見出し画像

難聴の人にマスクで話すということ

こんにちは!岩尾です。

今日は、難聴の人にマスクで話すことについて、思うところを書いてみます。

欧米では既にマスクは外されてきていますが、日本では今も過剰なまでにつけられていますね。
そもそも、日本では義務にはなってないので、外してOKですというアナウンスがあるはずもなく・・・
だったら、ウィルスもかなり弱毒化した現在、自己判断でつけたい人はつける、外したい人は外すでいいと思うのですが・・・
 
そんな中、日本でも学校ではマスクが義務付けられています。
 
今の3年生なんて、未だに同級生の子の顔を見れてないわけですから、いい加減学校の義務は外してほしいですよね。
友達や先生の顔を見れずに生活することがどんなに悪影響を与えるか・・・
 
ただでさえ問題のあるマスク生活ですが、難聴児にとっては更に大問題なのです。
もちろん子どもだけでなく大人にとっても大問題です。
 
まずは、この図を見てください。

1番上は「聞こえる人」の聞こえ方。
2番目は、「音だけ小さく聞こえる人」の聞こえ方
3番目は、感音難聴というもので、「音が小さく歪んで聞こえる人」の聞こえ方
4番目は、3番目のケースで、相手がマスクをつけている場合の聞こえ方です。

3番目のようなわかりづらい聞こえ方でも、聴覚を使って、口の動きを見て、話の前後関係を考えて、言葉を予測したりしてものすごく頑張って言葉として聞き取っています。
(本人は頑張っているつもりはないこともあるようですが、実際には非常に疲れています)
 
難聴児にマスクをつけて話すのは、4番目の状態になるのです。
(もちろん人それぞれでもっと聞こえる人もいますが、イメージです)
 
こんな状態で言葉を全部聞き取れるわけがないのです。
これほどの聞き取りにくさなのです。
 
なので、学校では、先生に関しては透明マスクの使用をお願いしています。
 
しかし、学校側から断られるケースもあります。
 
理由は、
「教育委員会から教師は不織布マスクをつけるよう通達が来ているから」
「感染者が増えているから」
などが挙げられます。
 
前者については、教育委員会も難聴という事情があるなら透明マスクも検討できますと答えています。
(OKとは言わないんですね・・・検討できますと逃げていますが)
それに、不織布マスクに透明シートがついているものもあります。
(曇るという問題がかなりありますので、マスクを使うならマウスシールドが一番いいですけどね)
 
こういうことを学校側から確認してくれる場合もあるでしょうが、確認してもらえないことが多いでしょう。
「できません」と言われた場合、まずは確認してください。
確認すれば、条件はあるけどできることは結構あります。
本当はこのような明らかな困りごとの場合は学校から動いてほしいですが、動いてもらえなければ、親が動くしかありません。
このような事実を再度伝えれば対応してもらえるはずです。
(特に前者については、これだけ準備すれば断られる理由はないはずです)

後者については、非常にナンセンスな理由だと思います。
なぜかと言いますと、
「感染対策と、透明マスク、どちらが大事か?」
と考えてしまっているからです。
 
この2つのことは、比べられることではありません。
そもそも、比べる必要のないことです。
 
どっちが大事かではないのです。
 
感染症が増えてきたというのは、現在の環境です。
その環境の中で、じゃあ、どのように情報の保障をするか考えることが必要なわけです。
天秤にかけて、大事な方を取る話ではないのです。
 
感染症が増えてきたので、車いすの使用を控えてくださいと言われたらどうですか?
(これはあり得ないことですが、例えです)
感染症が増えてきたので、盲導犬を控えてくださいと言われたらどうですか?
感染症が増えてきたので、0歳の赤ちゃんもマスクをつけてくださいと言われたらどうですか?
これらは、おかしいじゃないか!と思う人が多いのではないでしょうか?
 
感染症が増えてきたので、透明マスクの使用を控えてくださいというのも、同様におかしな話なのです。
(感染症に関していろいろご意見はあるでしょうが、本質的な話です)

しかし、難聴については、上記の例と同列に考えられず、軽視されることが多いのが現状です。
 
その理由もわかります。
おそらく、学校なら、本人に「大丈夫?聞こえてる?」と聞くはずで、本人は「大丈夫」と答えるはずだからです。
 
しかし、本人は生まれたときから聞こえにくいのです。
それが普通になっているので、そこから少々わかりにくくなっても仕方ないと思って「大丈夫」と答えることも多いはずです。
 
