〔新古今集〕琵琶湖と月の和歌

鳰の海や月の光のうつろへば波の花にも秋は見えけり
           (新古今集・秋歌上・藤原家隆)

 9月に入り、暑さが少し和らぎました。夜の静けさも何か少し深まったように感じます。

 静かな秋の夜には月が似合います。中でも水面と月の取り合わせは静かさの中にも華やかさがあるようで、僕が一番好きな風景の一つでもあります。

 歌。
 「鳰の海」は琵琶湖の別称です。穏やかな水面が視界いっぱいに広がる風景をイメージしてください。
 月が出ます。すると秋の透き通った空気を白銀色の光が柔らかく貫きます。まるで月と水面を繋ぐよう。
 月に繋がれた穏やかな水面で波が揺れます。水面の白銀光が震えます。ちゃぷんちゃぷん。それはまるで野原に咲いた白い花の群れ。

 それにしてもどうして「うつろへば」を受けるのが「秋は見えけり」なのでしょう。
 月の光が水面に届けば花が咲いたように見えるというのに異論はありません。でもこの「うつろへば」を受けているのは「波の花」ではなくて「秋は見えけり」です。波が月光をはねかえすと波が花に見えるというのではなく、波に秋が見えるというのです。なぜでしょう。

 答えはどうやら本歌(元ネタ)にあります。

草も木も色変われどもわたつ海の波の花にぞ秋なかりける
                   (古今集・秋下・文屋康秀)

 文屋康秀は波の花に季節の無さを読み取りました。それを受けつつ家隆は波の花に秋を見いだします。康秀は波の花に季節なんて関係ないなんて歌ったけれど、本当は波の花にだって秋はやってくるじゃないか、と。
 康秀が波の花に見いだしたのは色の変わらなさでした。それに対抗する家隆が見いだしたのもやはり色だったはずです。波を秋らしく見せているのはその色であるはずなのです。
 その色は波を染める秋の月光の色です。してみると家隆は、月の光にこそ特別な秋色を見いだしているのでしょう。「うつろへば」という順接確定をもたらしているのは、秋の月の白です。秋の月の光が波に届いたとき、それは他の季節とは一線を画するほど鮮烈な白に波を染め上げるのです。

 「鳰の海や」という入りから、私たち読者の視点は広大な湖の水面に誘われます。それが家隆の仕掛けです。夜の波の花のような白を想起させるようで、実はその特別な白をもたらす月の賛美こそが主眼。
 家隆といえば素直さが評価されることが多いのではありますが、こんなひねり方も見せてくれるのですね。


月が出て水面に白の道はある不要で不急の行く先である



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