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自民党の憲法改正草案について

政治について特に関心のない人が、「憲法改正」と聞いたときに何を思い浮かべるか、
おそらく、”「9条」で揉めている話”くらいの認識を持つんだろうなと想像できるところです。

直近の世論調査でも、やはり9条は個別に取り上げているようですが、
それによると、7割近くは「9条は改正すべきでない」との回答で、
そもそも「憲法改正すべきでない」も57%との回答だそうです。

僕の個人的な見解としては、時代に合うような形にすべく憲法の在り方について議論を進めることは良いと思いますが、
改正ありきでの議論はすべきでなく、また自民党の改憲草案がある限り、自民党が与党のうちに憲法改正の議論をすることは良くないと考えています。

今回は、その自民党の改憲草案について書きたいと思います。
まずは、一度で良いから、自民党の改憲草案を読んでみてほしいです。

これを読んでどう思うかは個々の判断に委ねますが、
今回は、僕なりに考える、自民党の改憲草案の危険性について書きたいと思います。

参照ホームページ

今回、この記事を書くに当たって参照したのは⬆️のページです。

自民党の改憲草案を、現行憲法と対比してWordの見え消し風にまとめてくれているもので、
自民党が憲法をどう変えるつもりなのか、つまりは、どういう国家を目指しているのか、ということが一目瞭然となっている非常にすぐれたまとめです。

憲法とは

そもそもとして、憲法とは何かを最初に押さえておきたいと思います。

憲法には3つの特徴があるとされています。

1.最高法規性・・・憲法は国の最高法規であるから、国会が憲法に反する法律をつくったとしてもその法律は無効である。

2.自由の基礎法・・・憲法は「国民は自由であるべきだ」という価値観をその出発点とし、国民一人ひとりの「自由」を守るために存在する。

3.制限規範性・・・憲法は自由の基礎法としての役割を果たすため、国家権力を制限する規範(ルール)として働く。

※品川皓亮「日本一やさしい法律の教科書」から抜粋。
(著者とは個人的な友人なこともありますが、オススメなので是非。)

これをまとめますと、

憲法は、「人が生まれながらに持つ人権(自由)を国家権力から守るための最高法規である」

と言えるかと思います。

上記の本にも記載されていますが、
憲法は、「人権を侵したらダメ!」と国家を制限するためのルールであり、
法律は、例えば「人を殺してはダメ!」と国民を制限するためのルール、
という違いですね。

自民党の改憲草案〜冒頭〜

それでは、早速、参照HPから、自民党の改憲草案について触れながら、その危険性について書いていきたいと思います。

のっけから唖然としました・・・。
削除されている現行の冒頭はかなり重要なので、全部書きますが、

▼「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

まずこれを消そうとする意味が分からない。
戦争したいの?とか、国民主権じゃなくするの?と邪推してしまいます。

▼「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」

これを消すというのは、明治憲法にあった「臣民」という言葉のとおり、国民は天皇に仕えるもの≒従えるもの、という考えが根底にあるから、でしょうか。

▼「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」

世界平和を理想とする素晴らしい文を丸々削除するのは、それを理想としない、ということでしょうか。

▼一方で、追記された自民党の案を見ると、

「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。」

一見すると悪くないようにも思えるかもしれませんが、削除された現行憲法の冒頭と比べると、その劣化版でしかないと思います。

思うところは順に以下のとおりです。

▼「天皇を戴く国家」というのが、戦争映画で描かれる「天皇陛下、万歳!」の思想を匂わせます。

▼「今や国際社会において重要な地位を占めており」って、憲法の冒頭で自画自賛するつもりかよ!って文ですね。
この改憲案だと今後は重要な地位を占めないと思います。

▼「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」って、いかにも精神論な「誇りと気概」を憲法に書き込むことで、誇りと気概のない人は非国民扱いするつもりですか?って邪推してしまいます。
「自ら守り」ってところで、軍隊を持つことを肯定したい点に繋がるのも危ないですね。

▼「基本的人権を尊重」って、学校の授業なんかでは耳馴染みのある表現ですけど、国家権力を縛るべき憲法において、現行の「ここに主権が国民に存することを宣言」と比べて、「尊重」ってワードは弱いです。
場合によっては、尊重しながら人権を制限するつもりですか?と思わずにはいられません。

