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本を焼く国ではいずれ人を焼く

タイトル、ぎょっとしますよね。

これは有川 ひろさんの小説『図書館戦争』(図書館戦争シリーズ4作(+2) の一冊目)の一文から取ったものです(※1)。最終章の「図書館の自由が侵される時、我々は団結して、あくまで自由を守る」にこうあります:

《本を焼く国ではいずれ人を焼く、言い古されたその言葉は反射のように脳裏に浮かんだ。》

"言い古された" とありますが、恥ずかしながらこの書で知った次第です。『図書館戦争』はアニメ化も映画化もされているので一般的に知られていると思います。アニメも映画もおもしろく、本はさらにおもしろいのです。きっかけは GYO!(配信終了) での配信だったのですが、本だと作者の言語選択の良さが味わえるのです。

本題の前に、この本はどの層を想定して書かれたのでしょうか。アニメや映画にもなったように恋愛面も強く、図書館シリーズの +2 はそれを中心とした話のようです。読んだのは本編の4冊、それでも十分なくらいその内容を含みます:笠原郁と堂上、小牧と毬江、玄田と折口。漫画(花とゆめコミックス)にもなっているので読者層は広そうです。

小説全体からみると高校大学生および20代のように思います。小説は疑似体験をする場でもあるので、これから社会に出るその層なら左脳が喜ぶと思います。中高生が読んだら周りの同級生よりは大人びた考え方をするようになるかもしれません。実際のところ、想定読者層は関係なく、読んだ人がおもしろければその人は疑いのない対象者ですね。


本題に入ります。以前は学校の図書室にも司書が配属されていたのですが、現在は各自治体に委ねられているとのことです。公の図書館司書の応募を何度か目にしましたが、特殊な資格であるはずなのに薄給には驚きます。図書館はその自治体の知を支えるものだと思うのですが、現在の流れは図書館軽視のようです。司書資格を有していてもゆとりある生活が望めないくらいの給与ではそうとしか思えません。

外資の巨大なネット販売により書店は激減し、あったとしてもコンビニかと見間違うくらいのところもあります。売れ筋が雑誌やコミックスであれば仕方ないことなのかもしれません。そのような店で新たな本との出会いは望めません。なので必然的にhontoのネット頼りです。


8月15日、日本国憲法が何を未来に希んだのかを思うと悲しくなります。反知性主義、口先だけの政治、嘘でもその場の論争で勝てばよいという考えが蔓延しているように感じます。テレビ新聞ネットでは補えないものが本にはあると思うのに、それが蔑ろにされています。「身を切る改革」とは知の排除を意味しているようです。


紙の価格が上がっているので本の価格も上がっています。物価に伴わず個人所得は下がる一方なのだから図書館の役割は大きくなるはずなのに、図書館員が非正規雇用だらけでは、各図書館員の資質の問題でなく、知的活動の場の環境は悪くなるだけです。


焚書ではないにしても図書館軽視はそれと同じです。まさか『図書館戦争』が現実味を帯びる世になるとは思いませんでした。『はだしのゲン』が対象となったように、メディア良化委員会が設置されたら『図書館戦争』は真っ先のターゲットでしょう。漫画、アニメ、映画、小説と対象者が広く、描かれている内容は知的好奇心が芽生える子供には悪影響でしかないのだから。合掌 ▢


※1 "言い古された" とあったので検索した結果:ドイツの詩人 ハイネ が戯曲『アルマンゾル』にて「焚書は序章に過ぎない。本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる。」(参照元 wikipedia「ナチス・ドイツの焚書」)
と記した一文が元のようです。

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