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「おいしいご飯が食べられますように」を読んで

タイトルとは裏腹に不穏な展開に終始心を抉られ、何度か読むことを諦めそうになった。なのに、いつの間にか読み終えていた。そういう、読ませる力がある作品だった。

この物語の表のテーマは、「強者は弱者に負けてしまう」ことであり、裏のテーマは「同調圧力」だと私は感じた。

3人の登場人物が主軸になって物語が進んでいくのだが、語り部視点としてあるのは二谷さんと押尾さんの視点で、肝心な芦川さんの心情が分からないのが非常にミソだなと思う。

押尾さんも二谷さんも強者側の人間で、強者の人から見た弱者(=芦川さん)のことが語られているため、弱者の卑しさが常に強調されているのが読んでいて辛かった。自分もどちらかというと配慮が必要な側、いわゆる弱者寄りの人間なので、そもそも「強者が頑張らないといけないのは弱者のせいだ」という発想が刺さる、刺さる……。
ただ、同じ弱者でも芦川さんは群れの中で必要とされる人材であろうとするための振る舞いがすごく上手い。必要とされる方向性が、仕事をみんなと同じくらい頑張る、ではなく、ケーキを作るとか上司を慰めてあげるとか、そういう方向性なのがきっと押尾さんは嫌いだったのだろう。
そして、芦川さん自身も仕事を頑張るより、みんなにおやつを手作りで持参したり、明るく、時にはちょっと大げさなくらい喜んだり笑ったりしてみせる方が、自分にとって生きやすいことなのだと自覚しているのが、強者の目線で見ると卑しい生き物として映るのだ。
みんなが頑張らないといけないことより、得意なことで楽して乗り切ろうとする姿を見てストレスを感じる気持ちは分からないでもない。

弱者の芦川さんにいじわるをした結果、仕事が出来て強者である押尾さんが会社を去ることになり、二谷さんは「強者は弱者に負ける」という認識をしていたが、私としては「それは会社によるのでは?」と思った。
芦川さんみたいに人間関係の潤滑剤的な存在を重宝する組織だったというだけで、実際問題、弱者が強者に勝つことはそこまで無いと感じる(実体験的に)。藤さんや原田さんのように、芦川さんという弱者の存在に救われる人がいるから仕事が出来なくても芦川さんはこの組織に居場所を持つことが出来るが、そういう人たちが居ない組織内だとどんどん隅っこに追いやられて行きそうな気がする。

藤さん・原田さん・芦川さんは職場に自分の精神的支柱を求めているタイプで、義理の家族みたいな付き合いが職場でも苦じゃない人たちに見えた。読み進めていくうち、二谷さんの妹が「義理の家族にするにはぴったり」と芦川さんのことを表現していたので思わず笑ってしまった。
仕事に求めるものが、二谷さん・押尾さん、藤さん・原田さん・芦川さん、の2vs3になって対立しているのではないだろうか?その対立が、強者と弱者の対立に通じているのだとしたら。
二谷さんが「結婚するとしたら芦川さんみたいな人か、芦川さんなんだろう」と感じていた描写があり、職場だろうが何だろうが家族みたいに他人と付き合えるタイプである芦川さんと、仕事一直線の二谷さんの対比がそうさせているように思った。

それにしても恋人の作ったケーキをぐしゃぐしゃに潰して捨てられる二谷さんは一体何に恨みがあるんだ?ケーキか?芦川さんか?食事か?過去か?
多分、全部にあるんじゃないだろうか。
直接的な描写はなかったが、二谷さんは恐らく家庭で食事を完食することを強要されていたんじゃないだろうか。合理的に食事をしたいし、食事に割かれる時間が勿体ないと感じるところまでは「まあそういう人もいるか」という気持ちにもなったが、芦川さんの作るケーキを食べる時の気持ち悪そうな感じや、革靴で踏みつぶしてから捨てたりする感じが異常すぎた。
きちんと決まった時間に食事を食べさせられて、カップラーメンなんて健康に悪いものを食べるなと言われたりして、「自由に食べたいものを考える力」みたいなものが育まれず、「食事は他人から強制させられるもの」と認識を植え付けられてしまったが故にここまでこじれたように思う。

将来のことを考えて経済学部に進んだけれど、文学部に進んだ友人たちを見て後悔が滲んでいるシーンで何となく裏のテーマが見えてきた。

芦川さんは暇な時間にケーキを作ったり、みんなに愛嬌良く接するだけで生きていられるのに、強者として生きなくてはならなかった二谷さんは自分がどう生きたかったかも忘れただ仕事に没頭するしかない。二谷さんは、芦川さんのような弱者が、ではなく、好きなことを選んで生きられる人生が羨ましかったんだろう。
それで、自分が何を好きだったかも見失いながらただ漠然と仕事をして生きていくことに静かに絶望していたところを、芦川さんが会社におやつを作って持ってくるようになったせいで怒りのエンジンが加速してしまった。

あとは、二谷さんの心情で強く語られる、美味しいと義務的に言わないといけない感、が序盤はよく分からなかった。ただ、段々と裏のテーマを感じられるようになると、自分も食事ではないが、「好みを押し付けられて、それをみんなが好きだと言うから好きだと嘘でも言わないといけない雰囲気」というものを味わった経験を思い出した。
そうして嘘の言葉で「美味しい」と言い続けた影響で、二谷さんの食への印象が最悪になったんだろう。生きる為に食べなくてはならないのに、毎回の食事の場で言いたくもないことを強要され続けるというのはなかなかに苦行だ。

美味しいと、いちいちリアクションしてはしゃいだりしないといけない。好きじゃなくても働かないといけない。辛くてもみんなだって辛いから頑張らないといけない。

強者ほど「同調圧力」に弱い。だから「弱者を守ってあげないといけないという圧力」に負けてしまう。
一口に「強者は弱者に負ける」と言うと、この物語のテーマを噛み砕けていないように感じたため、私はこう解釈した。強さとは、仕事が出来る・出来ないというより、「つらくても社会に過剰適応してしまう人」を「強い」と表現しているだけで、本当に心も体も強い人という意味ではないと思った。

「みんなと同じように頑張れること」は「強い」ことではない。私からすれば、「みんながなあなあに受け入れている暗黙の了解を、自分の意見で打ち破ることが出来る人」=「強者」(すなわち終盤の押尾さん)、と捉えている。

正直、職場の人とのご飯なんて楽しくないし気を遣うし、しゃべらないといけないのに話すことなんて特にないし……というので、食事の時間=交流の時間と見なすのそろそろ止めようよ、と思った(笑)
それに、芦川さんの生き方が間違っているとも、正しいとも思えない。職場に求めるものなんか人それぞれでいいと思う。みんなに守られるように振る舞えるのも、それも1つの仕事と言えば仕事だ。

読んでいて申し訳ない気持ちになりつつ、なんとな~く嫌な余韻を残すこの作品に、色々と考えさせられるものがあった。ぜひ色んな人に読んで欲しい。そしてどういう感想を抱くのか知りたい。


余談:全然本編に繋がりはないのですが、読んでいて自分の好きなバンドの曲「ランチメイトシンドローム」がこの話と歌詞がとてもリンクしたものがあって、聴きながらこの感想文を書きました。


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