▼「家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成」って最近どこかでそれらしいことを聞きましたね。
そう、「自助・共助・公助、そして絆」とかいうフレーズです。

現行の「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」とある通り、
国家権力は国民にその福利を享受させるために行使されなければならないところを、「互いに助け合って国家を形成」って、国民に何らの行政サービスをせずに互いに助け合ってくださいとでも言うつもりでしょうか。

冒頭の見え消しだけでも、自民党の国家観、その思想の危険性が垣間見えます。

自民党の改憲草案〜天皇〜

冒頭だけでもツッコミどころ満載でしたが、続いて具体の中身です。天皇の章について。

これものっけから唖然です・・・。

▼天皇を「日本国の元首」にしようとしてます。
国家元首が天皇て、まさに明治憲法の考えであり、戦前回帰と言っても過言じゃないです。
冒頭と同じく、「天皇陛下、万歳!」の思想が色濃く出ましたね。それも権威として利用したいだけの思想っぽいですが・・・。

▼「日本国民は、国旗及び国家を尊重しなければならない」って、思想統制する気満々やん!
オリンピックとかの世界大会でも国旗の掲揚や国家斉唱はあるわけで、自然と尊重はしていくものだと思うけど、尊重するかどうかは個人の自由であり、憲法でそれを「尊重しなければならない」って国民に強制するなよ。
国家を歌わなかったら非国民扱いするつもりなんでしょう。

(以下、2021.1.28追記)
案の定、国旗損壊罪なる刑罰を課せるようにする刑法改正案を出そうとしてます。
思想統制をしたくて仕方がないみたいですね。

(追記、終わり)

▼「天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。」って、天皇を政治利用する気満々やん!
内閣としてどんな進言をするつもりなのやら・・・。

自民党の改憲草案〜安全保障〜

次に、最も話題の第9条です。

まず、「戦争の放棄」という章題を削除して「安全保障」としていることからも、戦争はするつもり、ということです。

現行の「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」を、「用いない」とトーンを落としています
これは第2項がミソで、自民党の案では
「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」
と追記しようとしており、つまりは、

自衛権の発動のためには、武力による威嚇及び武力の行使=戦争はする

という構成になっているわけです。

現行の憲法第9条は、「戦争を永久に放棄している」からこそ、相手国からすれば、日本は戦争しない国であり先制攻撃の恐れもないから攻撃できない、という日本を守るための盾にもなっているわけです。
戦争ではなく、話し合い=外交で解決しましょう、というのが憲法9条を冠する日本のスタンスです。
中国の領海侵犯や北朝鮮の拉致問題、ロシアとの領土問題などが解決できないとすれば、それは戦争できない憲法のせいではなく、国家の外交努力の不足でしかありません。
戦後の日本で外交を担ってきたのは、ほとんどが自民党政権です。
自らの外交努力の不足や怠慢を棚に上げ、各国との問題を9条を改正する理由として殊更に取り上げて、「内閣総理大臣を指揮官とする国防軍を保持する」などと平和憲法を壊そうとするのは言語道断でしかありません。

自民党の改憲草案〜国民の権利と義務その1〜

第10条から第40条までと少々長いため、分割して書きます。
まずは第10条から第15条です。

▼現行の「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。」として国家権力を牽制している文章を、
「基本的人権を享有する」と、単に事実に留める内容にしれっと変えようとしています。
場合によっては人権を制限しようとする考えがここでも現れています。

▼現行の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」との文に、
自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し」と追記しようしています。
人が生まれながらに持つ自由と権利には、責任と義務が伴う、というもっともらしい自己責任論を憲法に明記するつもりです。

資本主義社会における経営的なマインドにおいては、一会社員が自由な言動をするためにはその組織における責任と義務を果たせ、という考えがあり、自分も一会社員なので、経営体という組織における処世術としてそのような考えがあることは構わないと思うところですが、
人が人として生きるための権利や自由にまでそのような考えを当て嵌める、ましてやそれを国家権力を制限すべき憲法に記載するのは大きな間違いです。
この論だと、例えば「納税できない人の人権は制限される」などの事態になりかねません。
誰もに等しく基本的人権が認められているのが現行憲法です。それを崩すことは大変大きな問題だと思います。

