【陽の人生】人生3度のお絵描きブーム③
前回・前々回の記事に「スキ!」をありがとうございます! ひとまず、お絵描きブームと題する記事についてはこれにて完結となります。まだ、記事は書きますが。
お絵描きブーム第二期前半は、前の記事でお読み頂けます。
はじめに
祖父母宅で介護をする日々、幼少期から好きだった新選組が大河ドラマ化するということと高校時代の友達が同人で大成功しているのを目の当たりにして、ついうっかりその気になってお絵描きブーム第二期が到来しました。
その矢先、介護していた祖父が他界しました。
第二期後半は東京へ
この辺りから身バレを防ぎたい意味もあり、ジャンルを伏せてフェイク等入れさせて頂きます。
かなり低い確率かとは思いますが、学生時代の友達などで「アイツかも?」と、ピンとくる方がいらっしゃった場合、そっとしておいて頂けると助かります…www
祖父が亡くなり、認知症の進んだ祖母は実家で引き取ることになりました。
誰も居なくなった祖父母宅で、仕事もない私は、雨戸を閉め切った暗い部屋の中、レンタルしてきた「砂の器」をぼんやりと見続け、毎日泣き暮らしました。(中居くんが見たかったのさ…)
その後、半年ほどのことは、これ以外ほとんど記憶にありません。
祖父逝去の翌年の春、歳の離れた弟が学校に通うため地方から東京へ出るという運びになりました。
この弟というのがまたメンタル不安定なタイプで、東京で一人暮らしなどしようものならあっという間に病んでしまいそうなタイプだったため家族での話合いの結果、私がついて行こう、ということになりました。
ちょうど仕事もしていなかったし、ついに私も東京へ!という気持ちは、当然ありました。
何よりも、誰も居なくなった広い祖父母の家に一人で居続けるのは、私には無理だったので。
東京での弟との二人暮らしが始まりました。弟の面倒を見る名目もあるため家賃の援助は両親からありましたが、仕送りだけでは生活費もお小遣いも到底足りないので、アルバイトに行くことにしました。
アルバイトをしながら、遅れ馳せながらついに憧れの東京での同人活動が始まりました。年齢はすでに30代に突入していました。
この頃、新選組は私の中で第2ジャンルになっていました。今になって思えば、祖父との思い出も濃かったため、無理からぬことかな、とも思います。
東京へ出て来てのめり込んだのが、ゲームでした。
それも、突然のBL堕ち。
第一期、特にジャンルについての詳細は書きませんでしたが、第一期では好きなジャンルはゲーム・アニメ・小説など多岐に渡り、カップリングもBL・ノーマルどちらもあり(GLはなかったです)、特にカップリングはなくオールキャラが好き(今で言う箱推し)、というジャンルもありました。その当時は好きになる作品のスパンも短く、同人誌を描く度に違う作品でした。
それが、もう、ガッツリとドップリと、BL。そのカップリングしか目に入らないくらいのハマりっぷり。
それも、自分でもドン引きするようなエ□スを求めました。
それまで、ほぼリアルな恋愛経験もなく、二次創作でもフンワリホンワリした少女漫画チックなテイストを好んでいたにも関わらず。
自分でも、自分に何が起きたのか分からないくらいでした。
ただこれが、実を言うと全く身に覚えがないわけでもなかったのです。
第一期、初めてカップリングありきでハマった二次創作は、BLでした。そのカップリング以外で好んだのはどれもフンワリホンワリ系でしたが、その最初にハマったBLカプだけは、エ□スがしっくり来ました。(とは言え、中学生の妄想だったのでレベルはお察しです)
思えば、当時の年齢は思春期。ホルモンバランスが大きく変わる年齢でした。
そして、第二期のBL堕ち。
年齢は30代前半。これも、ガクッとホルモンバランスが変わる頃合いになります。
単なるエ□スではなくBLである辺り、これが腐女子の為せる業ということなのでしょうか。業と書いてカルマと読む、とでも言いたくなる事象です。
唐突ですがラクガキ供養
私もコレ好きでした!的なコメントお待ちしております!(あざとい)
分かって頂けるかなぁ〜。ドキドキ。
そして結婚へ
ゲームジャンルでの同人活動は楽しかったです。そして、その頃には薄々気付いていました。(いや、かなり早い段階でしっかり気付いていたけど)
私は壁サークルにはなれない。
実力もさることながら、足りないものがあり過ぎました。まぁ、その辺の自己分析はまた気が向いたら書くとして。(書くんかい)
でも、楽しむことにかけては上手なタイプだったのではないかと思います。
憧れの東京での同人活動も経験した、本当のコミケにもサークル参加してみた、仲の良い同人仲間も出来た、みんなでお泊り修羅場してみたり、ゲーセンに通ってみたりプリクラ撮ったり、イベント後の打上げに行ったり。年齢層様々だったけど仲良かった。
仲良し組でイベント前日から東京入りして焼肉行って、ネタで盛り上がって、その勢いでコピー本作って当日持って行ったりとか、本当に本当に本当に楽しい数年間だった。
今思い出しても泣けてくるくらい。
遅く来た青春だった気がする。
壁サークルになって有名になって漫画家になるとか、夢のまた夢だったけど、別のとても良い夢を見せてもらった気がする。
あの頃のお友達、本当に、ありがとうございました。
人間同士のお付合いであるが故のいざこざは、正直、ありました。ここで、私が「あの人」だと気付いて読んでいる「貴方」がいらっしゃるかも知れませんし、ここで、私が感謝を述べることに、違和感をお感じになられる方も、いらっしゃるかも知れません。
それでも、私にとって、あの数年間は本当に青春の一幕でした。やはり、ありがとう、の一言でしかありません。
それから弟は地元へ帰り、私はバイト先で知り合った人と遅い結婚をして、地元へ帰ることなく結婚相手と共に彼の田舎に移住することに。
こうして、私のお絵描きブーム第二期は、ひっそりと終焉を迎えたのでした。
第二期ピークは、作品面では一度商業アンソロジーにお声掛け頂き掲載して頂いたことです。
日常面では、やはりたくさんの気が合う友達に恵まれて毎日笑って暮らせたことだったでしょうか。
第二期の活動期間は、およそ5〜6年だったかと思います。最後に発行した同人誌の奥付は、多分2006年だったかと。奇しくも、第一期終了のちょうど12年後になります。何か、年廻りでもあるのかしら?(調べてみたら戌年だった)
この頃、私の【陽の人生】と【陰の人生】は結婚によって統合された気がしました。
そして、2006年から17年の時を経てこの2023年、ついに!再び!私はオタクの世界に舞い戻ってきたのです!
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