もちろん、子どもたち本人も、透明マスクと感染対策を天秤にかけて、しょうがないと思っているケースは多いと思います。
それは、社会がそうさせてしまっているのです。
 
実際は、上図の4番目の状態なのです。
全部聞き取れているわけがないのです。
大丈夫なはずはないのです。

でも、授業内容がある程度理解できていたら、
「大体授業のこともわかってるようだから問題ないのでは?」
と思われるかもしれません。
 
まさにここなのです。
これが、古くから難聴が軽視され続けている根っこの部分なのです。

 
大体わかっているようだからいいという問題ではないのです。
繰り返しますが、上図4番の状態なのです。

聞きとれている部分ももちろんあるはずです。
ですが、あの4番目を必死に読み取っているのです。
ただでさえ、必死に読み取っているのですが、マスクがあるおかげで、それ以上に神経を集中させて読み取ろうとしているのです。
 
これは、車いすを使っている人が、腕で這いながら学校の中を移動しているのと同じことなのです。(Twitterで読んだメタファーでしたが秀逸だったので使わせてもらいました)
 
いえ、これは上図で言うと3番目ですね。
マスクが入ると、車いすを使っている人が、荷物がパンパンに入ったランドセルを背負わされて、腕で這いながら学校の中を移動しているようなものです。
 
これを見て、「この状況じゃ仕方ないもんね。まあ、移動できてるからいいんじゃないですか」と、そのままにしておく先生がいるでしょうか?
 
そんな人いないと思います。
誰もが、「どうしたの?」と近づいて聞くでしょう。
まずはランドセルを降ろすでしょう。
そして、抱きかかえてまず起こすでしょう。
それから、車いすを探すか、なければ、肩を貸したり人を呼んだりして、行きたい場所へ連れていくんじゃないでしょうか?
 
でも、難聴児に対しては、「様子を見られる」のです。
必死にもがいている子どもを横目に何もせずに見ているだけになってしまうのです。
この状況を「仕方ない」と言うことは、そういうことなのです。
 
まさにここなのです。
 
ですが、このようなことは一般的に知られていないので、「大変そうだけどしょうがないね」となってしまうことは多いだろうとは思います。
 
でも、親としても、難聴の子を持つ家族会としても、言葉のかけはしとしても、何より、1人の人間として、これは見過ごせないのです。
そういうふうに軽視されてしまうのも無理はないなとも思いますが、だからといって、そこは絶対に見過ごせないのです。
 
だから、ここは一歩も引きません。
無茶な事を言っているわけではないというのは、今の話を聞けばわかってもらえると思います。
 
ただ、スタートラインに連れていってあげたいだけなのです。
こちらはスタートラインに立つための配慮しかお願いしていません。
(もちろん、それ以上のことを言う人もいるかもしれませんが)
それをろくに検討もせずに、一言「できません」と切り捨てられることほど悲しいことはありません。
 
もし、何かできない理由があるなら、そのワケを話してもらって、一緒に考えたいのです。
こちらも相談するし、学校からも相談してほしいのです。
決定事項を伝えるだけではなくてですね。
 
車いすや盲導犬などで問題となることは、0か1,できるかできないかということが多いのではないかと思います。
車いすで通れるか、通れないか、
盲導犬が入れるか入れないか
 
ですが、難聴の問題は、0と1の間になることも多いです。
ワイヤレスマイクを使ってくれたので、0.8までは聞きとれた。
そして、わからなかった部分を聞いたら全て教えてくれたとしたら、それは1でしょう。
声の小さな人だったので、0.5ぐらいしかわからなかったということもあるでしょう。
ワイヤレスマイクを使ってくれたけど、マスクで口が隠れていたら、0.6ぐらいでしょう。
でも、だからこそ、1に近づけるために何ができるか、一緒に考えたいのです。
目の前で重いランドセルを背負って必死に腕で這って動いている子どもに対して、「仕方ない」と一言で片づけてほしくないのです。
 

そして、こちらの合理的配慮のお願いを断る時、こう言われることがあります。

「お父さん(お母さん)の気持ちはわかりますが、こういう状況ですので・・・」

また、合理的配慮のお願いをなかなか聞き入れてもらえなく、再三説明を繰り返してきた後、

「すみません。嫌な思いをさせてしまって」

と、謝られることもあります。 

どちらも大きな大間違いです。 

親の気持ちなんかどうでもいいのです。
親のことなんか、この件では全く関係ないのです。 

子どもの問題なのです。
子どもが困るんです。
子どもが困っているんです。
親なんかどうでもいいんです。
親を見る必要はないのです。
子どもを見てほしいのです。
子どものことを考えてほしいのです。
 

まだまだ軽視されることが多い難聴ですが、娘が難聴で生まれたのも何かのご縁。
微力ではありますが、少しずつ理解を拡げ、学校や会社、友達や地域などと、一緒に考えられる土壌をつくっていきたいと思っています。

言葉のかけはしの記事、活動に共感いただきましたら、ぜひ、サポートをお願いします! いただいたサポートは、難聴の啓発活動に使わせていただきます。 難聴の子どもたち、難聴者と企業双方の発展、そして聞こえの共生社会の実現のため、どうぞよろしくお願いします!