(2021.5.18追記)

自民党の改憲草案の「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し」に関して、
国会議員としての自覚と人権感覚を欠如した、維新の会の議員のツイートが少し話題になりました。

*魚拓として画像も貼り付けておきます。

国会議員であれば、日本国憲法で定める国民の権利は、権力の介入を受けない不変の権利であることを前提として立法活動すべきところを、それに反する"道徳"なるものを子供に教えるべきと説いています。

このツイートにぶら下げる形で言い訳はしてましたが、国会議員が言及する"権利"は、全て日本国憲法に根付くものと解されて当然であり、その自覚に欠けた、国会議員としての適性を疑う見解であることに変わりありません。

逆に、人権以外の何の権利のことを指して"道徳"として教えようと言っているのか、明確に説明してほしいものですが、そんな説明はしないまま、批判する人を見下す見解を言い訳としてまた言及する当たりが、いかにも"維新の会"の姿勢だなと感じたところです。

(追記、終わり)

また、「公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」という文を、「公益及び公の秩序に反してはならない」としようとしています。
「公共の福祉」という概念も少し難しいですが、「人権と人権が衝突した場合に、両者の人権の公平を図るための調整役」(「日本一やさしい法律の教科書」より)とされています。
これを、またさらに曖昧な「公益及び公の秩序」とし、さらには「反してはならない」として国民を制限しようとしています。
「公益及び公の秩序」が何なのかが曖昧なまま国家によって恣意的にそれが運用されれば、国家に対して批判的な人の自由を制限することも可能になります。

▼公務員の選挙について、「日本国籍を有する」という文を追記して、外国人の参政権を認めないイデオロギーを憲法に明記するつもりです。
外国人の参政権については賛否が別れているところですが、日本人が海外に移住した場合にその国での選挙権が認められていることがあることを踏まえると、今後は日本においても外国人の参政権を認めていく方向に舵を切るのではないかと思います。
それを認めようとしない自民党の考えがここにも現れているわけですが、賛否や取扱いが別れるものを憲法に盛り込もうとするあたり、自民党という党の姿勢も垣間見えるところですね。

(2021.5.18追記)

▼ 現行の「すべて国民は、個人として尊重される」を「"人"として尊重される」、それも"公益及び公の秩序に反しない限り"との補足付き。
つまり場合によっては生物上の"人"としてすら扱わないと考えている。 現在の入管で行われているのはそういうことです。

これに関して、とても共感するツイートがありました。

"外国人の人権を平気で侵害する国が、日本国民の人権を守れるでしょうか。守れるはずはありません。入管法改悪は全国民の問題です。"

本当にその通りだと思います。
自分には関係ないから…、という無関心が、いつか自分たちを殺すことになるかもしれません。
自分たちの人権と民主主義は、自分たちの努力で守っていくしかないんです。
(追記、終わり)

自民党の改憲草案〜国民の権利と義務その2〜

次に、第16条から第21条の2です。

▼現行の「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」とされているのを、「その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない。」と変えようとしています。
政治的関係においては身体の拘束はできる、ということですか?という疑念を持ちますし、
なぜ「いかなる拘束も受けない」と断定しないのかが不思議でなりません。

▼現行の「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」を、「保障する」と変えようとしています。
国家権力を制限する憲法において「侵してはならない」とされていることを「保障する」と変えようとするのは、「その権利を制限したい」という思想があるからに他なりません。
日本学術会議への人事介入問題は、まさにこの現行憲法に違反するもので断じて許してはなりません。

▼現行の憲法20条は、信教の自由と、政治と宗教の分離(政教分離)を定めたものですが、「国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」とする文を削除しようとし、宗教勢力と政治上の権力との距離を近づけようとしています
さらに、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」とする現行の定めに、「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。」と、しれっと政治と宗教の関わりを認めようとしています
これは、自民党の支持勢力として、「日本会議」や「神社本庁」があるからだと推測されます。
日本会議は、テレビの報道では「憲法改正に賛同する団体」などとその名称すら出ることはないため政治に関心がない方はほとんどご存知ないかと思いますが、選択的夫婦別姓などに反対するいわゆる強硬な保守思想団体であり、靖国神社を拠点としていると言って差し支えないでしょう。
「神社本庁」は、その日本会議との距離も近い、伊勢神宮を本宗とする宗教組織です。

