1月21日 学校のトイレと後鳥羽院の強がり
学校のトイレが詰まった。
イタズラの痕跡がある。修理にはそれなりの工事が必要となった。
イタズラをはたらいた者は、この報告をどんな表情できいているのだろうか。
学校に反吐を溢れさせし君はたぶんファミマでどん兵衛買ってる
今夜は俵万智『考える短歌』第七講「固有名詞を活用しよう」に触発されて詠んだ。
俵万智によれば、固有名詞は「短い言葉ながら、さまざまな思いをふくませることが可能だ」。
僕の歌では「ファミマでどん兵衛」にこめた日常感を上句の異常性と対比させたつもりだ。が、うまくいっているのだろうか。
かつての歌人たちも、固有名詞をよく詠んだ。「歌枕」という。『後鳥羽院御集』では歌枕をどう詠んだだろう。
うす煙もとより霞む塩竈の浦なれにける春の空かな(一五七〇)
塩竈(しおがま)は陸奥の歌枕。あの「松島や」の松島湾に臨む景勝地だ。
海辺でかつ地名が塩竈だから、当たり前のように塩を作る現場のイメージが共有された。竈で火を焚き海水をグラグラ煮詰め、塩を作る(たぶん)。
後鳥羽院の発想は、しょっちゅう塩を煮るから、その煙で塩竈はもともと霞んでいる、というもの。春の空は月の名所でも霞が立って月が見えない。だから口惜しい思いも抱かされる。だけど塩竈は一年365日、塩を焼く煙で霞んでいるから、春だからといって格別な思いを抱くことは無いのだ。
薄く靄がかかる。
だけど、もともと塩焼く煙で霞んでいるここは、
あの塩竈だ。
だから浦だって、けぶるのなんかには慣れている。
春の空が月を朧に見せたって、そんなのいつものことなんだ。
強がり、と見たい。
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