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逆転の快感!~麻雀の魔力と危険性~

麻雀。日本の国民的娯楽の一つとして、多くの人々が楽しむゲームです。四人のプレイヤーがテーブルを囲み、それぞれの戦略と思考が交錯する瞬間は、まさに人間ドラマの縮図と言えます。しかし、そのドラマにはしばしば光と影が存在します。特に、途中まで劣勢に立たされながら最後に大逆転して勝利する瞬間は、非常に魅力的である一方で、ギャンブル依存症のリスクを孕んでいるのです。

勝利のエクスタシー:喜びと興奮の爆発

「お前、ツモれんのか?!」友人が声を張り上げる中、最後の牌を引いた瞬間、信じられないことが起こりました。「ツモ!倍満!」。その瞬間、私の心臓は爆発寸前。脳内にはまるで花火が打ち上がったかのような感覚が広がり、興奮と喜びで満たされました(※フィクションです)。劣勢からの逆転勝利の快感は、通常の勝利の何倍ものエクスタシーをもたらします。

ラス目のオーラスでこの配牌ならば、ワンチャンス大逆転の可能性にワクワクするところでしょう(他の方のXの投稿からお借りしております。今回のコラムの作成のきっかけの画像です。)

この強烈な喜びは、脳に深く刻まれ、再び同じ体験を求めるようになります。これが、ギャンブル依存症の大きなリスク要因となるのです。勝利の快感が忘れられず、次も同じように勝てると信じてしまう。しかし、現実はそう甘くありません。

自己肯定感と過信:次も勝てると思い込む罠

「見たか、俺の読みを!」と自信満々に語る私(※フィクションです)。その瞬間、麻雀の神様が微笑んでいるかのように感じました。しかし、その自信が過信に変わるのは時間の問題でした。次の対局でも同じように勝てると思い込み、無謀なリーチや無理な押しを繰り返すことになります。

劣勢からの逆転勝利は、自分の判断力やスキルに対する自信を大いに高めます。この過信が、さらに大きな賭けを続ける原因となり、結果としてギャンブル依存症への道を歩むことになるのです。

対戦相手に対する優越感:マウントの魅力と落とし穴

「勝者は語る、敗者は黙る」。麻雀のテーブルで勝利した瞬間、他のプレイヤーに対する優越感が沸き上がります。特に、劣勢からの逆転はその優越感を一層強く感じさせます。「俺の読みと運を見たか?」という思いが頭をよぎり、次も同じように勝ちたいという欲求が生まれます。

この優越感は、再び同じ感覚を得たいという欲求を引き起こし、ギャンブル行動を繰り返す原因となります。対戦相手に対してマウントを取る快感は一時的なものですが、その影響は長期にわたるものです。

※AIで作成した「マウント」の様子

リスク感覚の麻痺:勝てるという錯覚

「負けが続いても、最後に勝てばいい」。劣勢からの逆転勝利を経験すると、どんなに不利な状況でも最終的には勝てるという錯覚に陥りやすくなります。このリスク感覚の麻痺が、無謀な賭けを繰り返す原因となり、依存症のリスクを高めます。

例えば、リーチ後に追っかけリーチが来ても、「ツモれば勝てる」と思い込み、危険な牌を切ってしまう。結果として、負けを重ねることになりますが、「次こそは」という期待が依存行動を助長します。

アドレナリンとドーパミンの強化:身体が求める興奮

逆転勝利の瞬間、心拍数が上がり、全身にアドレナリンが駆け巡ります。同時に、脳内ではドーパミンが分泌され、強い快感を感じます。この身体的な反応が記憶に残り、再び同じ興奮を求めてギャンブルを繰り返すことになります。

例えば、最後の一牌を引く瞬間のドキドキ感や、ツモ上がりの快感が忘れられず、またその感覚を求めて麻雀の卓に戻るのです。

社会的な要因:仲間との共有と評価

「お前、すごいな!」。勝利の喜びを友人や仲間と共有することで、社会的承認欲求が満たされます。この体験が他者との絆を強化し、さらなるギャンブル行動の促進につながることがあります。また、勝利による社会的地位や評価が高まることで、その状態を維持するためにさらにギャンブルを続ける動機となります。

例えば、麻雀の勝利を自慢し、他のプレイヤーから称賛されると、その快感を再び求めるようになります。「次も勝てば、もっと評価される」と思い込み、無謀な賭けを続けることになります。

経済的要因:一時的な成功とその影響

大きな逆転勝利で得た賞金は、一時的に経済的成功をもたらします。この成功体験が、「ギャンブルで儲けることができる」という誤った信念を強化し、持続的なギャンブル行動を引き起こします。

例えば、大きな賭けで勝利した場合、その成功体験が再び大きな賭けをする動機となります。しかし、現実はそう甘くはなく、最終的には損失を重ねることになります。

まとめ

麻雀の対戦での逆転勝利は、非常に魅力的で強烈な体験です。しかし、その影にはギャンブル依存症のリスクが潜んでいます。勝利の快感、自信過剰、優越感、リスク感覚の麻痺、アドレナリンとドーパミンの分泌、社会的承認欲求、そして一時的な経済的成功。これらの要因が組み合わさることで、ギャンブル依存症のリスクが高まります。

麻雀を楽しむことは素晴らしいことですが、その魅力に飲み込まれないように注意が必要です。ギャンブル依存症にならないためにも、冷静な判断と自己制御が求められます。「今日はここまで」と割り切る勇気が、健全な麻雀ライフを続ける鍵となるでしょう。次の対戦でも、笑顔で卓を囲むために、適度な距離感を保ちつつ楽しみましょう。

さいごに

最後に大逆転を夢見る衝動というのは、麻雀だけではなく、公営ギャンブルや株式投資にも通づることかも知れません。競馬で高額配当を当てることで有名なインスタントジョンソンのじゃいさんが以前言っていたことが沁みます。

インスタントジョンソン
左から「じゃい」「スギ。」「ゆうぞう」

「(中略)いざ取り返すという発想になると、通常の冷静なプレーが出来なくなります。 取り返すという発想の人は「一撃」に賭けがちです。その時点で既にギャンブルの深みにハマっています。 僕の場合は最初から勝つためにどうすべきかというのを考え、その為の負けは想定内です。結果的に取り返すことになったとしても、取り返すという気持ちでやったわけではありません。 「トータルで勝つ」という計算の元で、賭け金も変えなければ、スタイルも変えることもありません。これは競馬でも麻雀でもポーカーでも同じことです。 ギャンブルをする時は、勝った時のことを考えるのはもちろんのこと、負けた時のことも考えなくてはいけません。それを考えていればこのようなことにはならなかったでしょう。 そして、正直、神頼みなんてものは気休め程度。これはギャンブルに限ったことではなく、頼れるのは自分だけと思いましょう。神様も他人も、基本的には手を差し伸べてはくれないと思いましょう。」

おしまい

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