戦前、大日本帝国は、天皇を現人神として国民に崇めさせる洗脳教育をしたうえで無謀な戦争に突き進んだわけですが、
政治と宗教の関係性もその要因の一つとされることの反省から、現行の第20条が規定されています。
自民党の改憲草案では、国防軍を持ったうえで、政治と宗教も結びつくという、
戦前と同じような恐ろしいカルト国家が形成されるように思えてなりません。
(ちなみに、現在の政権を担う政党である公明党ってどうなんですかっていう疑問も残りますよね。)

▼「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」を保障する現行の内容に、「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」と追記しようとしています。
また曖昧な「公益及び公の秩序」が出てきたわけですが、国家の政策を批判するデモなどの行為もこれに該当する、というような運用がなされる懸念が拭えず、言論の自由が奪われる可能性が大きい修正案と言えます。

自民党の改憲草案〜国民の権利と義務その3〜

次に、第22条から25条の4です。

▼婚姻についてを定めた現行の第24条について、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」と家族条項にすり替えようとしています。
先の日本会議の思想は、明治時代の家父長制の家族観を是とするものであり、それ以外を家族と認めたくない思想を憲法に盛り込もうとしています。
今は多様性の時代であり、家族の形も様々ななか、国家権力を制限すべき憲法において、家族について「互いに助け合わなければならない」とする一つの価値観を国家から国民に義務として押し付けようとするのは間違っていると思います。

▼「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」について規定している現行の第25条、これが行政が生活保護を実施する根拠なわけですが、
現行の「すべての生活部面について」を、「国民生活のあらゆる側面において」と、ここでも「すべて」とは断言せず、それより曖昧な「あらゆる」という表現に留めるのはなぜなのでしょうか。
生活保護の予算を削り続ける自民党政権のスタンスがこういうところにも現れていると思えてなりません。

自民党の改憲草案〜国民の権利と義務その4〜

次に、第26条から第33条です。

▼勤労者の団結権と団体交渉権を保障する現行の第28条に、
「公務員については、全体の奉仕者であることに鑑み、法律の定めるところにより、前項に規定する権利の全部又は一部を制限することができる。この場合においては、公務員の勤労条件を改善するため、必要な措置が講じられなければならない。」と追記して、
勤労者としての公務員についてはその権利を制限する気満々のようで、官僚を閣僚の都合の良いように従わせようとしているとしか思えません。
現在においても、内閣人事局が官僚の人事を掌握することで、閣僚に耳痛いことを言う官僚の発言を封じて、閣僚に都合良く従わせるということを安倍政権以降の自民党政権は実行しています。
それにさらなるお墨付きを与えるような根拠を、権力者を制限すべき憲法に規定するなど正気の沙汰とは思えません。

▼財産権を規定した現行の第29条の「これを侵してはならない」という文を「保障する」として、財産権をも制限するつもりです。
さらには、ここでも「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」という曖昧なものに修正して、国家権力が恣意的に財産権の制限をできるようにしています。

▼第31条について、現行の「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はわれ、又はその他の刑罰を科せられない。」との規定に、「法律の定める適正な手続」と修正しようとしています。
ちょっとしたことですが、何が適正かをちゃんと定めない限り、これも国家権力の恣意的な判断によって「生命若しくは自由」を奪われることが認められてしまいます。

ここまで読んでお気付きかと思いますが、現行の断定的な表現を、あえて曖昧にしようという魂胆が自民党の改憲草案には散りばめられています。

▼裁判を受ける権利を規定した現行の第32条について、現行の「奪われない」として国家権力を牽制している文を、「有する」と事実に留める表現に変えて、その権利を奪うつもりである考えがここでも見えます。

自民党の改憲草案〜国民の権利と義務その5〜

続いて、国民の権利と義務の章の最後、第34条から40条です。

▼弁護人に依頼する権利を規定した第34条について、「正当な理由」があればそれを制限されるうえに、
拘禁される理由については「示されなければならない」としているところを、「求める権利を有する」と変え、国家権力の説明義務を削除しようとしています。
これでは、不当に逮捕・拘禁された場合に、理由もなく弁護人を呼ぶことも制限されるうえ、その理由は何ら明らかにされないことになります。
現在の自民党政権は、ただでさえ、国会においても答弁拒否や虚偽答弁を繰り返しているのに、国家権力を制限すべき憲法でその説明義務を無くせばどうなるか、容易に想像できますね。

