関しては、出せる額も様々ですし、状況によってはなかなか出せないこともあると思います。
でも、もし、別の人がうちの活動をしていて、僕が会員だったら、絶対資金面でも応援しています。もちろん、生活できる給料を得ていたらになりますが。
ただ、モノにはお金を払ってくれるケースは多いです。
難聴がわかるアニメ「なんちょうなんなん」を作る時は、多くの当事者家族が応援してくれました。
感覚過敏の人が着れる服なども、いい値段ですが売られていて、どのぐらいの人が買っているかはわかりませんが、買っている人も一定数いると思います。
モノにお金は出しやすいけど、サービスになると出しにくい。
モノは、そのものにお金がかかります。
原資が必要なんですよね。
でも、サービスは原資が要りません。
いや、要らないように見えるんですよね。
確かに提供することは無料でできますけど、それを提供するまでにスキルを身に付けたり、いろんな話を聞いたり、それを分析したり、そういった原資はかかってますし、何より、それを提供する人が無料で動き続けられるかというと、既に資産がある人以外は無理ですよね。
人が動くには、動き続けるにはやはり対価は必要です。
もちろん、それに甘んじるわけではないですが。
原資という考え、
障害サポートは無料でやるものという考え
この2つが相まって、なかなか障害サポートに対して価値を感じてもらえないことが多くなっているのかなと感じました。
ここを、じゃあどうすれば価値を見出してくれるか?
ここを考えていく必要があるなと思いました。
なかなかの壁ですね(笑)
そして、一方、手話通訳や要約筆記。
これらは、当事者からすれば無料で利用するべきものだと思いますが、うちのような十分に報酬も得られていない団体では、なかなか費用負担して、毎回準備するということができません。
物理的にできないんです。
このへんは、手話通訳士や要約筆記者は、行政側が雇用して給料を払い、当事者も企業も無料で利用できるというシステムがいいんじゃないのかなあとは思うんですが、どうでしょうね。
もちろん、企業が手話通訳士や要約筆記者を雇用するというケースもあっていいと思います。
もちろん、できる企業できない企業は出てきますが。
アメリカでは、手話通訳士は弁護士と同じぐらいの高給だと聞きます。
手話通訳を見ればわかりますが、ものすごいスキルです。
それだけ高給があってしかるべきだと思います。
でも、日本では平均給与が20万円ほどとも言われていて、手話通訳だけで食べていける人はかなり少ない現実があるようです。
手話奉仕員という制度も影響してますよね。
この奉仕員というやり方も、やはり障害のサポートは無料でやるものという意識が根っこにあるからだろうなと感じます。
もちろん、自発的にボランティアをしたいというのはあってもいいと思うんです。
でも、障害のサポートは無料でやるものという認識は違うと思うんです。
タダでやれることは限られてますし、タダで大きな事を変える事なんてできません。
やっぱり何か事を為すには、費用も必要なんです。
目に見えないものにお金を払う価値を見出すのは難しいかもしれませんが、でも、目に見えるものは壊れてしまうものもある中、目に見えないものが確立されれば、一生ものになることもあります。
それどころか、さらに大きな可能性が膨らむこともあります。
それを、かけはしではやっています。
地域に、学校に難聴のリアルを届けて知ってもらっています。
これは、学校は無料でやっています。
地域は、報酬を頂いていますが、自治体の規定の範囲です。
難聴者の就職に関して、アドバイスをしています。
就職支援は、今や無料で相談、アドバイスを受けるところが全国にあります。
だから、かけはしも無料で行っています。
企業にも難聴者の力を知ってもらい、コミュニケーションを取るコツをアドバイスしようと動いています。
ここは、有料にしています。
でも、企業はうちに支払った以上の対価を、その難聴者の活躍で得ていけるようにということを目指しています。
これらの活動は、必ず、難聴者の未来を拓けるし、難聴に限らず、他の特別なニーズを持つ人たちにも良い影響を与えていけるものだと思うんです。
自分の子どものために、この活動は応援したい!と、多くの当事者家族が思ってもいいんじゃないかなとは思うんですよね(笑)
もちろん、どこに価値を置くかは人それぞれですが、「障害サポートはタダでやるもの」という意識、無意識的な思いは、共生社会をつくろうという動きの中で、大きな弊害だなとは感じました。
この観念を変えるのは非常に困難ではありますよね。
でも、価値を見出してくれている人もいるんです。
だから、そういう人たちを少しでも多く見つけて力を貸してもらい、少しずつ現実を変えていく。
現実が変われば、価値を見出してくれる人も増えてくるはず。
でも、相当に動きは鈍いでしょうね。
それで志半ばで終わってしまうことも多いでしょう。
でも、変えていきたいですね。
壁は高くても、バカと言われようが、無謀と言われようが、誰かが、少しでもヒビを入れていかなければ、未来永劫、難聴者の境遇は変わりません。
僕が1mmでもヒビを入れることができて、その後、そのヒビを拡げる人がでてくればそれでいいですし、とにかく、壁を叩き続ける人がいなければいけないなとは思っています。
だから、少しでも共感して頂けたら、ぜひ壁のヒビを拡げる応援をお願いします(笑)!
悲壮感をもって壁を叩き続けたくはありません(笑)
光り輝く未来をイメージして壁を叩き続けているので、
ぜひ、一緒に笑いながら壁を叩き続けましょう(^^ゞ!
ぜひ、よろしくお願いします!
言葉のかけはしの記事、活動に共感いただきましたら、ぜひ、サポートをお願いします! いただいたサポートは、難聴の啓発活動に使わせていただきます。 難聴の子どもたち、難聴者と企業双方の発展、そして聞こえの共生社会の実現のため、どうぞよろしくお願いします!