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愛に裏切られたのにまた信じてる奴選手権

自分は愛という概念が好きだ。
でも、家族とか、友達とか、そういうものに恵まれてきたかどうかで言うとかなり微妙なもので。それらに愛されてきていないから憧れで、というのともちょっと違う。

人と人とが優しくしあったりしているこの世界のことが好きなのかもしれない。
うつ病を患い、その前から他人への不信感や恐怖心に支配されてきた人間としては、外側の世界に出たらもっと悪い奴がうじゃうじゃいて、そいつらに攻撃されてまた自分の心が折れるくらいなら、家庭内で怯えながらも束の間の安寧を得られればいいや、という気持ちだった。

ただ、自分の家庭だけが世界ではない。
私はずっと自分以外の人間について関心があった。
知れば知るほど、嫌な気持ちにもなるが、間違いなく私の世界は家族だけで構成されているのではないと確信を持ち始めていた。

どれだけ優しくされても、その優しさを信じられない。そんな人が間近にいて、ああ、なんか寂しそうな笑い方をいつもしてるなと感じていたらそうだったのか、となった。
対して私は人の好意や善意をほぼ信頼している。昔だったらもっと卑屈になって、同じように優しさに対して怯えていたかもしれない。

最近自分なりに、この世界に満ちている穏やかさ、親切心、優しさ、愛情…などを理解し、自分に対してそれらが向けられていなくても、自分が大事だと思える人たち同士が思いやりを持ち合って接していたりするのを見ていると、これもまた私の世界にある優しさなんだな、と思うようになった。

誰かから私へ全力で向けられる愛情も、それなりに好意がある人間からだったら素直にメチャクチャ嬉しいが、大抵の愛情に関しては、みんな自分との距離感の近い、遠いに合わせて変えていて、それが他人同士としてベストなものになってるなら、いいことなんだろうと思っている。

一重に愛情って言っても、色んな形がある。
そのいろんな形容し難いものたちが世界を優しく、平和にしてくれている。
だから私は愛情が好きだ。
ピースな感じに生きていられる愛情は、なんか素晴らしい。堅苦しくなく、押し付けがましくもなく。ただただ私たちの間に存在し、繋げてくれているから。

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