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聞きとりやすい経験をしたことがあるか、ないかの大きな違い

皆さん、こんにちは!
岩尾です。

難聴学級について、王道ではない側面からになりますが(笑)、最近気づいたすごく重要な視点をお話しします。

難聴とは、聞こえづらいわけで、これは訓練しようが集中しようが、聞こえは良くなりません。
読唇(口の形を読む力)は、訓練というか、日々口を見ていれば、上達はしますが、読唇だけではなかなか言葉を読み取るのは難しいはずです。
(中には、80%は読唇で上手く会話をしているという人もいますが稀です)

もちろん、相手の方を見るとか、話す人の近くに寄るとか、自分でできる努力もありますが、自分の努力だけでは、相手の話を正確に聞きとったり、会話をスムーズにすることは難しく、それをするためには、必ず、相手の協力も必要です。
もちろん、こちらからの働きかけも必要で、双方の協力が必要です。

周りの協力があれば、言葉を読み取りやすくできるのです。

静かな場所で、
相手の近くで、
適度な速さでハッキリ口を見せて話す。
わからなかったら、何度でも聞き返してOK
時に、ワイヤレスマイクを使う。
時に、文字で示す。
ジェスチャーを織り交ぜる。
よく使う言葉は絵カードを準備しておく。
・・・・

このような環境であれば、かなり情報の把握はしやすくなるはずで、ほとんどヌケモレはなくなるんじゃないかと思います。

この環境をしっかり整えられるのが難聴学級です。

ちなみに、難聴学級で児童も1人とか2人とかであれば、ワイヤレスマイクよりも肉声の方がわかりやすい場合もあります。

「ああ、確かに、そういう環境で勉強できれば情報は把握しやすいな」とわかると思います。

それもメリットなのですが、もう一つ大きなメリットがありまして、
これだけ聞きとりやすい(読み取りやすい)環境を経験していれば、別の場所で、配慮のお願いをしやすくなるのです。

といいますか、そもそも、難聴学級のような環境を経験していないと、今以上に聞き取りやすくできるという想像ができません。

難聴児は、生まれたときから(そうでない子もいますが)、ずっとその聞こえなんです。
それが普通なんです。

この普通の状態というのは、聞き間違えたり、聞き漏らしがある状態です。
よく聞こえてないのが普通の状態です。

だから、これ以上聞き取りやすくできるとは夢にも思えないんです。
多くの場合はですね。

でも、難聴学級で、ものすごく聞き取りやすい(読み取りやすい)環境を経験していれば、
「これだけ聞きとることができるんだ」
ということが自分でわかります。

そうすると、別の場所で、
「○○のようにしてもらえませんか?」
と、聞き取りやすくなるための配慮をお願いできるようになるのです。

これは、聞き取りやすい(読み取りやすい)環境を経験したことがないと、なかなか言えないことです。
なぜなら、もっと聞きとりやすくなるということ自体を知らないからです。
今の状態より、周りがうるさい状況などであれば、「静かにして!」とは言えますが、それ以上の環境を整えるには、やはり、聞き取りやすい(読み取りやすい)環境を経験しておく必要があります。

これは、大人の難聴者の方から聞いたことですが、

小学校の時、「あなたは聞こえないんだから、人の3倍も4倍も頑張らないといけない」と言われたが、何を頑張ればいいのかわからなかった。
先生も、聞こえない子にどうしたらいいかわからない。
自分もどうしたらいいかわからない。
「わからないこと」が、わからなかった。

まさに、聞き取りやすい(読み取りやすい)経験をしたことがないので、自分からどうすればいいかわからない。
頑張れと言われても、頑張っても聞こえは良くならないので、どうしようもない。

こうやったら聞き取りやすくなる。
こうやったら読み取りやすくなる。
こうやったら聞こえやすい。
こうやったら、聞き間違えが少なくて済む。
こうやったら、聞き漏らしが大きく減る。

こういう経験をするからこそ、相手にもこうやってもらえませんかとお願いができるわけです。
セルフアドボカシーというやつですね。

この経験ができることは1つ大きなことだなと思います。

実際、うちの娘は、難聴学級での音環境については、「セミの声がうるさい」のようなことぐらいで、これはもう窓を閉めるしかないですが、交流クラス(一般のクラス)に行くと、よく聞こえないこともあると言います。

