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不思議なもので2023/07/09

自分が「いいもの書けたな!これは全世界に読んでもらうべき!」と思う時ほど泣かず飛ばすなことはわりと多い。

かつて同人活動をしていた頃によくあった現象だ。自分には100%響くものなのに、他人には理解してもらえない。読んでもらえない。手に取ってもらえない。
それでもまた懲りずに挑む。落ち込む。また書く。落ち込むのループ。
評価してもらえなくても満足するという人もいるだろう。多分普通にアウトプット出来れば楽しいだけで、それを何となくネットに上げたら評価されてしまった、みたいなことも充分あると思う。

なんでこんなに創作活動を拗らす人はとことん拗らせるのか?そんな疑問についてふと考えた。

これが自分にとって自信のあるものだから評価されたいのだ。
私は自炊をするが、自分が食べるために作った料理を人に食べさせたい!感想言われたい!美味しいと言われたい!とは思わない。自分しか食べないから他人にどうこう言われようがないから。
という感覚は自分が特に料理をマジな趣味にしているわけでもなければ、自信があるものでもないし、比べようがなさすぎるものだから感じられるものであって。
同じ現象を創作活動に当てはめると、仕事でもないのに評価されたがったり、人に気にされないと病んでしまったりする。
これは情熱の有無との因果関係もありそうだが、それ以上に承認欲求の強さも影響していそうだと踏んでいる。

以前小説家の斜線堂有紀先生のツイキャスを覗いたことがあった。
その際、小説を書いても誰にも評価してもらえず悩んでいる旨をコメントで書いたところ、斜線堂先生にはどういう感覚があまり理解出来ないと言われた。
作家として既にデビューしていて、創作が仕事になっている人にはある程度割り切って書けるのかもしれない。情熱はあるが承認欲求はない。そんな感じなんだろう。

面白いと言って欲しい。読んで欲しい。自分の伝えたいことがちゃんと伝わって欲しい。
そういう願いのことを承認欲求と呼ばれてしまうのは、何となく悲しい気持ちになる。
万人が涙する物語でなくても、自分が思っている通りの意図が一定数の他人に伝わったらいいな、の祈りですら傲慢だったら、もう趣味としてやってらんないな、の領域に達してしまうだろう。

現に私もそれで足を洗った。たまに詩のようなものを書いたり、ものすごく短い小説を書いたりすることはあっても、自分で見直していい話だなぁくらいに感じて終わる。

でも、読まれなくてもブクマされなくても本を出して手に取ってもらえなくても。
承認欲求に苛まれて悔しさで胸がいっぱいになっても。
それでも書き続けて夢を追い続ける人は、とても美しい生き様をしていると思う。
へんに諦めるな、大人になるなって背中を押したくなる。
逃げずに自分と向き合って、時には認められたい気持ちと戦いながら何かを生み出す行為は、泥臭いのにかっこいいから。
謎に負けるなって気持ちになった話を残しておく。

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