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私に起きた猫にまつわるちょっと不思議なお話 〜始まりから出逢いまで〜

私は1匹の黒猫と暮らしています。
名前は琥鉄。
彼との出逢いから、私の人生は大きく変わりました。
今日は琥鉄堂の名前の由来にもなった猫と私の少し不思議なお話です。


①出来事の始まり

もうずいぶん前、私は離婚しました。
その時のお相手の方は猫を飼っていました。
当時の私は猫と暮らしたこともなく接し方もよく分からず、もちろん猫の方も突然家に暮らし始めた私に懐くことなく。
半径1m以上近寄らずに常に物陰から、時には高いチェストの上から私を見ている関係でした。
犬としか暮らしたことのない私は、
「猫って、一定距離から近寄れない
視線を感じて振り返ると頭上(のチェスト)にいてびっくり
寝ている時いつの間にか布団の中でくっついていることに気づかずに寝返り打ったら思いっきり噛まれる
でも触れない不思議な生き物」

という認識になり、苦手ではないけど今後は積極的に関わることはない相手だと思いました。

そして離婚成立後、私は少し離れた街で1人で暮らし始めます。
その頃には精神的にかなり疲弊し、あまり眠れず気力も湧いてこない。
お腹が空いても何を食べていいのかすら分からず、半泣きでスーパーの中を何周もする毎日。
体重もかなり落ち、言わば燃え尽き症候群のような状態でした。
されど、生活のためには働かないといけない。
全く知らないその街で新たに仕事に就いて無我夢中で働く毎日。
正直、ほとんど当時の記憶が無いのですが、とにかく必死で余裕が
無かった気がします。


②ありえない妄想?それとも予知?

確か、少しずつ新しい生活に慣れた頃、夢を見ました。
というか、
夢ではなくて頭に唐突にビジョンが浮かんだという感じがしっくりですね。

それは猫が私のところに来るというビジョン。
その子の特徴は

*真っ黒で
*尻尾がぴーんと長くて
*すごく人懐っこくて
*呼べば来てくれる猫

となんとも具体的な妄想?ビジョン?
よく分からないので妄想ビジョンと呼んじゃいましょう。

その妄想ビジョンは浮かんだ時から私の意識に引っかかってずっと頭の隅にいるんです。
いや、猫は無理。というか動物は無理。
全く余裕ないもの、と打ち消そうとしても頭から離れない。
でも、ふとその妄想が頭の大半を占拠する時は束の間の安らぎになっていました。
ついにはどうせただの妄想なのだから名前をつけちゃえと自ら介入。
どんな名前なのかな?キミはと問いかけると、しばらくして
「コテツ」と浮かんできました。
うん、私が付けそうにない名前。黒猫ならネロとか良いんじゃない?
まあいっかずいぶん古風なお名前ですこと。
とか1人でツッコミながら、その時は余り強く否定せずに心に留めておきました。
しかし、猫飼いの友人にはそんな都合のいい猫なんていないよと呆れられ、
そっか、私は犬しか知らないからそんな都合のいい設定になってるのか。
やっぱそんな猫はいないかー。
じゃああの妄想ビジョンは、きっと私が今ちょっと寂しくて脳内で作り出した幻想なのかなと思うことにしました。


③猫あらわる

しばらくしたある日のこと、会社の事務所の裏の塀の隙間を他のスタッフが何やらのぞいているんです。
何しているのか聞いたら、この隙間から子猫が出てくるとか。
へえ、どんな?
と聞くと茶色のシマの子が数匹とのこと。
それを聞いてちょっとがっかりした自分にびっくりしました。
私ったらあの妄想が具現化するのを密かに楽しみにしていたらしいのです。

その日から時々、子猫たちは塀の隙間を抜けてこちらの敷地内に来るようになりました。
そこは休憩場所で常に人がいる訳じゃないので、塀の向こうにあるアパートでご飯をもらっている野良猫の子がみんなで冒険に来ているようでした。
でも、こちらが近寄るとみんなピューッと向こうに逃げてしまう。
諦めてそっぽ向いてベンチで休憩をしていると、いつの間にか戻って来て物陰からまたこちらを見ている。
やっぱり猫ってこうだよね。触れない不思議な生き物。
初めは確か2匹ほどだったのが、日が経つにつれて数が増え4匹〜5匹くらい見るようになったある日、その中に1匹だけ黒猫が混じっていました。

