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手話言語条例とは何を目指しているのか?

皆さん、こんにちは!
岩尾です。

さて、福岡県では、3/20に手話言語条例案が議会に提出され可決されました。
それに伴い、うちの家族会にも取材依頼が来まして、会員へのインタビューが記事なりました。河原もインタビューを受けてます。

この記事のタイトルを見ると、手話言語条例とは離れているように見えますね。

もともと記者さんも、「言語を選択できるよう、手話を学ぶ機会の確保」という観点で記事にする予定だったようですが、取材で話を聞く上で、今回の方向に変えたと言われていました。

もっと大切なことが見えてきて拾っていただいたた上でのこの記事。
すごくいい記事を書いてもらっています。

手話言語条例を最初に制定しようと動いた人は素晴らしいと思います。
なぜなら、なかなか手話を認めてもらえなく、どうしたらいいのかというところで、一つの突破口を開いたからです。

しかし、条例ができても、現場での困難感はまだまだ多くあります。

条例の次のステップが必要なのです。

ところが、自治体は猫も杓子も、我が市我が県も手話言語条例をと、もう手話言語条例を可決することが目的となっているかのような印象を受けますが、現場ではほぼ何も変わっていません。

障害者情報アクセシビリティコミュニケーション施策推進法も制定されましたが、だからといって、現場ではほとんど何も動きは変わってません。

罰則がないから動かないのでしょうか?
だとしたら、誰もその本当の意味をわかってないことになります。

上記の記事で、そらいろ会員の親御さんがこんなことを言っています。
「重度難聴なら行政や病院で教えてくれることも、中等度だと情報が入ってこない。どんな支援があるのか、自分たちで遠回りして調べてきた。聴覚障害が診断された直後に、病院と行政、家庭をつなぐ支援が望ましい」

手話言語条例に反対してるわけではもちろんないですが、この条例よりも、真っ先にするべきは、上記のような支援体制の確保です。

もっと言うと、重度難聴でも教えてくれることは少ないです。
「人工内耳にしましょう」とか、
「療育をしてください。療育センターに行ってください」
ぐらいです。

この時点で、難聴であれば、どのような選択肢がある。
それぞれの選択での考えられる実情はこうだ。
これを選ぶと、こういう場所が支援してくれる。
これを選ぶと、こっちの組織が支援してくれる。

こういう体制が必要です。

その中で、手話という選択肢もあるということを伝える必要があります。
でも、じゃあ、その手話はどうやって学べばいいのか?
ここでの手話学習は、趣味のサークルとは位置づけが違います。
子どもの言語獲得のための手段です。
それをできる体制がない。

上記の記事で、九州産業大学の教授の方が、「ろう者と接する機会を作ったり、定期的に家庭を訪問したりするような、伴走型支援が必要だ」と言われています。

これは、もう随分前々から言われていることですが、まさにこういうことが何も進んでないのが現状です。

条例をつくって、うちの県はちゃんと聴覚障害のことを考えてるよと言いたいだけなのであれば、こんな条例はあってもなくても同じです。

と言いますか、手話は言語なんだということを条例を作らなければ、周りが認めないという状態がおかしくないですか?

こんなこと、説明すれば中学生以上ならわかるはずでしょう?
手話は聞こえない人にとって、大切な言語なんですと。
何で条例にしないとわからないんですか?
おかしいですよね?

じゃあ、どうするか。
意思疎通のためのシステムを具体的に作っていくことが、本来の行政の仕事であるべきです。

「手話言語条例」
という名前のイメージだと、この県は手話を言語と認めたんだなという認識が大多数なんじゃないでしょうか?

そして、そこで止まってしまうような気がします。

この法案の骨子は、
・手話は言語であり、心豊かな生活を送るために必要な文化的なもの。ろう者が手話を使い安心して生活できる社会を目指す
・聴覚障害のある人が乳幼児期から、家族などとともに手話を学ぶ機会を確保する
・聴覚障害のある人や家族に対し、乳幼児期から切れ目のない支援体制を整える
・学校で、聴覚障害のある子どもが手話を学べるようにする
・手話通訳者やその指導者の養成を支援する
・災害などの非常時に、必要な情報を迅速に得て、コミュニケーションが取れるようにする

といったものが挙げられています。

これは、ぜひ実現してほしいことで、条例なんて定めなくても、もう前々からわかってることなので、そのまま現場でどうやるかを考えて、スモールステップで実行していけばいいのにと思うんです。

本質を見誤ってはいけません。
望ましい状態は既に出てるんです。

ならば、条例制定ではなく、現場レベルでの改善策の実行です。
いくらでもスモールステップはあります。


あともう一つ、手話通訳者の成り手が少ない問題ですが、”手話奉仕員”を養成している段階で、そりゃあなり手は少ないでしょう。

なぜ、奉仕員じゃなきゃいけないのですか?
手話通訳を見たらわかると思いますけど、ものすごいスキルですよ。
海外じゃ、弁護士などと同等の給与水準だと言います。
日本では、平均給与が20万円ぐらいだったと確か、何かのデータで見たことがあります。
それも一握りです。

確かに、手話通訳士を利用する側としては、なかなか費用を捻出するのが厳しいです。
でも、このようなことは国が予算をつけるべきではないでしょうか?

情報アクセシビリティって言うなら、手話言語条例って言うなら、予算をつけるべきだと思います。

必要だ!大切だ!と言いながら、罰則もないし、予算も雀の涙としたら、ポーズと言われても仕方ないでしょう。

必要な予算はしっかりつけるべきです。
日本ではできるはずです。

しかし、今回の取材は、僕も同席して補足を話していきましたが、記者さんが本質に気づいて大切な部分を拾っていってくれたのはすごく嬉しかったですね。

聞こえないということの影響は多岐にわたります。
それをあらかじめ知っている聞こえる人はほとんどいません。

だからこそ、聞こえないとなったら、ここに行けばわかる。
いろんな選択があって、どれも実行できる。
そんな状態にしていきたいですね。

うちも、人任せだけにはしておけない性分なので、
「聞こえないとなったら、かけはしに相談してみれば?」
「そらいろに相談してみれば?」
と言われる存在になって、何かのお役に立てればと思っています。

ただ、あまりにも小さな団体なので、やっぱり理想は行政側でそういうシステムが出来上がって、実行されている状態ですね。

そこに行くまでコツコツ頑張ります!




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