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「ラブカは静かに弓を持つ」感想文

8月になった。今年は何か夏らしいことがしたい。そう思って何か面白いことはないかと考えていた時、閃いた。

読書感想文書こう!夏休みの宿題の定番!

今ってどんな本が選定図書になってるのかな?と検索したところ、高校生部門の本が目についた。

「ラブカは静かに弓を持つ」

音楽の著作権を管理する組織に所属している主人公がとある音楽教室に潜入し、裁判に有利になる情報を得るためにもう一度チェロを習いに行くことになるが…

あらすじだけでも面白そう!と意気込んで読み始めて、話に引き込まれすぎていつの間にか読み終えていた。読み終わる頃にはこう思った。

これ、私のために書かれた話なのかもしれない……

この作品の良さを書いてみたい。感想文として残したい。強くそう感じた。



橘樹に関する考察

主人公橘樹は幼い頃チェロを習っていた。
家庭環境が劣悪な中でもチェロさえ弾いていれば何の問題もなかった。そんな彼を襲った誘拐事件を発端に、チェロを弾けなくなってしまう。
未遂に終わった誘拐事件ではあるが、祖父にチェロを捨てられてしまう原因となった事件でもあるので、橘にとって大きな心の傷として永遠に残り続けてしまっていた。

大人になってからも誘拐される瞬間の、海に引き摺り込まれるような感覚が悪夢となって橘の精神を日々蝕み、不眠外来に通いながら橘は全日本音楽著作権連盟に所属している。
この組織は著作権のある音楽を使用した際に著作権使用料を徴収している。例えば、スナックのカラオケで著作権のある曲を歌うだけでも著作権使用料を支払わなければ裁判沙汰にすらしてしまうのだ。
著作権を巡りミカサという、所謂YAMAH◯的な団体に提訴する目的から、裁判を有利にする証拠を集めるため橘はミカサの傘下にある音楽教室に潜入を命じられる。

橘の過去の経歴を利用されることでトラウマがぶり返しそうな中、音楽教室に通い始めて浅葉という講師と出会う。
音楽仲間も増え、スパイとしての自分を忘れそうになりながら、橘は2年間を音楽教室で過ごすことになった。

ここまでが一章の内容だ。

橘の鬱屈とした閉塞的な日常が、浅葉や音楽教室の仲間たち、そして愛していたチェロを再び演奏出来る喜びで彩られ、悪夢からも解放されていく様子に私も希望を垣間見た。
自分と橘の境遇が似ているのもあり、自分を信頼して仲間だと認めてくれる人たちを騙して生活することへの罪悪感を感じるシーンでは、私自身のことのように胸が痛んだ。
トラウマを持っている人間は悪夢を見やすい、というのも実体験で、その繋がりのリアルさにも思わず驚いた。解決されなかったトラウマを持った状態で生きなければならない苦痛に長年苛まれるだけでなく、罪の意識も抱えなければならない橘の心情描写にどんどん自分が引き込まれていくのを感じた。
暗くて深くて静かで、孤独な世界。誰も信じられず、何も信じたいとも思えない。橘にとってその状態が常になってしまい、そこから抜け出す気力すらない。文章にすると簡潔になってしまうが、物語を読んでいくと橘の人となりも分かり、どれだけ橘が自身の人生に絶望しているかが理解出来るだろう。
人間というものは本質的に孤独な生き物とは言われているが、橘のように頑なに心を閉ざしている状態は孤立といった方が正しいだろう。実際橘は幼い頃から自分が悪目立ちしていた、とよく表現している。悪目立ちとはつまり、どこにいても馴染めず浮いてしまっていると感じていたのだ。

前半でのこの描写が、後の2章にて変化していく。橘のことを音楽教室の面々は「ただの公務員とは思えない」「容姿が整っている」など、悪目立ちしているのではなく自然と目を惹いてしまうくらい整った容姿をしていると言っている。
ここがタイトルのラブカと繋がるのだ。
橘はずっと自分のことをラブカのように醜く孤独な生き物だとトラウマからくる誤ったセルフイメージを抱いていたことが、第三者の視点から語られる橘のイメージとの違いから明らかになっていく。
ラストシーンでトラウマ体験をした幼少期の自分から今の自分へとセルフイメージを脱却するシーンで、ようやく確かな希望を掴み取れた!という安堵感は未だに私の心にも希望となってくれている。似ていると共感すればするほど橘が幸せになれない結末は望めないものだ。

物語におけるカタルシスが昇華されていくまでの過程の描き方が没入感を高めていたのだろう。私にとって橘樹は実在する人物かのように思えている。

不眠外来の医者にすら自分のトラウマを打ち明けられなかった橘が、2章後半にかけて他人に自分の傷を語るということが出来るようになっていく。そのことが、彼の心に他人への信頼感をもたらしていることを示唆している。音楽教室の講師の浅葉に飲みの場で心情を吐露するシーンから、橘は人を信頼すること、信頼されることに喜びを覚えながらも、秘密裏に裁判の証拠を録音し続けている、というギャップに読み手としてかなり苦しんだ。