しかもその黒猫、他の兄弟が及び腰で覗いているのに、後ろから兄弟を踏んづけながら出てきてズンズン私に向かってくるんです。
どうやら何か食べ物が欲しそうですが、あいにく何もありません。
あるのはコーヒーミルクだけ。
猫にコーヒーミルクなんてあげていいのか分からないけど、
(今ならダメだと思う)
足元で可愛く見上げる瞳に負けて少しあげてみると、私の手まで舐める夢中っぷり。
初めての猫の舌の感触に驚いたのを覚えています。
え!ザラザラ!痛..くはないけど不思議!猫の舌ってこんななんだ!
なんて感動したのも束の間。
これ以上何かあげることもできないし、中途半端に関わってしまうのはあまり良いことじゃないと思い、触りたいけどやめておこうなんて考えているうちに休憩時間が終わってしまい、その日はもう会うこともありませんでした。
もちろん、一瞬だけもしかしたらこの子が妄想に出てきた「コテツ」なのかもとも思いましたが、そんなファンタジーなことがあるわけないとその考えを頭から追い出しました。


④急な展開

その後数日間は、初めての場所の外回り→疲弊して自宅直帰の日が続き、
猫のことを考える暇もありませんでした。
ようやく内勤もある日、出勤直後に他のスタッフがあれから黒猫だけはよく来るから少しお昼のおかずをあげてること、なのに上司が猫は汚いって言ってその子を蹴ったりしてたこと(なんだって💢)を教えてくれました。
ソイツ(日頃から人として尊敬できない上司なので、もうこの呼び方します)への怒りと何にも出来ない自分への怒りでワナワナしたまま、午前中は近くの得意先へ納品に行きました。

ようやく昼過ぎに事務所に戻ると、なんと社長が事務所内にその黒猫を入れている上に、キャットフードまであげていたんです。
しかもその子を蹴ってた上司は
いやあ猫はほんと可愛いですねー
とかなんとか調子のいいことをほざいていました。

で、一方の社長はどうやら奥方様に猫を飼って良いか電話でお伺いの様子。

ああ、この展開ってことは。
この黒猫はあの妄想ビジョンの子ではなかったっていうことだよね。
っていやいや!何がっかりしてる!
今の家ペット不可だし!社長のうちならいい暮らしできそうだし。
私なんてもっともっと精神的余裕と金銭的余裕ができた時じゃないと無理だよね。いつになるかわからないけど..
ってこの子が人懐こいのは見ればわかるけど、私は飼えないよ。
でもでもでも…何故か胸がモヤモヤする…

と、事務所の入り口で突っ立ったままドキドキしながら事の成り行きを見ていた記憶はとても鮮明にあります。
今でも事務所内の間取りや社長の姿もはっきり覚えているくらいです。

⑤更なる急展開と決断

電話を終えた社長はどうやら交渉決裂のようでした。
奥方様が妊娠中だったから怒られたと聞いて、そこで初めて奥方様の妊娠も知りました。

さて、その後はどんなやりとりがあってどれくらいの時間が経ったのか
もう覚えていませんが、結果私が引き取ると申し出ました。

その時にはその子猫が自分の妄想ビジョンの猫かどうかなんてどうでも良く、むしろ何かに突き動かされるようにそうしなきゃと感じたのです。

ただ、引き取りますと言い出すまでには、頭の中では実にたくさんの思考が巡ると同時に色々な葛藤がありました。

自分の今の精神的、経済的状況への懸念はありますし、猫のことをほとんど知りません。引き取ったとしても本当に養っていけるのか不安でしかありませんでした。
それでも引き取りを決意できたのは、よく分からない衝動と、子供の頃の
ひどく悲しくて辛いある思い出が私の背中を強く押したからです。