この「聞こえないこともある」と言えることが大切です。
これが言えるのは、難聴学級で聞こえる環境を経験してるからだと思います。

難聴学級の経験がないと、よく聞こえないこともあるけど、それが普通だから、「大丈夫。聞こえてる」と言ってしまうんじゃないかと思います。
聞こえないことがあるのは当たり前で普通の状態だから、本人にとっては問題ではないんですね。

もちろん、この先成長して、友達と複雑な会話をしだしたら、そこで、何を言ってるのかよくわからない。問題だと思うようになるはずです。

ここで、聞き取りやすい(読み取りやすい)環境を作れることを知らなければ、「自分は友達と話ができない」と、段々会話をしなくなっていってしまうかもしれません。
実際、昔はそういうケースが多かったというのも聞きますので、これはおそらく、聞き取りやすい(読み取りやすい)環境を作れることを知らないがために諦めてしまい起こることではないかと推測されます。

そして、もう一つ大きな効果は、聞き取りやすく(読み取りやすく)できることを知っていれば、自分にできることは多くあるという自信にもつながるということです。

もちろん、相手の協力がなければできませんが、相手の協力があれば、できることは一杯あるんです。
それを小学校のうちから体感できていれば、聞こえないから無理だと諦めることも減るはずだと思います。

もちろん、聴力がこれだけないとできないという仕事もありますが、それ以外の仕事は双方の協力さえあればできることは実際に多いのです。

しかし、仕事で言うと、現状では、補助的な業務が大半を占めている状態です。
これは、昔からの流れを引きずって変わってないというだけで、今は環境も状況も変わっているので、できることは多いのです。
補聴器の性能も格段に上がってますし、人工内耳も普及してきました。
早期に難聴を発見できて、早期に療育に入り、聴覚を活用できる子も増えてきました。
手話も、昔に比べれば認知も拡がっています(手話に関してはまだまだ理解が広がってはいませんが、先人の方の努力のおかげで少しずつ拡がっています)

可能性はすごく拡がっています!

でも、コミュニケーションが取れるという経験、相手の話をしっかりと把握できるという経験がないと、人とコミュニケーションを取らなくていい仕事じゃないと難しいなと考えてしまうでしょう。

非常にもったいないなと思うのです。

自分自身に自信を持てるようになるためにも、難聴学級の力は大きいなと思います。

もちろん、聞こえが良いほど良いというわけではありません。
要は、情報を把握できる、コミュニケーションが取れる
と、子ども自身が思える環境を作ることです。

聴力は人それぞ様々です。
聞こえる人に近づくのが良いわけではありません。

聴力は様々でも、双方の協力とちょっとした工夫があれば、情報を把握することができるし、コミュニケーションも取れるんです。
もちろん、100%ではないですし、手間がかかる部分もありますが、それでも、情報がほぼほぼ把握でき、コミュニケーションをとることができればいいわけです。
その方法は、100人の難聴者がいれば100通りの方法があります。

自分自身が自信をもって、可能性を持って人生を歩いていけるように、それを後押ししてくれる効果も難聴学級にはあるなとすごく思うのです。

ぜひ、地域の小学校を考えているのであれば、難聴学級を考えてみてください。

しかしながら、東京など一部の地域では難聴学級という制度がないんですよね。
親が言えば作れるのかどうかはわかりませんが・・・
難聴学級の制度がないというのは、地域の小学校を選択する難聴児の今後のキャリア形成を何も考えてないと言わざるを得ません。
本当に、全国の難聴学級のシステムについて、アドバイザーになりたいぐらいです。
結構いい仕事をするので、任せてもらえないですかね?
これ、どこに言えばいいのかな?(笑)

まあ、それはさておき、音声日本語を選んだ難聴児としては、難聴学級って今後の大きな力になるなと、強く感じているところです。

とはいえ、本人が手話でいきたい!と言えば、すぐに進路変更はします。
もし、進路変更したとしても、音声日本語を選ぶ難聴児に難聴学級は大きな力となるという主張は変わりません(笑)

というわけで、今日はここまでです(^^ゞ
次回をお楽しみに~!

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