▼第36条について、現行の「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」を、「禁止する」とトーンを落としています。
場合によっては拷問する気ですか?と恐ろしい気持ちになります・・・。

国民の権利と義務の章は以上になりますが、お読みになってどう思われたでしょうか。
ただ9条を改正するだけじゃない、ということと、国民の権利をいかに制限しようという考えがあるかを理解してもらえれば幸いです。

自民党の改憲草案〜国会〜

続いて、国会の章ですが、少々マニアックなので参照HPの見え消しだけ掲載します。
1点だけ。
▼第63条に、「内閣総理大臣及びその他の国務大臣は、答弁又は説明のため議院から出席を求められたときは、出席しなければならない。ただし、職務の遂行上特に必要がある場合は、この限りでない。」と、
国会から逃げるためのお墨付きを憲法に記載しようとしているのは、これまでの自民党政権の姿勢を鑑みるにいただけない改正案だということはお分かりいただけるかと思います。

自民党の改憲草案〜内閣〜

続いて内閣の章ですが、こちらも参照HPの見え消しの掲載にとどめます。
これも1点だけ。
▼第72条に、「内閣総理大臣は、最高指揮官として、国防軍を統括する。」と追記しようとしています。
もはや言わずもがなですが、どんだけ軍隊を指揮したいねん!と呆れるばかりですね・・・。

自民党の改憲草案〜司法〜

続いて、司法の章ですが、こちらも参照HPの見え消しの掲載にとどめます。

憲法では、国会(=立法)、内閣(=行政)、司法の三権をちゃんと分立させる立て付けになっているのです。
その三権分立の大原則を、現在の自民党政権は崩そうとしています。
最近では、検察庁法の改正を目論む動きがあったのは記憶に新しいですね。

三権分立がちゃんと機能しないと、内閣による独裁が行われることに繋がり、非常に危険です。
自民党は、憲法改正によってそれを可能にしようとも考えていますが、それは後に触れたいと思います。

自民党の改憲草案〜財政〜

続いて、財政の章です。これも1点だけ。
▼第89条について、公金を宗教上の組織に支出することを制限した規定ですが、
先ほど述べた、第20条の改正案において、政治と宗教の関わりを認める規定を導入したことに関連して、
「第二十条第三項ただし書に規定する場合を除き」と追記しています。
支持層となる宗教組織への公金支出を認める気満々のようですね。

自民党の改憲草案〜地方自治〜

続いて、地方自治の章です。これも1点だけ。
▼現行の95条では、「一の地方公共団体のみに適用される特別法」を制定する場合は、住民投票により「過半数の同意」を得る必要があるとしていますが、
改正案97条において、「特定の地方自治体の組織、運営若しくは権能について他の地方自治体と異なる定めをし、又は特定の地方自治体の住民にのみ義務を課し、権利を制限する特別法」を制定をする場合には、「有効投票の過半数の同意」を得る必要がある、としようとしています。
特定の地方自治体における住民の権利も制限する気満々のようですし、しれっと「有効投票の」と追記しているのも、
例えば、投票率が10%でもその過半が有効であれば成立しますし、
投票率が100%でも反対票を全て有効票ではないとすれば成立させることもできるわけです。
維新の会を意識した改正ではないかと推測しますが、これも危険極まりないですね。

自民党の改憲草案〜緊急事態〜

自民党が新たに追加しようとしている章、それが緊急事態条項です。
大規模な災害などによる緊急時において、その対応措置について法律の制定が急がれる際に、国会で行う通常の手続きでは時間がかかり過ぎて対応したくてもできない、などの場合に備え、
内閣(=行政)が、法律と同じ効力を有する政令を制定することができるとするものです。