それは私が中学生の頃。
冬の雨が降る夜のことです。
犬の散歩をしていた時、散歩コースにはゴミの集積ボックスがありました。いつもなら素通りする犬がなぜか集積ボックスに近づき、仕切りに匂いを嗅ぎ中を覗き込むのです。
気になって私も中を覗くと、暗闇であまり見えなかったけど微かに猫の鳴き声が聞こえたのです。
驚いて犬を後ろに避けてからさらによく目を凝らすと、雨ざらしの集積ボックスの中で小さな影が微かに動いていました。それは1匹ではなく数匹が固まっているようでした。
子猫だと分かった瞬間私の心臓はバクバクし、
このままでは死んでしまう!なんとかしなきゃ!
と散歩を中断し、急いで来たを道を走って引き返しました。

家に帰って母にこのことを話すと、すごく嫌な顔をされました。
そして動物を家に入れるなんて絶対ダメ、放っておきなさいと。
私は納得がいかなくて何度もお願いしました。
うちで飼いたいとは言わないからせめてつれてきて良いかと。
他に貰ってくれる人を探すからと何度もお願いしても母の答えは変わらず、終いには怒鳴り散らされ、こっぴどく怒られました。
私はそれでも諦めきれなくて、母が怒鳴りながら掴み掛かった手を振り払い懐中電灯を掴んで家を飛び出し、集積ボックスに戻りました。
でもすでにだいぶ時間が経っており、もう手遅れでした。
明かりで照らすとそこにはまだ臍の緒がついた子猫が数匹冷たくなっていました。
そっと触っても動きません。
私は泣いて泣いてその場から動けませんでした。
どれくらいそこにいたのかわかりませんがしばらくして家に帰ると母はまだ怒りが収まらず、長々と説教をされました。

それ以来、私はその場所を通れなくなり犬の散歩コースを変えました。
あの時の自分の無力さ、憤り、悲しみ、母への不信感、そこに捨てた人間への怒り、そして形容し難いけど抑えきれなくなるような負の感情などがずっと私の心に残りました。

まあ、その後も色々あって親への不信感はさらに重なり、今ではもう出来る限り関わりたくない存在です。
本人たちは良い親とまではいかなくても私が不信感を抱くようなことはしていないと思っているのも承知していますが、ね。
物語ならその後色々あって親と距離が縮まり、愛する家族の絆は深まりましたとさ、めでたしめでたしとなるかもしれませんが。
そうはなれませんでした。それはまたいつかどこかで書くかもしれません。

それはさておき、もう私は誰の許可も取らずに決断ができる自由の身です。
しかも、頭の中は起きてもいない今後の不安でいっぱいなのに、心の中ではしきりに子猫を引き取ることを勧める何かがいて落ち着かない。
よし、決めた。
あの時、小さな命を見殺しにしたことの償いにもならないけど、あの頃よりも自分でなんとか出来ることが多いはず。

今振り返ると、この時が初めての自己保身も打算も損得も度外視の「心の声」に従い、誰のお伺いも許可も受けずに下せた決断でした。

余談
私は過去を含め数回、重要な選択時のみこの物理的現実をまるで無視した「心の声」を体験しています。
この心の声とは一体なんなのでしょう。自分でも全く分かりませんが。
声と言っても耳で聞こえるわけではなく。心で聞こえる感覚。
うまく説明できませんが不思議なことです。
(ですがこれは私に限った体験ではなく、すべての人にあることなのだと思います。)
それまではこの声に従うことにどうしても抵抗があり、迷うことなく頭で出した答えに従っていました。
だって、頭で考えたことの方がよほど世間でいう常識や一般的と言われるセオリーに則っているから、何かあってもきっと対処しやすいし、何より安心感があります。
ですが。
心の声を無視した時はことごとく物事がうまくいきませんでした。
こんなはずじゃなかったと思う結果になるのです。

この出来事からようやくこの「心の声」に従う方が結果として物事がうまくいく事を体験しました。
そして、それなりに色々あってもこうなるとは思わなかったなと良い方に思える結果になるのです。
それでもやっぱり今だに初めはものすごく抵抗してしまうのは何故なのか、
自分のことなのにそれもまた不思議です。








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