それでも橘樹にもがいて欲しいと願った。

自分が懲戒処分になろうともなりふり構わず録音のデータを破棄しようと必死になる橘を見ていると、深海から死に物狂いで手を伸ばして泳いでいるかのようにも見えたのだ。死んだように生きていた橘が決死の覚悟で信じる人たちのために足掻くその様は、醜くも美しかった。橘樹はただ深海でじっと息を潜めるラブカではなく、ありふれた幸福を望む人間なのだと痛感した。
ラブカであろうとする彼の方が一見して美しいようにも見える。だが、生きようとする彼の醜さは真たる人間にしか出せない醜さだとも、私は感じる。


余談になるが、不眠外来の医師のことをいつもピアスで判断しているシーンで、観察力の鋭さを描写している上に恐らく目を見て話せていないんだろうなという部分まで感じられてぞっとした。良い意味で。


胸に響いた台詞について


主人公に関して一通り語り尽くしたので、以降は自分が好きだと感じたセリフを引用しながらなぜ胸に響いたのかを書いていこうと思う。


「難しい話になっちゃうけどさ、深海っていうのはあくまでイメージっていうか、曲の世界観のことじゃない? 聴き手がいる演奏では、聴き手にもその世界観を届けてあげられるように、少しだけ他人への意識を残しておかないと」

ラブカは静かに弓を持つP223

橘が「戦慄きのラブカ」という作中に出るオリジナルの曲を演奏する際に、講師である浅葉からコツを教わるシーンでの台詞だ。
橘のイメージする通りに曲を演奏すると、聴き手には直接的な世界観が伝わりすぎてしまう。橘の孤独や悲しみがそのままに相手に響いてしまうと、聴き手が演奏を楽しむ余白がない状態で曲に引き摺り込まれてしまう。そういったことがないように、小窓に向かって投げかけるように演奏するといい、というのが浅葉の言いたかったことなんだろう。
私も演奏ではないが、何かを伝えようとする時、感情が入りすぎてしまいつい直接的に伝わってしまう言葉を言いがちだ。自分の感情の温度感をそのまま乗せて相手に伝えてしまうことで、相手を必要以上に追い込んでしまったり、思いがけない伝わり方をしてしまう。
そうならないよう、一歩引いた距離感を保ちながら言葉を伝える…ということを意識するようよく言われていたので、「ちょっと遠くの小窓に届ける」という浅葉の表現に納得のいくものがあった。
それだけ伝えたいことがある、とも言えるが、自分と相手の境界線を窓を挟んで保った上で、言葉や音楽に自分の気持ちを乗せた方が、聴き手側も幸せになれるし、安心して聞いていられる。そういう風にこの台詞のことを解釈した。

そして、浅葉の台詞でもう一つインパクトの強いものがある。

おまえにかかれば、天気も、災害も、伝統あるコンクールの結果すらも、この世のすべてはおまえのせいか。神様みたいにすべてのことが、おまえに掛かっているとでも? そんなわけがあるか。人生の正念場でクソみたいなことをやらかしやがったことは許しちゃいないが、それとこれとは別の話だ。これが、俺の実力のすべてだ。おまえから詫びを入れられる筋合いはない

ラブカは静かに弓を持つP549

これは終盤で浅葉が橘の裏切りを知り激昂したのち、しばらくして橘がもう一度音楽教室で開かれるアンサンブルを聴きに来たときに放った台詞だ。
橘が浅葉の大事なコンクールを、自身の裏切り行為でチャンスを踏み躙ったと考え謝罪したが、浅葉はきちんと自分の実力と向き合っているため、たった一度きりの挑戦に失敗したことを、橘のせいにしなかった。
浅葉桜太郎という人間の凄さはここに集結していると感じた。橘がセルフイメージを永遠にトラウマを抱えている子供の自分だと思い込んでいるのに対比するように描かれている浅葉は、恐らくセルフイメージがある程度完成されているのだろう。自他との境界線が引けている人だからこそ、自分の実力による失敗と橘の裏切りにより音楽教室が打撃を受けたことをない混ぜにしなかった。そういうことが出来る人というのは、往々にして自他を混合していないものだ。


終わりに

この物語と出会えたことは、私の人生を本当に豊かにしてくれた。と同時に、自分と重ね合わせるところが多かった橘に対し強く幸福を願ったことから、思っているよりも自分自身が人生における幸せを求めているのも分かった。
中盤にかけて葛藤する場面があったため、1番苦しいポイントを抜けた後のラストでは涙してしまった。

この作品のファンの方が作った「戦慄きのラブカ」は、聴いていて底なしの悲しみを感じられて胸が締め付けられた。本編を読みながらの視聴をお勧めしたい。


それから、作品の特設ページにある浅葉から見た橘のSSがあるので、それも是非読了後に読んで欲しい。

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