【新古今集・冬歌11】嵐の気配

 車中で3歳の娘が突然クイズを出した。
「これなんでしょうか」
 どれやねん。
「いちばん、うさぎちゃん」
 おお可愛い。
「にばん、うま」
 ちょっと距離を感じるな。
「さんばん、ユニコーン」
 こないだぬいぐるみをあげたもんね。
 まあ仲が良さそうな一番が正解だろう。
「うさぎちゃんだ」
「ママさんば~ん」
 妻が参戦した。
「ぶぶーはずれー」
 違ったらしい。
「せいかいは、うまとユニコーンでした~」
 えっ?
「だからこたえは よんばんで~す」
 うちの娘はなかなかやるな、と思った。

☆ ☆ ☆

移りゆく雲にあらしの声すなり
散るか正木の葛木の山
(新古今集・冬歌・561・藤原雅経)

(訳)
空を流れる
雲のあたりから激しい風の
音が聞こえてくる
散るのだろうか、見事に染まる柾葛が美しい
あの葛城山の木々の葉も


 井伏鱒二の『厄除け詩集』に収められた「勧酒」の名訳「花に嵐のたとえもあるぞ」が大好きだ。「○に○○の」というリズムが心地よい。その先には有名な「サヨナラだけが人生だ」が続く。

 雅経歌の「雲にあらしの」もテンポが良い。下句は「散るか正木の」と小気味よく続く。情景以上にリズムが頭に刻まれる。
 千載集に

もみぢ葉の散りゆく方を尋ぬれば
秋もあらしの声のみぞする
(千載集・秋下・381・崇徳院)

(訳)
紅葉の葉が
散っていく方向を
探し求めて行ってみると
秋はその気配もなく、激しい風の
音だけが聞こえてくる

という歌がある。既に多くの注釈書で影響が指摘されている歌だ。
 紅葉と嵐だから歌材を共有している。だがそれ以上に「秋もあらしの」のリズムが耳に残ったのでは無いかと思う。
 崇徳院と飛鳥井雅経と井伏鱒二。
 愛される日本語のリズム。


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