地震も多い日本において、このような措置が必要となるというのは理解できないことはないのですが、問題はこれがどう運用され得るかということです。
憲法は、国家権力を制限する、言わばです。
そして三権分立により、内閣は、国会で制定された法律に基づいて行政を実施し、実施した内容が違憲・違法でないかを国会・司法によって監視されます。
緊急事態条項は、この鎖を解き放ち内閣が国会と同じ権能を有するようにするための措置であるため、三権分立も成立させなくするものです。
緊急時の一時的なものだという反論も当然あるかと思いますが、
緊急事態とは何か=緊急事態宣言を発令及び解除する条件が曖昧なままでは、
国家権力の恣意的な判断によってこれが運用される危険性があるのです。
そして改正案99条の第4項では、「緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。」として、
ずっと緊急事態だと言い続ければ、半永久的に現職議員は在任し続けることができる、
つまりは、発令時の与党・政権を半永久的に持続することもできるようになるのです。
現在の自民党政権の姿勢を鑑みれば、彼らはこれを使いたくて仕方ないはずです。
鎖に縛られた権力を解放できるのですから、ずっと解放させておきたくなるのは人間の性分とも言っていいでしょうが、自民党はその姿勢が露骨ですね。

このあたりの論考については、集英社新書『「憲法改正」の真実』を参考にしました。
樋口陽一氏と小林節氏という二人の憲法学者の議論がまとまったもので、大変興味深い内容ですので、必読です。

自民党の改憲草案〜改正〜

続いて、改正の章です。条項は一つだけで、憲法改正手続きを定めた条項です。

▼現行の第96条では、憲法の改正には、「総議員の三分の二以上の賛成」で発議のうえ、国民投票により「過半数の賛成」を必要としていますが、
改正案第100条では、「総議員の過半数の賛成」で議決し、国民投票では「有効投票の過半数の賛成」を必要とすると、そのハードルを下げています。
先ほどの地方自治の章でも触れましたが、ここでも、「有効投票の」という言葉を入れてきました。これについては先述したとおり、曖昧なままにされては非常に危険なものです。

自民党の改憲草案〜最高法規、補則〜

いよいよ本文の最後です。最高法規の章と補則の章を続けて掲載します。

▼現行の第97条の規定、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」とした条項を削除する、ということは、
その権利を侵そうとする考えを持っている、ということに他なりません。
そのつもりがなければ、この条項はそのまま残すべきです。

▼現行の第99条は、国会議員や公務員の憲法尊重義務を規定したものですが、
改正案の第102条では、「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」として、
国民に憲法尊重義務を課そうとしています
憲法は、国家権力を制限するためのものであり、国民に課すものではない、という基本原理を最後まで捻じ曲げようとしている姿勢がここでも窺えます。
ただでさえ、憲法尊重義務を課せられた現職の国会議員や総理大臣が、
現行憲法を全く尊重していないくせに、自分たちが改正しようとする憲法は国民に尊重させようとする姿勢そのものが不遜極まりないものだと思います。

最後に

自民党の憲法改正草案と、その危険性について書き連ねましたが、いかがでしたでしょうか。
各改正案のなかでも書きましたが、断定的な表現を曖昧な表現にすることで国家による恣意性を確保するような魂胆が随所に散りばめられていますし、
そもそも参照HPのとおり見え消しで表現できてしまうほどの違いしかない現行憲法をただ劣化させただけ、ということが言えるかと思います。

また、青山学院大学総合文化政策学部の中野昌宏教授は、自民党の改憲草案について以下のようなコメントをツイッターで投稿されていました。

国民主権を国家主権にひっくり返す革命憲法」と、
これまで説明してきたことを一言で表すならばまさにこれです。

少しでも多くの方に、自民党が変えようとしているのは、自衛隊を合憲にするための第9条でなく、日本という国のあり方そのものだということ、
そしてその改憲草案のとおり憲法が改正されれば、国民の権利は制限される可能性が高いことそんな危険な国家観を感じて貰えれば何よりですし、

そのような国家観を持って憲法改正を目論む自民党ですが、それに追随する公明党と維新の会も、同じ穴のムジナだということも理解してもらればと思います。
(最近は、これに国民民主党も加わる感じですが・・・)

また、自分の勉強した範囲でしか見解を書けていないので、「こんな見解もある」などのご意見がございましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

気付けば12,000字を超える内容を書いてしまっていました。
長くまとまりのない内容で申し訳ありませんでしたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また徒然なるままに書いていきたいと思います。

引き続き、宜しくお願いいたします。

こてら@旧姓

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